ショートメッセージ【パウロ登場前の出来事③】
使徒行伝5章
(ガマリエルの提言)
1、ガマリエルの提言の前の出来事
2、ガマリエルの提言
3、イエス様の証人
1、ガマリエルの提言の前の出来事
ご聖霊が使徒たち、教会の人たちを支え、使徒たちは人々に大胆に語り、《多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。》(使徒行伝5章12節)そして、《主を信じて仲間に加わる者が、男女とも、ますます多くなってきた。》(使徒行伝5章14節)のです。ところが、使徒たちの働きを見聞きして、事件が起きます。使徒行伝5章17-18節の記事です。
5:17 そこで、大祭司とその仲間の者、すなわち、サドカイ派の人たちが、みな嫉妬の念に満たされて立ちあがり、
5:18 使徒たちに手をかけて捕え、公共の留置場に入れた。
ここで、5章19節で神さまの使いが、留置所から出し、宮の庭で命の言葉を漏れなく人々に語れ。と励まされ、使徒たちは、夜明けごろ宮に入って教えはじめました。そして、宮守がしらが、下役たちと一緒に出かけて行って、使徒たちを連れてきました。
使徒行伝5章27-33節を読みます。
5:27 彼らを連れてきて、議会の中に立たせた。すると、大祭司が問うて
5:28 言った、「あの名を使って教えてはならないと、きびしく命じておいたではないか。それだのに、なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を、はんらんさせている。あなたがたは確かに、あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと、たくらんでいるのだ」。
5:29 これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである。
5:30 わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ、
5:31 そして、イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために、このイエスを導き手とし救主として、ご自身の右に上げられたのである。
5:32 わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」。
5:33 これを聞いた者たちは、激しい怒りのあまり、使徒たちを殺そうと思った。
2、ガマリエルの提言
エルサレムの議会は、結局、使徒たちに手を出さないことを決めざるを得なくなってしまいました。
使徒行伝5章34-42節を読みます。
5:34 ところが、国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、
5:35 一同にむかって言った、「イスラエルの諸君、あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。
5:36 先ごろ、チゥダが起って、自分を何か偉い者のように言いふらしたため、彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、結局、彼は殺されてしまい、従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。
5:37 そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。
5:38 そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。
5:39 しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。そこで彼らはその勧告にしたがい、
5:40 使徒たちを呼び入れて、むち打ったのち、今後イエスの名によって語ることは相成らぬと言いわたして、ゆるしてやった。
5:41 使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。
5:42 そして、毎日、宮や家で、イエスがキリストであることを、引きつづき教えたり宣べ伝えたりした。
ここで、ガマリエルという人物が登場します。彼は、トップクラスの律法学者であり、パウロはガマリエルから指導を受けていました。そのパウロも今、この議会の中の一人としてここにいるはずです。
そして、このガマリエルはパリサイ派でした。パリサイ派の人たちは御使いを信じ、死人の復活も信じているので、ガマリエルは使徒たちの言っていることに、ある程度、寛容だったでだろうと考えられます。
そのガマリエルは、議員たちに提言をします。
5章38-39節で《・・・その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。・・・》
5章38節の《人間から出た》と5章39節の《神から出た》は注意すべき表現です。人から出たものなら自滅です。しかし、神さまから出たものなら、《滅ぼすことはできまい。》と断言しています。
ガマリエルの発言は当たっていました。使徒たちの働きは決して自滅することなく、実に、今現在に至るまで続いており、これが神さまから出たものである事を証明しました。
また、5章39節の《まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない。》とガマリエルは結論づけています。
神さまを信じ熱心に奉仕していると思っていて、実は、神さまに敵対していることになっているのは、恐ろしいことです。
しかし目線を変えれば、宗教がこれを行っているのではないでしょうか。占いに熱心に耳を傾けることもそうです。盲目的に信じるのではなく、書いてあること、発する言葉に注意深く吟味することが必要なのです。
