ショートメッセージ【マルコの福音書6章_3】

マルコによる福音書6章30-56節
(弟子たちの鈍い心とイエス様の癒しの力)

1、5千人の給食と弟子たちの学び
2、水上歩行と弟子たちの不信仰
3、群衆の信仰と癒しの広がり

1、5千人の給食と弟子たちの学び
 マルコによる福音書6章30-34節

6:30 さて、使徒たちはイエスのもとに集まってきて、自分たちがしたことや教えたことを、みな報告した。
6:31 するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
6:32 そこで彼らは人を避け、舟に乗って寂しい所へ行った。
6:33 ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた。
6:34 イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。

 派遣から戻った十二使徒は、イエス様のもとに集まり、自分たちがしたことや教えたことを報告しました。イエス様は、働きで疲れた彼らに《…寂しい所へ行って、しばらく休むがよい》と言われました。しかし、群衆は彼らを追いかけ、先回りして彼らが到着する場所に集まっていました。イエス様は舟から上がり、群衆が《飼う者のない羊のようなその有様》であるのを見て深く憐れみ、彼らにいろいろと教え始められました。
 マルコによる福音書6章35-44節

6:35 ところが、はや時もおそくなったので、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。
6:36 みんなを解散させ、めいめいで何か食べる物を買いに、まわりの部落や村々へ行かせてください」。
6:37 イエスは答えて言われた、「あなたがたの手で食物をやりなさい」。弟子たちは言った、「わたしたちが二百デナリものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか」。
6:38 するとイエスは言われた。「パンは幾つあるか。見てきなさい」。彼らは確かめてきて、「五つあります。それに魚が二ひき」と言った。
6:39 そこでイエスは、みんなを組々に分けて、青草の上にすわらせるように命じられた。
6:40 人々は、あるいは百人ずつ、あるいは五十人ずつ、列をつくってすわった。
6:41 それから、イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさき、弟子たちにわたして配らせ、また、二ひきの魚もみんなにお分けになった。
6:42 みんなの者は食べて満腹した。
6:43 そこで、パンくずや魚の残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。
6:44 パンを食べた者は男五千人であった。

 夕方になり、弟子たちはイエス様へ、群衆を解散させ、食べ物を買いに村々へ行かせるよう提案しましたが、イエス様は《「あなたがたの手で食物をやりなさい」》と言われました。そこで弟子たちは、200デナリものパンを買うことはできないと、自分たちの無力さを訴えました。
 イエス様は、弟子たちに持っているパンの数を確認させ(五つのパンと二ひきの魚)、その後、群衆を組に分けて座らせました。そして、パンと魚を取り、天を仰いで神さまを賛美し、パンを裂いて弟子たちに配らせました。イエス様の手の中でパンと魚は増え、創造主にしかできない奇跡が行われました。結果として《みんなの者は食べて満腹》し、パンくずと魚の残りを集めると《十二のかごにいっぱいになった》のです。《パンを食べた者は男五千人》でした。

2、水上歩行と弟子たちの不信仰
 マルコによる福音書6章45-52節を読みます。

6:45 それからすぐ、イエスは自分で群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸のベツサイダへ先におやりになった。
6:46 そして群衆に別れてから、祈るために山へ退かれた。
6:47 夕方になったとき、舟は海のまん中に出ており、イエスだけが陸地におられた。
6:48 ところが逆風が吹いていたために、弟子たちがこぎ悩んでいるのをごらんになって、夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らに近づき、そのそばを通り過ぎようとされた。
6:49 彼らはイエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。
6:50 みんなの者がそれを見て、おじ恐れたからである。しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。
6:51 そして、彼らの舟に乗り込まれると、風はやんだ。彼らは心の中で、非常に驚いた。
6:52 先のパンのことを悟らず、その心が鈍くなっていたからである。

 イエス様は群衆を解散させ、弟子たちを舟に乗せて向こう岸のベツサイダへ先に行かせ、ご自身は祈るために山へ退かれました。
 夕方になり、舟はガリラヤ湖の真ん中にありましたが、逆風が吹いていたため、弟子たちは漕ぎ悩んでいました。夜明けの四時ごろ、イエス様が《海の上を歩いて彼らに近づき》ましたが、弟子たちはイエス様を《幽霊だと思い、大声で叫んだ》のです。
 イエス様はすぐに《「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」》と声をかけられ、舟に乗り込まれると風はやみました。
 弟子たちは《心の中で、非常に驚いた》のですが、著者マルコは続けて《先のパンのことを悟らず、その心が鈍くなっていたからである。》と記しています。
 彼らはイエス様の奇跡を間近で見ていたにもかかわらず、その真の意味を理解せず、主なるイエス様を救い主以外のものとして捉えて恐れてしまうという問題を抱えていました。

 私たちも、主なる神さまの恵みや守りの中にいるがゆえに、それらに鈍感になってしまう危険性があります。

3、群衆の信仰と癒しの広がり
 マルコによる福音書6章53-56節を読みます。

6:53 彼らは海を渡り、ゲネサレの地に着いて舟をつないだ。
6:54 そして舟からあがると、人々はすぐイエスと知って、
6:55 その地方をあまねく駆けめぐり、イエスがおられると聞けば、どこへでも病人を床にのせて運びはじめた。
6:56 そして、村でも町でも部落でも、イエスがはいって行かれる所では、病人たちをその広場におき、せめてその上着のふさにでも、さわらせてやっていただきたいと、お願いした。そしてさわった者は皆いやされた。

 彼らはゲネサレの地に到着し、イエス様が舟から上がると、すぐに人々はイエス様と知って、癒しを求めて病人を床に乗せて運び始めました。
 イエス様が入られる村、町、部落のどこでも、人々は病人を広場に置き、《せめてその上着のふさにでも、さわらせてやっていただきたい》と願い、そして《さわった者は皆いやされた。》とあります。ここでは、イエス様に“さわる”という行動が強調されています。この行為は、私たちがイエス様の御力を体験するために、自分の必要をイエス様に大胆に伝え、それを取り扱っていただくことが必要であることを示唆しています。

まとめ
 今回は、イエス様が《飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで》見てくださっていることを学びました。また、5千人の給食という奇跡を通して、弟子たちに自分たちの無力さと神さまの無限の供給力、すなわち食料の満たしを与えてくださることも学びました。
 しかし、その後ガリラヤ湖で水上歩行をされた際、弟子たちはイエス様を幽霊と見間違え、6章52節の《先のパンのことを悟らず、その心が鈍くなっていた》ことが示されました。
 これは、弟子たちがイエス様の力ある御業を目の当たりにしながらも、その真の意味やご自身が神の子であるという本質を理解しきれていなかったことを露呈しています。
 それにもかかわらず、ゲネサレの地に集まった群衆は、イエス様の衣の“ふさ”に触れるだけで癒されるという信仰を示し、イエス様は彼らの信仰に応えて多くの人々を癒されました。
 これらのことは、イエス様の力ある業が、不信仰や鈍い心によって完全に阻まれることなく、大胆に神さまに近づく信仰を持つ者には現れることを教えています。

 私たちは、日々の生活の中で主なる神さまの恵みを見過ごさず、自分の経験や考えにとらわれずに、キリストの権威と力を意識し、大胆に主に近づく信仰が求められているのです。

2026年5月17日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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