ショートメッセージ【マルコの福音書5章_3】
マルコによる福音書5章35-43節
(死を打ち破る主の権威:信じる者にだけ見せる力)
2、病を制する方:死の知らせと復活の信仰 (前回の続き)
(3)信じる者だけに見せる力
マルコによる福音書5章35-36節
5:35 イエスが、まだ話しておられるうちに、会堂司の家から人々がきて言った、「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい」。
5:36 イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。
長血の女性を癒されている間、ヤイロの家から人々が来て《「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい」》と告げました。会堂司ヤイロにとって、この奇跡の出来事は娘の死という決定的な時と重なりました。しかしイエス様は、その諦めの言葉を聞き流し、ヤイロに《「恐れることはない。ただ信じなさい」》と言われました。
この《ただ信じなさい》という言葉は、ヤイロがそれまで持っていた信仰を、さらに全く理解できない状況の中でも信頼し続けるように励ますものでした。アブラハムが愛する一人子イサクを捧げる命令を受けた時、復活の信仰を持って信じ続けたように、イエス様はヤイロにも、死という最も大きな絶望の中で信頼することを求めたのです。
マルコによる福音書5章37節
5:37 そしてペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、ついて来ることを、だれにもお許しにならなかった。
イエス様は、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人という厳選された弟子たちと、少女の両親だけを連れて、家に入られました。これは、その後の高山での変貌やゲッセマネの園での出来事と同様に、イエス様にとって非常に重要な場面において、彼らが特別な証人として選ばれたことを示しています。
マルコによる福音書5章38-39節
5:38 彼らが会堂司の家に着くと、イエスは人々が大声で泣いたり、叫んだりして、騒いでいるのをごらんになり、
5:39 内にはいって、彼らに言われた、「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」。
家に着くと、人々が大声で泣き叫び騒いでいました。当時のユダヤ人の葬儀には雇われの泣き屋がいたため、嘆きが誇張されていた可能性もあります。イエス様は彼らに《「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」》と言われました。イエス様が《眠っている》と言われたのは、その死が一時的なものであり、復活する希望があることを示すためでした。
マルコによる福音書5章40節
5:40 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなの者を外に出し、子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所にはいって行かれた。
しかし、人々はイエス様をあざ笑いました。これまでの泣き叫びから一転してあざ笑う姿は、人間の感情の移ろいやすさと、イエス様の言葉に対する不信仰を示していました。そのため、イエス様はそのような不信仰な人々を外に出し、信仰のある者たちだけを連れて、少女のいる部屋に入られました。この出来事もまた、信仰がなければ復活を見ることもできないことを明確に教えています。
マルコによる福音書5章41節
5:41 そして子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。
イエス様は少女の手を取って《「タリタ、クミ」》(《「少女よ、さあ、起きなさい」》という意味のアラム語)と言われました。
イエス様の言葉は、弱っている人々への優しい気持ちが込められていました。このイエス様の言葉に倣い、後に使徒ペテロも死者の中から女弟子のドルカスをよみがえらせています。
マルコによる福音書5章42節
5:42 すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに打たれた。
すると、少女はすぐに起き上がり、歩き出しました。人々は口もきけないほどの非常な驚きに打たれました。イエス様の御業は、人間の常識をはるかに超えるものであり、まさに神さまのご介入とはこのようなものです。
この少女が12歳であったことは、12年間長血を患っていた女性の年数と重なります。女性が病の問題を持ち始めた頃に、この少女は生まれたのかもしれません。
二人の人生は対照的ですが、主イエス様はどちらにも憐れみと恵みを施されました。これは恵みの多様性を示しています。さまざまな人生経験や証があり、それらの焦点が神さまの栄光へと結びついているのです。
マルコによる福音書5章43節
5:43 イエスは、だれにもこの事を知らすなと、きびしく彼らに命じ、また、少女に食物を与えるようにと言われた。
イエス様は、この出来事を誰にも知らせないようにと厳しく命じ、また少女に食事を与えるようにと言われました。イエス様は、ご自身の偉大な力を不必要に見せびらかすことをされませんでした。もっと大切なことは、ご自身を慕い求め、信じる者に、その素晴らしさを知ってもらうことだからです。信じない者には、その栄光も力も理解することはできません。主は、私たち一人ひとりに個人的に、ご自身の優しさと愛と共にお見せになるのです。
今回は、マルコによる福音書5章のクライマックス、すなわち死んだ娘が復活する奇跡について学びました。
会堂司ヤイロの娘の死の知らせを受けた際、イエス様は《「恐れることはない。ただ信じなさい」》と励まされました。これは、最も絶望的な状況においても、イエス様への揺るぎない信仰がすべてを変える力を持つことを示しています。
そしてイエス様が、ヤイロに《「恐れることはない。ただ信じなさい。」》と言われたこと、そして娘を起きあがらせたことから、会堂司ヤイロは、「背に腹は代えられない」というような心でイエス様を頼ったのではないでしょう。
会堂司という立場を捨てて、娘の命を助けてほしい。と、心の底からイエス様を信じ頼ったからこそイエス様は、そのようなヤイロの心を見られて《「恐れることはない。ただ信じなさい。」》と言ったのでしょう。
イエス様をあざ笑う不信仰な人々を退け、信仰を持つ者たちだけに奇跡を現されたことは、神さまの力が信じる者たちにのみ、その真価を示すことを教えています。
アラム語で《「タリタ、クミ」》という優しい言葉で少女を生き返らせたイエス様の姿は、死をも打ち破る主イエス様の絶対的な権威と、私たち一人ひとりへの深い憐れみと愛を現しています。
12年間苦しんだ女性と12歳の少女の物語は、人生の様々な局面で主が与える恵みの多様性を象徴しています。
長血を患った女性の発病から癒されるまでの12年間。12歳の少女のこれまでの生きてきた期間は奇しくも同じです。
神さまは、時をも支配されておられます。そして私たちが、願い・祈り求めれば神さまの適切な時にご介入されることを学ぶことができます。
イエス様は、ご自身の栄光を不必要に示すことなく、ご自身を慕い求め、信じる者の心に個人的に語りかけ、真の救いと平安をもたらしてくださるのです。
私たちもこの恵みを受け入れ、信仰をもって主に従っていきましょう。
2026年4月26日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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