ショートメッセージ【パウロ登場前の出来事②】

使徒行伝1章
コリント人への第一の手紙14章
他、旧約聖書の一部

(ペンテコステ=ご聖霊の降臨)

1、使徒の補充
(1)詩篇の預言
(2)聖書における“くじ”の意味
2、聖霊の満たし
(1)ご聖霊の降臨
(2)いろいろの他国の言葉で語り

1、使徒の補充
(1)詩篇の預言と成就

 使徒行伝1章15‐26節までは、イスカリオテのユダが、主イエス・キリストを裏切ったことで使徒に欠員が生じ、代わりの使徒を新たに選び欠員を補充するという事が記されています。
 このことは、神さまのご計画が示されている箇所です。使徒行伝1章16節にイエス様を裏切った《ユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言したその言葉は、成就しなければならなかった》という部分です。ユダが裏切ったことは、ある意味で神さまのご計画における必然性があったと言えます。
 ここで、ルカによる福音書24章44節を読みます。

24:44 それから彼らに対して言われた、「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。

 このルカによる福音書24章44節で注目していただきたいのは、神さまの指し示す御言葉の成就に“詩篇”が加えられていることです。
 旧約聖書の書かれてあることが、新約聖書に成し遂げられた出来事として、“律法”や“預言書”の記載が印象深いと思いますが、使徒行伝1章では、イエス様に起こった出来事は、“詩編”に書かれてあることが預言されています。

 ペテロがユダの裏切りのことを、詩篇を通して説明します。
 使徒行伝1章16節を読みます。

1:16 「兄弟たちよ、イエスを捕えた者たちの手びきになったユダについては、聖霊がダビデの口をとおして預言したその言葉は、成就しなければならなかった。

 ペテロは使徒行伝1章20節で詩編の2か所から語っています。

1:20 詩篇に、/『その屋敷は荒れ果てよ、/そこにはひとりも住む者がいなくなれ』/と書いてあり、また/『その職は、ほかの者に取らせよ』/とあるとおりである。

 前半部が詩篇69篇25節、後半部が詩篇109篇8節と、この二箇所の詩篇が、ユダの“のろわれた”地所とユダに代わる使徒補完について預言していました。

 使徒行伝1章23-26節を読みます。

1:23 そこで一同は、バルサバと呼ばれ、またの名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立て、
1:24 祈って言った、「すべての人の心をご存じである主よ。このふたりのうちのどちらを選んで、
1:25 ユダがこの使徒の職務から落ちて、自分の行くべきところへ行ったそのあとを継がせなさいますか、お示し下さい」。
1:26 それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当ったので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。

 この使徒1名補充に3つのステップを踏んでいます。
 1つ目は候補の23節で《ユスト》《マッテヤ》を立てたことです。2人の名前は、ここにしか記されていませんが、使徒として条件に適った人物でした。
 2つ目は24-25節で、イエス様へ選んでいただく祈りをしていることです。
 3つ目は、《くじ》による最後の選択です。弟子たちから見た資格審査と、神さまの選別の両方によって、教会の指導者が立てられることになりました。
 その《くじ》はマッテヤに当たりました。こうして、人的に教会の始まりの準備が整いました。

(2)聖書における“くじ”の意味
 ここで皆さん《くじ》について、さまざまな疑問が湧いてきていると思いますので、《くじ》について解説をします。
 結論から言いますと、古代の人たちは“くじ”をよく用いたそうです。何かを選択する・選別するといったとき、神さまに祈り、神さまのお考えを見出すために行なわれていたようです。
 旧約聖書に書かれている“くじ引き”を見ますと、ウリムとトンミム(出エジプト記28章30節、レビ記8章8節)もそのために用いられました(民数記27章21節、エズラ記2章63節、ネヘミヤ記7章65節)。そのウリムとトンミムは、木片や石、金属など諸説あり、具体的には解っていません。また、辞典によりますとダビデの治世以後は使われなくなったようです。
 出エジプト記28章30節を読みます。

28:30 あなたはさばきの胸当にウリムとトンミムを入れて、アロンが主の前にいたる時、その胸の上にあるようにしなければならない。こうしてアロンは主の前に常にイスラエルの子たちのさばきを、その胸に置かなければならない。

 続けて、民数記27章21節を読みます。

27:21 彼は祭司エレアザルの前に立ち、エレアザルは彼のためにウリムをもって、主の前に判断を求めなければならない。ヨシュアとイスラエルの人々の全会衆とはエレアザルの言葉に従っていで、エレアザルの言葉に従ってはいらなければならない」。

 聖書に書かれてある通り、人間の行なう“くじ引き”によって、神さまはご意志を示されましたが、異教的なものがそこに混じると神さまはご意志を示されませんでした。(申命記18章9‐14節、Ⅰサムエル記14章37節、28章6節)
 しかし、不思議なことに神さまは、御自身を顕し支配力を示すために、異教のくじ引きや占いにも答えをお示しになられました(エゼキエル21章21-22節、ヨナ書1章7節)。
 エゼキエル書21章21-22節を読みます。

21:21 バビロンの王は道の分れ目、二つの道のはじめに立って占いをし、矢をふり、テラピムに問い、肝を見る。
21:22 彼の右にエルサレムのために占いが出る。すなわち口を開いて叫び、声をあげ、ときを作り、門に向かって城くずしを設け、塁を築き、雲悌を建てよと言う。

 ヨナ書1章7節を読みます。ここは、盛治さんによるヨナのメッセージでも解説があった箇所です。

1:7 やがて人々は互に言った、「この災がわれわれに臨んだのは、だれのせいか知るために、さあ、くじを引いてみよう」。そして彼らが、くじを引いたところ、くじはヨナに当った。

