ショートメッセージ【ヨナ①】

ヨナ書1章
(神の民とは何だろう・・・)

1、神の預言が嫌で逃げ出すヨナ
2、ヨナと水夫の違いから

1、神の預言が嫌で逃げ出すヨナ
 ヨナ書1章1節から3節を読みます。

1:1 主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨んで言った、
1:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである」。
1:3 しかしヨナは主の前を離れてタルシシへのがれようと、立ってヨッパに下って行った。ところがちょうど、タルシシへ行く船があったので、船賃を払い、主の前を離れて、人々と共にタルシシへ行こうと船に乗った。

 1節を見ますと、アミッタイという人が出てきますが、この名前の意味は「真実」という意味です。そしてヨナは「鳩」です。ですから、「真実から生まれた鳩」となります。まるで素直な人の象徴のような名前ですが、実際はどうでしょうか。

 神さまはニネベ(今のイラク北部)という町に行って神さまのことばを伝えなさいとヨナに命じるわけですが、残念ながらそれを拒絶してタルシシ(現在のスペインもしくはイタリア半島の西方のサルデーニャ島と言われています)に行くために船に乗ったと書いてあります。

 ヨナは預言者であり、名前も良いのですが、神さまの前には素直ではなく逆らっていることがわかると思います。
 当時ニネベという町はアッシリア帝国というメソポタミア・エジプトにまたがるオリエント全域を最初に統一した世界帝国の首都です。アッシリア帝国は、たびたびイスラエルに対して外交や戦争によって被害をもたらしていました。
 そういう事から、イスラエル人としてヨナがアッシリアを敵視する気持ちは理解できます。当時の世界情勢やイスラエルの背景が解かるとヨナの心情は皆さんも理解できると思います。

 しかし・・・しかしです。
 先ほど話しましたように、ヨナは神さまの預言者です。預言者の仕事は神さまの命じるままに神さまから預かったことばを宣言するのが仕事です。それを拒否するということは職務放棄をすることになり、さらに神さまに逆らう行為となるのです。

 自分の価値観や感情を中心にしては預言者の仕事はできないのです。

 今の私たちの住む日本は、職業選択の自由や働く者の権利が手厚く保証されています。その権利を履き違えて自分の価値観や感情を強く持つあまり、会社や職場の人たちとの関係や職制を無視し、迷惑をかけることはあるのではないでしょうか。しっかりと職制や権限を理解し、先ずはそこに従うこと、そして合わないものは組織で話し合い、改正していく態度と姿勢が大切です。

 この時のヨナにはそのような姿勢がなかったことは明らかです。自分の価値観や感情だけで判断することの失敗を教えてくれています。

2、ヨナと水夫の違いから
 4節を読みます。

1:4 時に、主は大風を海の上に起されたので、船が破れるほどの激しい暴風が海の上にあった。

 このようにタルシシ行きの船に乗り込んだヨナでしたが、神さまが大風(おおかぜ)を起こされて船が沈む危機となります。預言者であるヨナが、自分勝手な理由で船に乗り込んだことによって多くの船員や客員を巻き込み、命を脅かすことになりました。そして水夫たちは、積み荷を捨てて、最大限のできることをした上で自分の信仰する神々に祈っていました。ヨナはどうかというと、5節に、

1:5 それで水夫たちは恐れて、めいめい自分の神を呼び求め、また船を軽くするため、その中の積み荷を海に投げ捨てた。しかし、ヨナは船の奥に下り、伏して熟睡していた。

 と書かれています。
 自分の責任で多くの人に迷惑をかけているにも関わらず、水夫たちの真摯な姿勢と比べて皆さんはどのように感じるでしょうか。
 ヨナが原因であることが水夫たちにわかってから、ヨナは自分を海に投げ入れればこの暴風は治まることを伝えます。その後の水夫たちの様子を見てみましょう。
 1章13-16節です。

1:13 しかし人々は船を陸にこぎもどそうとつとめたが、成功しなかった。それは海が彼らに逆らって、いよいよ荒れたからである。
1:14 そこで人々は主に呼ばわって言った、「主よ、どうぞ、この人の生命のために、われわれを滅ぼさないでください。また罪なき血を、われわれに帰しないでください。主よ、これはみ心に従って、なされた事だからです」。
1:15 そして彼らはヨナを取って海に投げ入れた。すると海の荒れるのがやんだ。
1:16 そこで人々は大いに主を恐れ、犠牲を主にささげて、誓願を立てた。

 水夫たちはヨナをすぐに海に投げ入れることはしませんでした。ヨナのせいで、命の危機に陥っているにもかかわらず何とか最後まで助けようとしているのです。それでもみんなの命に変えられない中でこのように言いました。もう一度14節を見ましょう。

1:14 そこで人々は主に呼ばわって言った、「主よ、どうぞ、この人の生命のために、われわれを滅ぼさないでください。また罪なき血を、われわれに帰しないでください。主よ、これはみ心に従って、なされた事だからです」。

 この言葉によく似た律法の個所がありますので、そこも見てみましょう。申命記21章8節です。

21:8 主よ、あなたがあがなわれた民イスラエルをおゆるしください。罪のない者の血を流したとがを、あなたの民イスラエルのうちにとどめないでください。そして血を流したとがをおゆるしください』。

 水夫たちは神々を拝んでいますからイスラエル人ではないでしょう。ですから律法は知らないと考えられます。しかし、イスラエルの神を恐れる心、そして何が何でもヨナを助けたいと願う隣人を愛する心、また神々ではありますが、神に対する信仰心があったこと、これらが相まって水夫たちはイスラエルの民の模範のような行動をしたということです。

 ヨナはイスラエル人であり、その中でも預言者という立場であったにもかかわらず、神さまの命令を聞かず、隣人も愛さず、神さまへの恐れもないという事が書かれてあり、皮肉にもヨナと水夫たちとの神さまへの態度には大きな違いがあります。
 このように見ると信仰の成長、人格の成長は、立場や地位は関係ないことがわかります。
 
 人は、生命の危険や大きな災害があると心根が態度や姿勢に表れます。天地万物をご創造されたお方は、自然界をも使って人の心根に働きかけをなさいます。そして、神さまは、いつも私たちを見ておられます。心の奥底まで。
 私たちは、私たち自身が知らない領域がありますが、神さまはその領域を見て私たちの成長に働きかけておられます。

2023年7月23日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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