聖書に基づくオンライン礼拝の必要性と正当性・合理性
(聖書にもとづくオンライン礼拝は、大切で、正しくて、納得できる理由がある)

 オンライン礼拝の必要性・正当性・合理性を聖書的に考察します。特に、礼拝の本質、歴史的背景、現代的必要性に焦点を当てます。

1、礼拝の本質:場所にとらわれない霊的(神さまと人の関係)な交わり
 礼拝の本質は、神との交わりであり、場所に制限されるものではありません。聖書は明確に「霊とまこと」による礼拝を重視しています。

① イエス様の教え:「霊とまことによる礼拝」
 ヨハネによる福音書4章21-23節
4:21 イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
4:22 あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。
4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。

 このイエス様の御言葉から、礼拝は場所に依存せず、霊的な交わりによって成り立つことがわかります。オンライン礼拝は、この原則を実現する手段の一つです。

② 使徒時代の初代教会:家庭での礼拝
 使徒行伝2章46節
2:46 そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、

 初代教会では、神殿だけでなく家庭でも礼拝をささげていました。オンライン礼拝も、これに類似した形態です。

2、預言者時代の礼拝の困難と代替手段
 聖書には、神殿礼拝が困難な状況でも、信仰が守られた例があります。オンライン礼拝の正当性を示すために、預言者エレミヤ、エゼキエル、ダニエルの例を挙げます。

① エレミヤ:神殿崩壊と信仰の継続
 エレミヤの時代、バビロン捕囚が始まり、神殿礼拝は事実上不可能になりました。しかし、神は礼拝を「エルサレム神殿」に限定せず、捕囚民の中でも信仰を続けるよう命じました。
 エレミヤ書29章11節
29:11 主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。
 エレミヤは、神の臨在は場所に限定されないことを教えました。オンライン礼拝も、信仰を継続する手段として有効(正当)です。

② エゼキエル:捕囚地でも神さまは共にいる
 エゼキエルはバビロン捕囚の中で幻を見ました。
 エゼキエル書11章23節
11:23 主の栄光が町の中からのぼって、町の東にある山の上に立ちどまった。

 これは、神さまのご臨在がエルサレム神殿に限らず、捕囚地でも共にあることを示します。オンライン礼拝においても、神さまは信仰者と共におられる。という確信を持つことができます。

③ ダニエル:異国での礼拝の継続
 ダニエルは、異教の地バビロンでエルサレム神殿がない状況でも、日々祈りを捧げました。
 ダニエル書6章10節
6:10 ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。

 この姿勢は、現代のクリスチャンが、教会に行けなくても信仰を持ち続けられることの根拠になります。

3. オンライン礼拝の必要性と合理性
 現代において、オンライン礼拝は礼拝の継続を可能にする合理的な手段です。
① 遠隔地・身体的制約への対応
 ・遠隔地:教会が近くにない地域に住む人々にとって、オンライン礼拝は霊的な交わりを持つ唯一の方法になる。
 ・身体的制約:病気や高齢などの理由で教会に行けない人々にとって、オンライン礼拝は霊的生活を維持するための合理的な手段となる。
② 忙しい人々の信仰維持
 ・仕事や家庭の事情で教会に通えない人も、オンラインで礼拝の時間を確保しやすい。
 ・信仰を続けるための柔軟な選択肢を提供できる。
③ 対人関係が苦手な人への配慮
 ・人間関係の問題や心の負担を感じる人にとって、オンライン礼拝は信仰を守るための安全な環境を提供できる。
 ・徐々に対面の礼拝にも移行できる橋渡しとして機能する。

4. オンライン礼拝の補完策と課題
 オンライン礼拝はで合理的ですが、完全な代替ではなく、補完的な工夫が求められます。
① 交わりの希薄化
 ヘブル書は、集まりの大切さを教えています。ヘブル人への手紙10章25節です。

10:25 ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。

 オンライン礼拝だけでは、教会員同士の交わりが薄くなる可能性があります。これを補うために、Zoomでの小グループや祈祷会などを並行して行う。

② 聖餐・バプテスマの執行
 ・聖書は聖餐を共同体の中で行うことを示唆している(使徒行伝2章42節)。
2:42 そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。

 ・可能であれば、定期的に対面での集まりを持つことも考慮する。

結論:オンライン礼拝は聖書的に正当であり、合理的である
 以上の考察から、オンライン礼拝は以下の理由で聖書的に正当かつ合理的であることがわかります。
1. 礼拝の本質は「霊と真理」にあるため、場所に限定されない(ヨハネ 4:21-23)。
2. 初代教会でも家庭での礼拝が行われていた(使徒 2:46)。
3. 神殿礼拝が困難だった時代にも、信仰者は礼拝を続けた(エレミヤ、エゼキエル、ダニエル)。
3. 遠隔地・身体的制約・忙しさ・対人関係の問題に対応できる合理的な手段である。
4. 教会の交わりを補完する方法(小グループ、祈祷会など)を取り入れれば、より充実したものになる。
 したがって、オンライン礼拝は、現代のクリスチャンにとって必要かつ有益な礼拝形態の一つであると言えます。

以上
ニホン・ネットキリスト教会
戀田寛正