ショートメッセージ【マルコの福音書5章_2】
マルコによる福音書5章21-34節
(絶望の中の信仰:病を癒す力)
1、病を制する御方
(1)追い詰められた会堂司
(2)イエス様のみ衣に触れる女性
1、病を制する御方
(1)追い詰められた会堂司
マルコによる福音書5章21-24節を読みましょう。
5:21 イエスがまた舟で向こう岸へ渡られると、大ぜいの群衆がみもとに集まってきた。イエスは海べにおられた。
5:22 そこへ、会堂司のひとりであるヤイロという者がきて、イエスを見かけるとその足もとにひれ伏し、
5:23 しきりに願って言った、「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください」。
5:24 そこで、イエスは彼と一緒に出かけられた。大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った。
イエス様の一行は、再びカペナウムの付近に戻りました。そこへ、会堂司のヤイロという者が来て、イエス様を見かけるとその足もとにひれ伏し、《「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください」》としきりに願いました。
ヤイロは会堂司ですから、ユダヤ教の指導者であり、高い地位にいる人物でした。彼がイエス様の足元にひれ伏したのは、愛する娘の命が危機に瀕していたからです。
神さまは、時として愛する者に命の危険が及ぶことを許されます。それは、その人が最終的に主の前にひれ伏すことができるようにするためです。イエス様はヤイロと共に娘の家に向かいますが、大勢の群衆が押し迫り、道中は大きな焦りをもたらしました。
(2)イエス様のみ衣に触れる女性
マルコによる福音書5章25-26節を読みます。
5:25 さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。
5:26 多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。
その道の途中で、一人の女性がイエス様に近づいてきました。
彼女は十二年間も長血を患っている女性でした。この病は肉体的な苦痛だけでなく、律法によって汚れていると見なされ、社会からの疎外をもたらしていました。
この女性は十二年間、イスラエルの人々の社会から排除され、まともに人々の間に入ることもできませんでした。多くの医者にかかり、財産をすべて費やしても、症状は悪くなる一方でした。
マルコによる福音書5章27-29節
5:27 この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。
5:28 それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。
5:29 すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。
この女性はイエス様の噂を聞き、群衆の中にまぎれ込み、後ろからイエス様の“み衣”に触れました。《せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろう》と信じていたからです。彼女の信仰は、自分が恵みを受ける資格がないとしても、それでも憐れみを受けたいと強く願う、積極的な信仰でした。その結果、血の元がすぐに乾き、彼女は病気が治ったことを身に感じたのです。
マルコによる福音書5章30-32節
5:30 イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。
5:31 そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。
5:32 しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。
イエス様はすぐに、ご自身の内から力が出て行ったことに気づかれ、群衆の中で振り返り、《「わたしの着物にさわったのはだれか」》と尋ねられました。
弟子たちは群衆が押し迫っている状況でそう尋ねるイエス様に戸惑いましたが、イエス様は触った者を見つけようと見回しておられました。イエス様に触れること、そしてそこから力が流れることには、“信仰による触れ方”が必要であることがわかります。
多くの人がイエス様の言葉を聞き、イエス様の周りにいましたが、信仰をもって受け入れなければ、イエス様からの力は流れません。
マルコによる福音書5章33-34節
5:33 その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。
5:34 イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。
女性は恐れおののきながら進み出て、イエス様の前にひれ伏し、すべてをありのままに話しました。イエス様は彼女に《娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」》と言われました。イエス様は、ご自身の癒しの力ではなく、彼女の積極的な信仰の一歩を強調されたのです。
ヘブル人への手紙11章6節に、
11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。
とあるように、私たちにとって最も大切なのは、イエス様の愛と施しを受け取る信仰です。そしてイエス様は、彼女に平安と根本的な解決を与えられました。
今回、イエス様がゲラサ人の地方からカペナウムに戻ると、会堂司ヤイロが瀕死の娘のためにひれ伏して助けを求めます。その途上で、12年間長血を患っていた女性が、イエス様の“み衣”に触れるという積極的な信仰によって癒されます。
この女性の物語は、絶望的な状況にあっても、信仰をもってイエス様に近づく者に、イエス様が惜しみなく癒しと平安を与えてくださることを教えています。これは、私たち自身の心と状況にも当てはまる、力強い希望のメッセージです。
2026年4月19日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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