 詩篇22篇18節を読みます。

22:18 彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。

 この箇所は、4つの福音書すべてに、イエス様の衣服のくじ引きが、預言の成就として書かれています。

2、聖霊の満たし
 主イエス・キリストは、復活されてから40日間、弟子たちにたびたび現れて神の国のことをお語りになられ、天に昇られましたが、それ以後のお働きはご聖霊によって続きます。
 イエス様は弟子たちに、父なる神の約束があるから、エルサレムで待っていなさいと命じられました。そして、こう言われました。
 使徒行伝1章8節です。

1:8 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。

 この約束は、使徒行伝2章から始まって、最後の章に至って実現されます。使徒行伝は、このイエス様の御言葉が、いかに実現されていくか。の記録の書でもあるのです。そこに次回シリーズ取り上げるパウロの働きも含まれています。

 2章では、集まっている弟子たちの上に、ご聖霊が降られる記事からはじまります。それから、使徒ペテロの説教によって多くの人々がイエス様を信じ教会が始まりました。この2章に、教会が誕生した出来事が描かれているのです。

(1)ご聖霊の降臨
 使徒行伝2章1-4節を読みます。

2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
2:3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

 このように、キリストの弟子たちがご聖霊に満たされました。
 時は、五旬節の日です。五旬節とは、ユダヤ人が守っていた例年の三大祭りの一つです。
 旧約聖書に記されていますが、特にレビ記23章にあります。まず4月の初めに過越の祭りがあります。そしてその50日後に五旬節があり、10月の初めに仮庵の祭りというのがあります。

 この3つの祭りには、ユダヤ人成年男子はエルサレムに来て、神さまを礼拝することが聖書の中で義務付けられています。ユダヤ教では、五旬節は、50日目の祭日という意味です。大麦の初穂の束をささげる日から数えて50日目に行われ(レビ記23章15節以下)ました。キリスト教では、この五旬節の日に、ご聖霊が降臨されてペンテコステとも言います。
 ご聖霊については、イエス様が弟子たちに語っておられます。ヨハネによる福音書14章16節を読みます。

14:16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

 ペンテコステには、旧約聖書の背景も考え合せて、十字架と復活の一連の贖いの“わざ”を終えられたことを意味し、特に、刈り入れの祭が、過越の祭から数えて50日目であったことから、パウロは、イエス様の十字架が「過越の小羊」として「すでにほふられた」ことをコリント人への第一の手紙5章7節で伝えています。

5:7 新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。

(2)いろいろの他国の言葉で語り
 もう一度、使徒行伝2章4節を読みます。

2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

 彼らが聖霊に満たされたとき、不思議な現象が起こりました。突然、激しい風のような音が聞こえ、炎の舌のようなものがひとりひとりの上にとどまり、彼らは他国の言葉で話し出したのです。
 聖書では、この他国の言葉で話すことを「異言」と呼んでいます。話している本人も、その言葉を理解することはできません。ご聖霊が、人々の口を使って、本人の理解できない言葉を語らせるのです。使徒行伝を読みますと、ご聖霊に満たされて異言を語る人々が、この他に何回か登場します。しかし、異言を語ることが、ご聖霊に満たされる証拠とはなりません。ここで、パウロが異言を語ることについて危惧しているだろう。と思われる箇所を読みます。
 コリント人への第一の手紙14章4-9節を読みます。

14:4 異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。
14:5 わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望むが、特に預言をしてもらいたい。教会の徳を高めるように異言を解かない限り、異言を語る者よりも、預言をする者の方がまさっている。
14:6 だから、兄弟たちよ。たといわたしがあなたがたの所に行って異言を語るとしても、啓示か知識か預言か教かを語らなければ、あなたがたに、なんの役に立つだろうか。
14:7 また、笛や立琴のような楽器でも、もしその音に変化がなければ、何を吹いているのか、弾いているのか、どうして知ることができようか。
14:8 また、もしラッパがはっきりした音を出さないなら、だれが戦闘の準備をするだろうか。
14:9 それと同様に、もしあなたがたが異言ではっきりしない言葉を語れば、どうしてその語ることがわかるだろうか。それでは、空にむかって語っていることになる。

 さらに、 コリント人への第一の手紙14章26-28節読みます。

14:26 すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教をなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである。
14:27 もし異言を語る者があれば、ふたりか、多くて三人の者が、順々に語り、そして、ひとりがそれを解くべきである。
14:28 もし解く者がいない時には、教会では黙っていて、自分に対しまた神に対して語っているべきである。

 忘れてならないのは、コリント人への第一の手紙14章33節に書いてあることです。

14:33 神は無秩序の神ではなく、平和の神である。聖徒たちのすべての教会で行われているように、

 ですから、教会は、秩序を保ち《平和の神》のお言葉を守るべきなのです。
 異言を語るということに対して、ご聖霊に満たされることが、どういうことか。がはっきり示されています。それは、自分の知性や考えを超えた力が、自分の口という器官を支配することです。

 ご聖霊に満たされていないとき、私たちは、聖書に書かれているご命令を自分の肉の力で行なおうとします。
 自分で考えて、自分の努力でなんとか神さまの御言葉を行なおうとします。でも、ご聖霊に満たされると、コントロールは自分ではなくご聖霊ご自身になります。何を語るべきかは、ご聖霊が促してくださいます。何を行なうべきかは、ご聖霊が導いてくださいます。自分が考えていることを行なうのではなく、ご聖霊がお考えになっていることを一つひとつ行なうようになってきます。
 ですから、気負って神さまのお働きをしようとするのではなく、イエス様を救い主と信じる者たちに、ご聖霊が促されます。ですから、お導きになるまで、神さまから与えられた普段通りの生活をすればよいのです。

2025年2月9日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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