ショートメッセージ【パウロ_12】

使徒行伝15章36節~18章22節
(パウロの伝道生涯)

1、パウロの第2回伝道旅行(使徒行伝15章36節-18章22節)
2、パウロの第3回伝道旅行(使徒行伝18章23節-21章26節) 
3、パウロの逮捕からローマへの旅(使徒行伝21章27節-28章31節)

 これまで、パウロが登場するまでの出来事を順番に見てきて、そして、パウロの登場からパウロの第1回伝道旅行とエルサレム会議を見てきました。ご聖霊に導かれて、地方の異邦人教会の礎を築きました。
 “使徒行伝”の中でパウロは、7章58節に「サウロ」という名前で初めて登場します。その後、記述の内容は徐々にパウロの働きに焦点を当てるようになり、28章の最後まで、パウロの宣教の歩みが詳しく描かれています。これからパウロは第2回、第3回の伝道旅行へと出かけ、やがてエルサレムで捕らえられ、皇帝の裁きを受けるためにローマへと送られていくことになります。
 今回で最後となるパウロ・シリーズは、第2回、第3回の伝道旅行のあらすじと、ローマへの護送に関することを簡単に見ていきたいと思います。

1、パウロの第2回伝道旅行
 マルコのことで、パウロはバルナバと別れて伝道の働きをすることになり、シラスを伴って伝道旅行に出ました。(難しい問題を一同が祈ってご聖霊に導かれたエルサレム会議とマルコを伴う伝道旅行に祈りのなかったことでパウロとバルナバは別れて伝道することとなりました。)
 シラスは、シルワノとも呼ばれ、聖書に書かれている情報は少ないのですが、見てみますと。使徒行伝15章32節は、預言者(ユダヤ人)として指導的立場にあることが分かり、使徒行伝16章37節でパウロと同じローマ市民権を得ていたことがわかります。

 使徒行伝16章1-3節を見ますと、彼らの旅程は、シリヤとキリキヤの諸教会を回り、それからデルベ、ルステラに行きました。そこで、テモテと出会い伝道旅行に加わります。
 ここで、使徒行伝16章6-8節を読みます。

16:6 それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った。
16:7 そして、ムシヤのあたりにきてから、ビテニヤに進んで行こうとしたところ、イエスの御霊がこれを許さなかった。
16:8 それで、ムシヤを通過して、トロアスに下って行った。

 このように神さまは、パウロの伝道の旅を導かれます。
 次の箇所を普通に読んでいると見過ごしてしまいますが、このトロアスで、この使徒行伝の著者のルカと合流します。
 注意深く、使徒行伝16章10節を読みます。

16:10 パウロがこの幻を見た時、これは彼らに福音を伝えるために、神がわたしたちをお招きになったのだと確信して、わたしたちは、ただちにマケドニヤに渡って行くことにした。

 《わたしたちは、ただちにマケドニヤに渡って行くことにした。》気づきましたか。
 16章6節では、パウロ一行を《彼ら》と言い、10節では《わたしたちは》になっています。つまり、この“使徒行伝”の著者であるルカは、このトロアスでパウロと合流したのです。
 ルカは、コロサイ人への手紙4章14節を見ますと医者と書いてあります。そのルカですが、さまざまな困難な中に遭っても、パウロの忠実な同労者として歩みました。

 また、パウロは、《「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」》というマケドニヤ人の幻を見て、神さまの招きだと確信して、すぐに、海峡を渡り、ピリピ、テサロニケ、ベレヤと伝道しました。
 最初のピリピでは入獄の経験をしました。その獄中でパウロとシラスは賛美をしました。神さまは、地震を起こされ(16章25-26節)ローマ市民権を持っているパウロたちは釈放されました。
 彼らがピリピに設立した教会は、ヨーロッパにおける最初の教会でした。また、ピリピの西、約190キロにあるテサロニケにパウロ一行は伝道しました。当時テサロニケは、マケドニヤ最大の都市でした。この地域でも、ユダヤ人たちから強い抵抗に遭い、ベレヤに移動し伝道しました。
 ここで、ベレヤの人たちの姿勢を覚えていただきたいと思います。使徒行伝17章10-11節です。

17:10 そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。
17:11 ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。

 ベレヤの人々は、教えられるだけで終わっていません。疑いの心ではなく、素直であり《果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。》ということです。
 自分で根拠を確かめることは、とても大切です。メッセンジャーの口から語られる言葉が本当か確認は必要です。

 船で南下したパウロは,アテネで伝道の機会に繋がりました(17章10-14節)。それからコリントに移り1年6か月、アクラとプリスキラ夫婦と出会い、共に天幕作りをしながら伝道し、多くの人たちが救われました。
 やがて、シリヤに向けて旅立ったパウロにアクラ夫婦が同行しましたが、途中に立ち寄ったエペソに彼らを残し、エルサレムに寄ってからアンテオケの教会に戻りました。

2、パウロの第3回伝道旅行
 使徒行伝18章22-23節を読みます。

18:22 それから、カイザリヤで上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてから、アンテオケに下って行った。
18:23 そこにしばらくいてから、彼はまた出かけ、ガラテヤおよびフルギヤの地方を歴訪して、すべての弟子たちを力づけた。

