ショートメッセージ【マルコの福音書4章_2】

マルコによる福音書4章21-32節
(御言葉の支配がもたらす“実”と神の国の成長)

1、御言葉の光がもたらす外への影響
2、御言葉がもたらす内への影響と神の国の成長
(1)信者の内的成長:おのずから育つ種のたとえ
(2)教会の成長:からし種のたとえ

 前回は、マルコによる福音書4章の前半から「御言葉に聞くための心の土台」として、種まきのたとえと四種類の聞き方について学びました。今回は、御言葉が私たちの中でどのように働き、神の国がどのように広がっていくのかを見ていきたいと思います。

1、御言葉の光がもたらす外への影響
 マルコによる福音書4章21-22節

4:21 また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。
4:22 なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。

 イエス様は「あかりのたとえ」を語られました。あかりは、ますの下や寝台の下に置くためではなく、燭台の上に置いて周りを照らすためのものです。これは、私たちが御言葉を受け入れた状態を表しています。私たちは暗闇から光の中に移された者であり、その光は隠しておくべきものではなく、周りに影響を与えるためのものだとイエス様は言われています。私たちの心が御言葉で満たされるだけでなく、それが溢れ出て、周囲の人々に影響を与えるようになるのです。

 イエス様はさらに《「なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない」》とも言われました。これは、私たちが人に見せつけるために良い行いをするのではなく、隠れたところでの行いが、いつの間にか現れて明らかにされることを意味します。
 次に、マルコによる福音書4章23-25節を読みます。

4:23 聞く耳のある者は聞くがよい」。
4:24 また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。
4:25 だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。

 また、イエス様は《「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。》と言われました。
 私たちが御言葉によって心が変えられ、自分自身に与えられたモノを他の人に分かち与えるとき、人間的には失うように思えますが、イエス様は「与えたら、与えられて、与えた以上に与えられる」と教えられました。
 これは奉仕の働きでよく経験することです。御言葉を受け入れている人は、この世でも祝福を受けますが、神さまの御国ではさらに多くの祝福が与えられます。しかし、御言葉を受け入れていない人は、御国に入ることはできず、この世にある富や栄光までもが取り上げられてしまうと警告されています。

2、御言葉がもたらす内への影響と神の国の成長
 次に、御言葉が私たち自身の中でどのように働くのかについて、2つのたとえが語られました。
(1)信者の内的成長:おのずから育つ種のたとえ
 マルコによる福音書4章26-29節を読みます。

4:26 また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。
4:27 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
4:28 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。
4:29 実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。

 種をまいた人は、夜昼、寝起きしている間に種が芽を出し育っていくが、どうしてそうなるのかを知りません。
 地はおのずから実を結ばせるものであり、人手に頼るものではありません。これは、私たちが日常生活を送っている間に、気づかないうちに御言葉が私たちを大きく変えていることを教えています。
 御言葉を聞いて受け入れているうちに、いつの間にかキリストの似姿に変えられているのです。私たちが汗を流して努力するのではありません。御言葉を聞き、受け入れ、イエス様を礼拝していれば、私たちが礼拝している方のように変えられていくのです。

 そして、《実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである》とあります。
 この《かまを入れる》のは、キリストご自身です。イエス様が再び来られるとき、私たちのうちに結ばれた実を刈り取りに来られるのです。私たちが選ばれたのは、単に芽が出て茎が伸びるためではなく、実を結び、その《実》がいつまでも残るためです。どんなに良い行いであっても、それが人手によるものであれば《実》は見なされません。イエス様は、人手によらずに結ばれた《実》を刈り取られます。

(2)教会の成長:からし種のたとえ
 さらにイエス様は、神の国を《一粒のからし種のようなもの》に譬えられました。
 マルコによる福音書4章30-32節を読んでみましょう。

4:30 また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。
4:31 それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、
4:32 まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。

① 一年草が示す「神の国の躍動的な生命力」
 ここで例えられている「からし(黒からし)種」は、何十年もかけて大きくなる樹木ではなく、わずか1年でその生涯を終える一年草です。一年草でありながら、種が蒔かれてから数ヶ月で2メートルから3メートルもの高さに達するという事実は、神の国の圧倒的な生命力と、目に見える形での急激な広がりを象徴しています。

② 《空の鳥が宿る》:神の国の包容力と安らぎ
 この箇所に登場する《空の鳥》について、少し注意深く見てみましょう。
 同じ4章4節と15節の種蒔きの譬えでは、鳥は御言葉を奪い去る存在として描かれていました。しかし、30節でイエス様は《「神の国を何に比べようか。》と改めて問い直されています。これは「受け手の心」の話ではなく、「神の国そのもの」の性質を語る新しい譬えなのです。

 ここでの《空の鳥が宿る》という描写は、旧約聖書のエゼキエル書17章23節などを背景とした、「神さまの救いの完成と、すべての人への招き」を象徴しています。本来は小さな「野菜」に過ぎない《からし種》が、鳥たちが安らげるほどの豊かな《陰》を提供する。これは、神の国が、孤独な人や異邦人を含むあらゆる人々を包み込み、癒やしと休息を与える場へと成長していくという、福音の圧倒的な包容力を表しているのです。

結び
 御言葉を受け入れた私たちは、自分でも気づかないうちに、内側にある神の国の生命力によって突き動かされていきます。一粒の小さな《からし種》が、一年という限られた時の中で、見る間に大きな枝を広げるように、私たちの信仰もまた、神さまの働きによって想像を超えた広がりを見せるはずです。

 大切なのは、個人、教会という組織が立派な「大樹」になろうと背伸びすることではなく、私たちの内に蒔かれた神さまの命を信頼することです。その命が成長する時、私たちの存在そのものが、疲れた誰かが羽を休めることのできる「愛の陰」となっていくのです。この神の国の力強い躍動に身をゆだね、豊かな恵みを分かち合う歩みを共に進めていきましょう。

2026年3月22日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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