ショートメッセージ【マルコの福音書6章_2】

マルコによる福音書6章14-29節
(ヘロデ王の心とバプテスマのヨハネの殉教)

1、イエス様の評判とヘロデ王の恐れ
2、バプテスマのヨハネの殉教
3、まとめ

1、イエス様の評判とヘロデ王の恐れ
 マルコによる福音書6章14-16節

6:14 さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、
6:15 他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。
6:16 ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。

 イエス様の評判はガリラヤ地方の王であるヘロデ王の耳にまで届きました。
 人々はイエス様の力ある働きについて議論し、ある者はバプテスマのヨハネが死人の中からよみがえってきたのだと考え、その力が彼のうちに働いているのだと言いました。他の人々は《「彼はエリヤだ」》と言ったり、また他の人々は《「昔の預言者のような預言者だ」》 と言ったりしました。しかし、ヘロデはこれらの話を聞いて、《「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」》と言いました。ヘロデは肉体的にヨハネを殺しましたが、彼の心の中ではヨハネは生きており、イエス様の力ある働きがヨハネの復活を思いこませ(信じさせ)、ヨハネが語った神さまの御言葉がヘロデの心に突き刺さっていたのです。

2、バプテスマのヨハネの殉教
 マルコによる福音書6章17-20節

6:17 このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。
6:18 それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。
6:19 そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。
6:20 それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。

 ヘロデは、自身の異母兄弟ピリポの妻ヘロデヤを妻に迎えていましたが、ヨハネはこの不道徳な関係を《「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」》と正面から指摘しました。この勇敢な預言者ヨハネの姿は、世の権力をも恐れずに罪を指摘するエリヤの姿と重なります。
 ヘロデヤはヨハネを深く恨み、彼を殺そうと企んでいましたが、ヘロデがヨハネを《正しくて聖なる人である》と知って彼を恐れ、保護を加え、彼の教えを聞いて悩みながらも喜んでいたため、すぐに実行できませんでした。
 マルコによる福音書6章21-29節

6:21 ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、
6:22 そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、
6:23 さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。
6:24 そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。
6:25 するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。
6:26 王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。
6:27 そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、
6:28 盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。
6:29 ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。

 ヘロデは、不道徳な関係を維持したいという思いと、ヨハネの純潔さを好むという「二心」を抱いており、ヨハネを抑留することで妥協を図っていました。

 しかし、良い機会が訪れました。ヘロデの誕生日の宴会で、ヘロデヤの娘が踊りを披露し、ヘロデと列席者を喜ばせました。酔いしれたヘロデは、娘に《「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」》 《「ほしければ、この国の半分でもあげよう」》と誓って約束しました。
 娘は母ヘロデヤに何を願うべきか尋ね、母は《「バプテスマのヨハネの首を」》と答えました。娘はすぐに王のもとへ行き、《「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」》と願いました。王は非常に困惑しましたが、誓ったことと列席者の手前もあり、その願いを退けることができず、衛兵に命じて獄中でヨハネの首を切らせました。

 ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、彼の遺体を引き取って墓に納めました。ヨハネの死は、イエス様の先駆者としての彼の役割を象徴しています。ヘロデの弱さは、神さまの教えに関心があっても、自分の生活に適用する勇気がないこと、そして真理よりも世間体やメンツを優先してしまうことによって、最終的に真理を押しつぶしてしまう可能性を示唆しています。

 マルコによる福音書に描かれるヘロデ王(ヘロデ・アンティパス)の姿は、権力者の傲慢さというよりは、「葛藤と弱さに翻弄される人間」の心理を実に見事に描き出しています。

 ここで、ヘロデの心の動きをいくつかのキーワードで読み解きます。
① 認知的不協和
 ヘロデは、ヨハネを「正しくて聖なる人」と認め、その教えを「喜んで聞いていた」一方で、自分の不道徳(兄弟の妻をめとったこと)を厳しく批判されていました。
心理状態:自分を全否定する相手を「正しい」と感じてしまう矛盾です。
反  応:この不快な緊張状態を解消するために、ヨハネを殺すのではなく「保護(投獄)」するという中途半端な妥協案をとりました。尊敬と反感の板挟みになり、心が引き裂かれている状態です。

② アンビバレンス(両価性)
 ヘロデがヨハネの《教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていた》(20節)という描写は、典型的なアンビバレンスです。
心理状態:同一の対象に対して、正反対の感情(敬意と恐怖、快感と苦痛)を同時に抱くことです。
背  景:ヨハネの言葉に真理を感じて魂が揺さぶられる一方で、今の地位や生活を捨てられないエゴが衝突しています。

③ 社会的評価への過度な懸念
 最も悲劇的なのは、祝宴の場面での決断です。ヨハネを殺したくない(非常に困った)のに、殺害を命じてしまいました。
心理状態:「同調圧力」と「面子(メンツ)」の維持です。
要  因:《列座の人たちの手前》(26節)という記述が鍵です。自分の信念よりも周囲からの評価や「一度言ったことを撤回できない(コミットメントの法則)」という心理的拘束が勝ってしまった状態と言えます。彼はヨハネの命よりも、王としての「メンツ」を優先してしまいました。

④ 魔術的思考と罪悪感
 イエス様の噂を聞いたヘロデが、真っ先に《「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」》(16節)と考えた点に注目です。
心理状態:抑圧された罪悪感の回帰です。
現  象:実際にはあり得ない因果関係を信じ込む「魔術的思考」に近い状態です。ヨハネを殺したことに対する恐怖と後悔が、彼の深層心理にこびりついていたため、新しい「力」の出現をすべて「殺した相手の復讐」として解釈してしまったのです。

 ヘロデ王は、絶対的な悪人というよりは、「良心の呵責を感じながらも、世間体や目先の欲望を捨てきれずに、望まない選択をしてしまう人間」として描かれています。
 その揺れ動く心理は、現代の私たちにも通じる普遍的な弱さと言えるかもしれません。すなわち、罪の性質です。

3、まとめ
 マルコによる福音書6章の第2回では、イエス様の力ある働きがヘロデ王にまで届き、彼がバプテスマのヨハネの復活を恐れたことに注目しました。
 これは、肉体的に死んでしまっても、神さまの御言葉の力は人々の心の中で生き続けることを示しています。続けて、バプテスマのヨハネがヘロデの不道徳な結婚を勇敢に指摘し、それが原因で殉教した経緯が詳細に語られました。ヘロデ王の優柔不断な心と、世俗的な権力や体面を真理よりも優先した結果が、ヨハネの悲劇的な死につながったのです。
 この話は、明確な悪意がなくとも、中途半端な姿勢や世俗への関心が、最終的に神さまの働きを妨げ、真理を裏切る可能性を私たちに警告しています。

2026年5月10日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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