私たちメッセンジャーや説教台から語られる説教は、本当に聖書が言っていることなのか。説教者が、自身の言いたいことを、聖書を使って語っていないか。気をつける必要があります。
姿勢としては、同じ使徒行伝17章11節の《ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。》が参考になります。
パウロについて、詳しいことは後日お伝えしますが、新約聖書で有名な宣教者パウロは、このガマリエルの助言を聞いていたのにもかかわらず、ステパノを石打ちにするのに賛同し、教会を巡っては引きずり出して牢屋に入れ、イエス様に激しく敵対していました。
ところが、ダマスコに行く途上で、主イエス様ご自身が彼とお会いして、使徒行伝26章14節で《・・・『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげのあるむちをければ、傷を負うだけである』。》と言われました。そこでパウロは回心したのです。
逆説的ですが、パウロは、神さまに対して熱心でしたので、それだけ神さまに敵対していたのです。
議員たちはさらに、使徒たちに殺意を抱いきましたが、ガマリエルに説得されて、やむを得ず釈放します。
使徒行伝5章41節を読みます。
5:41 使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。
新改訳2017では、
5:41 使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。
ここで注目すべきは、辱められたことを悲しんだのではなく、イエス様を証しし、その事で辱めを受けるに値する者とされた。と喜びながら、議会から出て行ったのです。このような信仰が与えられたら、私たちはほんとうに幸せであると思います。
なぜなら、主イエス様の血によって贖われた私たちの命は、キリストの御心を行なうことをもっとも大きな喜びをしているからです。そして御心を行なうことに伴う苦しみや理不尽な扱いがあると、「自分は主の御心の内に生きているのだ」ということが実感し魂は喜ぶのです。ですから、イエス様を信じる人たちは、福音を語って理不尽なことや迫害があっても迫害をしてくる者たちを恨むようなことはなく、背後に働く悪魔(サタン)のことを、どうこう言わなくなるのでしょう。
使徒行伝章5章42節を読みます。
5:42 そして、毎日、宮や家で、イエスがキリストであることを、引きつづき教えたり宣べ伝えたりした。
こうして、彼らはエルサレムにおける宣教に勝利を収めました。イエス様が約束されたとおりに、すでに世に打ち勝っていたのです。
3、イエス様の証人
ちなみに、彼らにとってエルサレムとはどのような町でしょうか。
エルサレムは、彼らの故郷のガリラヤと異なり、宗教的指導者が集まっているところです。
その指導者たちに、彼らの主イエス様が殺されてしまったところです。彼らを恐れて、イエス様を見捨てて、ペテロは三度、主であるイエス様を否定しました。イエス様がよみがえられたばかりのときは、弟子たちはユダヤ人たちを恐れて、戸を固く閉めていました。
しかし、イエス様はまず、そこからご自分の証人になると使徒たちに話されたのです。
エルサレムは、一番やりたくたくない宣教地だったのではないでしょうか。誰も知らない遠いところで福音を伝えるのではなく、自分たちのことをよく知っている者たち、かつては、ひどく恐れていた人たちがいるところから始めなさい。と言われたのです。
なぜ、使徒たちは成功したのでしょうか。なぜ、このように大勝利を収めることができたのでしょうか。それは、エルサレムは彼らにとって、宗教指導者がいる場所だけではなく、主イエス様がよみがえられたところだからです。彼らはその場所で、主イエス様の葬られた墓の石が取りよけられていたのを見ました。自分たちの部屋に主イエス様が現れて、40日間、神の国についてお語りになった場所なのです。そのエルサレムは、使徒たちにとって、主であるイエス様にお会いした場所なのです。
私たちにとってのエルサレムはどこでしょうか。
それは、自分が主イエス様にお会いしたところ、また、お会いしているところです。私たちは、自分と家族との関係の中で、また、自分と会社の人たちとの関係の中で、自分とありとあらゆる人たちの関係の中で、そのような人間関係が契機(きっかけ)となって、イエス様を信じるようになったかもしれません。仕事のことが大変で、自分の価値観や「人生とは」と考えるようになり、イエス様を信じるようになったかもしれません。
また、信仰の確信を得られたかもしれません。私たちは、そのような深刻な問題の中で、イエス様に出会ったのであり、そこからイエス様の証人となるのです。
自分がキリストによって変わったこと、新たにされたことを知っているのは、もっとも身近な人です。自分に深く関わっていた人たちです。自分が変化したことによって、ある人は、驚いて、自分もイエス様を知ってみたいと思われるかもしれません。
イエス様に出会った彼らは、使徒行伝5章20節、宮の庭で、主の使いから《「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」。》と命じられ、一点一画も妥協することなく、福音を宣べ伝えました。
私たちも同じです。今置かれている場所からスタートです。ご聖霊が皆さんにお働きになられ、そのお働きに、従順に従うなら力を受けます。そして、皆さんにとってのエルサレムからイエス様の証人となるのです。そこにご聖霊がお働きになられるのです。
2025年2月16日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正
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