ショートメッセージ【マルコの福音書3章_3】
マルコによる福音書3章20-35節
(神の国と真の家族:聖霊に対する罪とイエス様の教え)
1、イエス様への二つの反応
(1)家族の無理解
(2)宗教指導者の中傷
2、ご聖霊をけがす罪とイエス様の反論
(1)サタンの国の内部分裂
(2)ご聖霊をけがす罪
3、新しい家族の定義
(1)肉の家族との距離
(2)神の国における家族
(3)福音による新しい絆
3章最後の学びとなる今回は、マルコによる福音書3章の20節から35節を学びます。
ここでは、イエス様の働きに対する身内と宗教指導者たちの異なる反応、ご聖霊をけがす罪についての重要な教え、そしてイエス様が定義される真の家族という新しい概念が提示されます。
1、イエス様への二つの反応
(1)家族の無理解
イエス様が家に入られると、再び群衆が集まってきて、食事をする暇もないほどでした。この状況に対し、二つのグループが反応します。
マルコによる福音書3章20-21節を読みます。
3:20 群衆がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどであった。
3:21 身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。
イエス様の身内の者たち(母マリア、兄弟ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンなど)は、イエス様のこの様子を聞いて、捕らえに出てきました。彼らはイエス様が《気が狂った》(精神的に常軌を逸した)と思ったのです。これは、イエス様の新しい宗教観(神さまのなされる御業)や行動が、家族には理解できないほどかけ離れたものに見えたことを示しています。
(2)宗教指導者の中傷
マルコによる福音書3章22節
3:22 また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
一方、エルサレムから下ってきた律法学者たちは、イエス様が悪霊を追い出す奇跡を目撃しながらも、それを否定できないため、より悪質な中傷をしました。彼らは《「彼はベルゼブルにとりつかれている」》と言い、イエス様が悪霊の頭であるサタンの力によって悪霊を追い出しているのだと主張したのです。
※ベルゼベル:本来は「家長」とか「住居の主」(バアル・ゼブール(ヘブル語))といった意味のことばであったものが、サタン、あるいは悪霊のかしらの別名として用いられるようになった。(新聖書辞典)
2、ご聖霊をけがす罪とイエス様の反論
イエス様は、律法学者たちを呼び寄せ、たとえを用いて彼らの主張の矛盾を明確にされました。
(1)サタンの国の内部分裂
マルコによる福音書3章23-27節
3:23 そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。
3:24 もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。
3:25 また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。
3:26 もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。
3:27 だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。
イエス様は、《「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。》と語られました。
悪霊追い出しは、神の国がサタンの国に攻め入っていることであり、サタンが自らその力を弱めるようなことはありえない、と論理的に反論されたのです。むしろ、イエス様が悪霊を追い出すことができるのは、まず「強い人」(サタン)を縛り上げてから、その家を略奪できるのと同じです。イエス様はサタンの支配を打ち破る力を持っていることを示唆されました。
(2)ご聖霊をけがす罪
マルコによる福音書3章28-30節
3:28 よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。
3:29 しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。
3:30 そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。
続いてイエス様は、《…人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。》という極めて重要な宣言をされます。
この《聖霊をけがす罪》とは、イエス様が間違いなく神の子でありキリストであることを証しするご聖霊の働きを、悪魔の働きと決めつけ、意図的に拒む罪を指します。
律法学者たちは、奇跡という否定できない事実を目の前にしながら、それを悪霊の力によるものとすることで、ご聖霊の恵みの働きを侮辱し、罪の赦しの道から自ら遠ざかってしまったのです。
3、新しい家族の定義
マルコによる福音書3章31-32節
3:31 さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
3:32 ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。
この律法学者たちとの対立の最中、イエス様の母と兄弟たちが外に立ち、イエス様を呼ぶために人をやりました。群衆に囲まれていたイエス様に、人々は《「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」》と告げました。
(1)肉の家族との距離
それに対し、イエス様は、次のように応えます。マルコによる福音書3章33-35節
3:33 すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。
3:34 そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
3:35 神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
(2)神の国における家族
この言葉は、イエス様が肉の家族をないがしろにしているわけではありません。しかし、神さまの御心を行うことが、肉の家族とのつながりよりも、もっと深く、最も大切なものであることを示しています。イエス様にあって下される決断は、時に肉の家族には理解されにくいものかもしれません。
(3)福音による新しい絆
神さまの福音の真理によって心が“きよめ”られ、神さまの御心を行う者たちの間には、肉の家族にも勝る深い霊的なつながりが生まれます。イエス様は、主を信じた者同士で構成される「主にある家族」「主にある国民」という、新しい共同体を確立しようとされているのです。
神さまの御心を行う信仰によって結ばれる霊的な家族の絆が、いかに深く尊いものかを示しています。私たちは、この神の家族の一員として、多様な背景を持つ兄弟姉妹を愛し、共に神の御心を行う責任があります。ご聖霊の働きに敏感であり、心を開くことです。
律法学者たちは、イエス様の明らかなご聖霊による働きを悪霊の働きと中傷し、「聖霊を冒瀆する罪」を犯しました。この罪は、永遠に赦されない罪であるとイエス様は警告されました。これは、神さまの明らかな証しを頑なに拒絶し続ける心がいかに危険であるかを示しています。
私たちの心は、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなものです。古い考え方ややり方に固執していると、ご聖霊による新しい働きを受け入れることができず、最終的には信仰的に躓きをもたらすことになります。日々、ご聖霊によって内なる人が新しくされ、イエス様が共におられることを前提に、自分の従来のやり方を捨てて、神さまの御心を行うことに積極的に取り組む必要があります。
私たちがイエス様に出会った時、自分が霊的に病を持つ者であること、訳ありの者であることを認めるならば、神さまは私たちと親密な交わりを持ってくださいます。
自分で何かを成し遂げようとする「パフォーマンス」は不要です。ただありのままの姿で、イエス様の福音を受け入れ、悔い改め、キリストに立ち返るならば、神さまは必ず私たちを赦し、変えてくださいます。その恵みを日々感謝し、大胆に神さまに従っていく者となりましょう。
この3章は、イエス様の福音の働きが、既存の宗教的・血縁的枠組みを超えた、全く新しい「神の国」と「神の家族」を創造していく過程を鮮やかに描いています。
2026年3月8日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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