 パウロの2回目の伝道旅行の終わりと3回目の伝道旅行のはじまりが記述されています。

 ガラテヤとフルギヤの諸教会から、西へ移動し、エペソに到着しました。当時、エペソの人口は25万人いたそうです。小アジヤではエペソは中心都市ですから、パウロは宣教戦略上の拠点として2年3か月あまり伝道しました。その戦略は成功し、着実に福音が拡大していきました。
 エペソは、アルテミス女神の神殿があり地方からも参拝者が来る町でした。そこで、偶像を否定するキリスト者が増えると、アルテミス女神や神殿に関する伝統の脅威となりました。そこで反発した銀細工人たちはパウロに対して暴動を起こしましたが、パウロの身は守られました。そして、パウロはマケドニヤに向けて出発しギリシヤに3か月過ごしました。それから、他の町々へ訪問を続けました。
 使徒行伝20章17節を読みます。

20:17 そこでパウロは、ミレトからエペソに使をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。

 このように、パウロはエペソ教会の指導者たちを呼びよせました。
 そして、パウロは、指導者たちに別れを告げ20章18-35節までアドバイスをしています。

 パウロがエペソ教会の指導者たちを呼んだのは、20章25節に書かれている思いがあったからでしょう。

20:25 わたしはいま信じている、あなたがたの間を歩き回って御国を宣べ伝えたこのわたしの顔を、みんなが今後二度と見ることはあるまい。

3、パウロの逮捕からローマへの旅
 そして、パウロはエルサレムに帰り、宣教の成果を説明すると、一同は神さまをほめたたえました。
 しかし、またまた、騒ぎが起きます。使徒行伝21章27-30節を読みます。

21:27 七日の期間が終ろうとしていた時、アジヤからきたユダヤ人たちが、宮の内でパウロを見かけて、群衆全体を煽動しはじめ、パウロに手をかけて叫び立てた、
21:28 「イスラエルの人々よ、加勢にきてくれ。この人は、いたるところで民と律法とこの場所にそむくことを、みんなに教えている。その上、ギリシヤ人を宮の内に連れ込んで、この神聖な場所を汚したのだ」。
21:29 彼らは、前にエペソ人トロピモが、パウロと一緒に町を歩いていたのを見かけて、その人をパウロが宮の内に連れ込んだのだと思ったのである。
21:30 そこで、市全体が騒ぎ出し、民衆が駆け集まってきて、パウロを捕え、宮の外に引きずり出した。そして、すぐそのあとに宮の門が閉ざされた。

 このあと、千卒長(千人隊長)がエルサレムの混乱を聞き、パウロを捕らえたので殺されずにすみました。パウロは千卒長(千人隊長)に民衆へ話をさせてほしい。と願い、千卒長(千人隊長)は許可したので、パウロは階段の上から弁明をはじめました。しかし、弁明の途中でユダヤ人たちは、わめき立てるので、千卒長(千人隊長)は、パウロを兵営に引き入れるように命じました。

 千卒長(千人隊長)は、パウロがローマ市民権を持っていることを知ると、翌日、パウロを解放し祭司長たちと全議会とを召集させ、そこにパウロを引き出して、彼らの前に立たせました。
 パリサイ派とサドカイ派の聖書解釈を知るパウロは、そのことを利用して争論を生じさせ切り抜けました。そして、使徒行伝23章11節で、

23:11 その夜、主がパウロに臨んで言われた、「しっかりせよ。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなくてはならない」。

 とパウロは励ましと、神さまからご計画を聞きました。そしてローマ兵は、暴徒がパウロを殺さないようカイザリヤに護送しました。そこで、総督ペリクスの前で弁明したのですが、ペリクスは判決を出さず、パウロを2年間監禁しました。

 ペリクスの後、フェストが新しい総督になりました。フェストがパウロを裁判にかけた時、パウロはローマ皇帝に上訴すると言いました。フェストは訪ねてきたアグリッパ王にパウロのことを話すと、パウロの話しを聞いてみたいというので、公けにその場を設け、パウロはアグリッパに信仰の話しをしました。パウロの話しを聞いた者たちはパウロの無罪を認識しました。しかし、パウロは皇帝カイザルに上訴したのでローマに護送されることになりました。

 ローマへ護送される途上で、パウロが乗った船は嵐で難破しました。しかし守られて、全ての人が無事にマルタという島へ辿り着きました。
 その島でパウロは島の病気の人たちを癒し、島の人たちは必要な物品を持ってきてくれました。そして、3か月後、この島に冬ごもりをしていたアレキサンドリヤの舟で出帆しました。

 ローマに着いたパウロは、ひとりの番兵をつけられ、ひとりで住むことを許されました。
 使徒行伝28章30-31節を読みます。

28:30 パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、
28:31 はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた。

 パウロは、囚人になっても、チャンスがあれば福音を宣べ伝えました。その結果、多くの人々がクリスチャンとなりました。
 また、パウロは、囚人になっても教会に手紙を書いています。コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙などです。パウロは、ヨーロッパのキリスト教会の基礎をつくった人です。私たち日本のキリスト教もパウロの働きが礎となったといっても過言はありません。パウロも他の使徒同様、イエス様の福音を生涯かけて、命をかけて宣教しました。イエス様の“救い”は、それに値するということです。

2025年6月15日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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