ショートメッセージ【マルコの福音書4章_3】

マルコによる福音書4章33-41節
(試練の中での信仰の実践:みことばに聞き従う力)

1、御言葉の解き明かしと実践への招き
2、嵐の試練と信仰の欠如
3、御言葉の権威と信仰の再認識

 これまでの2回で、マルコによる福音書4章から「みことばに聞く」ための心の土台と、御言葉の支配がもたらす内と外への影響、そして神の国の成長について学びました。今回は、この御言葉に聞き従うことが、実際の人生の試練の中でどのように実践されるのかを見ていきたいと思います。

1、御言葉の解き明かしと実践への招き
 はじめに、マルコによる福音書4章33-35節を読みます。

4:33 イエスはこのような多くの譬で、人々の聞く力にしたがって、御言を語られた。
4:34 譬によらないでは語られなかったが、自分の弟子たちには、ひそかにすべてのことを解き明かされた。
4:35 さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。

 イエス様は、このような多くの“たとえ”で、人々の聞く力にしたがって御言葉を語られました。誰も何も理解できないということはなく、一人ひとりの理解力や聞きとれる力に応じて語られたのです。そして、群衆には“たとえ”で語られましたが、ご自身の弟子たちには、ひそかにすべてのことを解き明かされました。今は、私たちにご聖霊が真理を解き明かしてくださいます。
 イエス様はヨハネによる福音書16章13節で、

16:13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。

 と言われました。

 そして、イエス様は弟子たちに実践の場を与えられました。夕方になり、イエス様は弟子たちに《「向こう岸へ渡ろう」》と言われました。
 これは、マルコが伝えたかった重要なメッセージの一つです。弟子たちは群衆を後に残し、イエス様が舟に乗っておられるまま、乗り出しました。他の舟も一緒に行ったとあります。ここまでは、まさに座学で学んだとおりに、イエス様の御言葉に聞き従っています。

2、嵐の試練と信仰の欠如
 しかし、彼らが御言葉に従って進んでいるまさにその時、試練が訪れました。
 マルコによる福音書4章36-38節

4:36 そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。
4:37 すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。
4:38 ところが、イエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。

 と記されています。私たちは「御言葉のために困難や迫害が起こる」ことを学びましたが、まさにその通りになりました。

 ところが、イエス様ご自身は、舟の舳(へさき)の方で枕をして眠っておられました。
 イエス様は人々に多く奉仕されたのでひどく疲れておられたのかもしれませんし、あるいは弟子たちに信仰のレッスンを与えるために、あえて眠っておられたのかもしれません。
 弟子たちは嵐と波に直面し、恐怖に駆られてイエス様を起こし、《「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」》と言いました。彼らは《「向こう岸へ渡ろう」》というイエス様の御言葉を手放してしまい、目に見える嵐と舟に入り込む水に心を奪われてしまったのです。

3、御言葉の権威と信仰の再認識
 では、続きを読んでみましょう。マルコによる福音書4章39節です。

4:39 イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。

 イエス様は起き上がって風を叱り、海に向かって《「静まれ、黙れ」》と言われました。すると、《風はやんで、大なぎになった》のです。イエス様の御言葉は、自然界をも支配する力を持っています。その同じ御言葉が、私たちの心にも働きます。だからこそ、私たちがどんなに弱い存在であっても、御言葉の力によって強くなることができるのです。
 次は、マルコによる福音書4章40節です。

4:40 イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。

 イエス様は、恐れおののく弟子たちに《「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」》と叱責されました。
 彼らは目に見える状況に左右され、御言葉を手放してしまったのです。
 ここで少し信仰について見てみましょう。ヘブル人への手紙11章1節です。

11:1 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

 と教えています。
 私たちの人生では、目に見える状況が御言葉と反対になることが“しばしば”あります。そのような時に、目に見えないものを確信させる信仰が私たちには必要なのです。
 続いて、ヘブル人への手紙4章2節を読みます。

4:2 というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言葉は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。

 このように、御言葉を聞いても、信仰をもって聞かなければ益にならないと、語っています。
 弟子たちは《「向こう岸へ渡ろう」》という御言葉を聞きながらも、押し寄せる水とみことばを信仰によって結びつけなかったのです。
 そして、《イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」》を注目すると、二重構造になっています。
 ・外側は、風と海を鎮める。
 ・内側は、弟子たちの心を鎮める。
 だからこそ、その直後に《「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」》と語られたのだと思います。

 私たちは、朝に心に迫る御言葉を、昼間に出会う出来事に信仰をもって結びつけているでしょうか。
 マルコによる福音書4章41節を読みましょう。

4:41 彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。

 弟子たちは嵐を鎮めたイエス様を見て、恐れおののき、互いに《「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」》と言いました。
 彼らはイエス様が病人を癒し、悪霊を追い出すのを数多く見てきましたが、自然界が言うことを聞くのを見るのは初めてだったのです。
 この方は単なるラビでもなく、奇跡を行う預言者でもなく、まさしく神の子キリストであることを、弟子たちはこの出来事を通して深く認識し始めたのです。

 今回の学びでは、御言葉に聞き従うことが、困難な状況においていかに試されるかを見ました。
 弟子たちはイエス様の御言葉に従って出発したにもかかわらず、嵐の試練の中で恐怖に囚われ、御言葉を手放してしまいました。しかし、イエス様は風と海を鎮め、ご自身が自然界をも支配する神の子キリストであることを示されました。

 私たちは、目に見える状況に惑わされず、御言葉と信仰を強く結びつけることが重要です。
 イエス様の権威と力を信頼し、どのような試練の中にあっても、御言葉に聞き従う信仰を実践していくことこそが、私たちに真の安息と力を与える道なのです。

2026年3月29日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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