ショートメッセージ【マルコの福音書6章_1】
マルコによる福音書6章1-13節
(郷里での不信仰と使徒の派遣)
1、郷里ナザレでのイエス様への不信仰
2、十二使徒の派遣と権威
3、まとめ
1、郷里ナザレでのイエス様への不信仰
マルコによる福音書6章1-3節
6:1 イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った。
6:2 そして、安息日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った、「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろう。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。
6:3 この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。こうして彼らはイエスにつまずいた。
イエス様はヤイロの家を去り、故郷のナザレに赴かれました。弟子たちもこれに従いました。
安息日になると、イエス様は会堂で教え始められ、多くの人々はの教え、知恵、そして力ある業に驚きました。しかし、彼らは《この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。》と言い、イエス様につまずきました。
ナザレの人々は、約30年間共に生活してきた「人間としてのイエス様」という経験からしかイエス様を見ませんでした。カペナウムの人々が教えや力ある業によってイエス様を預言者やキリストと認めたのとは対照的です。
私たちは、自分の考えや経験からキリストを見るのではなく、イエス様の教えや御業を通してキリストを見るべきです。
マルコによる福音書6章4-6節
6:4 イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」。
6:5 そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。
6:6 そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。それからイエスは、附近の村々を巡りあるいて教えられた。
イエス様は《「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」。》と言われました。結果として、イエス様はナザレでは《力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。》のです。イエス様は彼らの不信仰に驚き怪しまれました。私たちの不信仰は、キリストの御力を体験する妨げとなるのです。このため、イエス様は近くの村々を巡り教えていかれました。
2、十二使徒の派遣と権威
マルコによる福音書6章7-10節
6:7 また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして、彼らにけがれた霊を制する権威を与え、
6:8 また旅のために、つえ一本のほかには何も持たないように、パンも、袋も、帯の中に銭も持たず、
6:9 ただわらじをはくだけで、下着も二枚は着ないように命じられた。
6:10 そして彼らに言われた、「どこへ行っても、家にはいったなら、その土地を去るまでは、そこにとどまっていなさい。
イエス様はご自身の働きを各地へ広げるため、十二弟子を呼び寄せ、二人ずつ派遣されました。彼らには《けがれた霊を制する権威》が与えられました。これは、キリストの権威の下にある者が、人々に真理を見えなくさせている悪魔の働きを追い出す力を持つことを示しています。
二人ずつ派遣されたのは、宣教の働きにおいて同労者がいることの重要性を教えています。
イエス様は弟子たちに、旅のために《つえ一本のほかには何も持たないように、パンも、袋も、帯の中に銭も持たず、ただわらじをはくだけで、下着も二枚は着ないように》と命じられました。これは、彼らが全面的に神さまを信頼し、神さまが備えてくださるものに頼って歩むべきことを示しています。
マルコによる福音書6章11-13節
6:11 また、あなたがたを迎えず、あなたがたの話を聞きもしない所があったなら、そこから出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足の裏のちりを払い落しなさい」。
6:12 そこで、彼らは出て行って、悔改めを宣べ伝え、
6:13 多くの悪霊を追い出し、大ぜいの病人に油をぬっていやした。
次に、彼らを歓迎せず、話を聞かない地域・場所があった場合は、《そこから出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足の裏のちりを払い落しなさい》と指示されました。これは、人々を回心させることまでの責任は私たちにないことを意味します。
弟子たちは派遣され、実際に《悔改めを宣べ伝え、多くの悪霊を追い出し、大ぜいの病人に油をぬっていやした》のです。彼らはキリストの権威によって罪から解放される人々を目の当たりにし、癒しの働きも行いました。
3、まとめ
今回は、イエス様が故郷ナザレで人々から受けた不信仰と、その結果として力ある業が行われなかった出来事を学びました。
人々は、イエス様を自分の知っている「大工の息子」という経験に基づいてしか見なかったため、イエス様の真の権威と力を認識できませんでした。
しかし、イエス様は福音の働きが拒まれても立ち止まることなく、宣教方法を変えて十二弟子を二人ずつ派遣し、彼らに悪霊を制し、病を癒す権威を与えました。この派遣は、弟子たちが全面的に神さまを信頼し、神さまの備えに歩むことの重要性を示しており、福音の働きは個人の経験や不信仰によって妨げられることなく、神さまの権威によって進展することを強調しています。
私たちも兄弟姉妹の証しを聞くとき、私たちより若い人から聖書の話しを聞く場面の際、そのようなフィルターを外して、話される方に神さまが働いておられることを覚え、聞く耳をもって聞きたいと思います。きっと、恵まれます。神さまにへりくだるというのは、そのような心持ちを言うのでしょう。
2026年5月3日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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