ショートメッセージ【イースター】

使徒行伝
(この道)

1、復活の朝 -「この道」の源に立つ
2、ご聖霊によって開かれた「この道」
3、《いのちの道》-復活の光に照らされる道
4、《救いの道》-奴隷のような人生から解放する力
5、《主の道》《神の道》-キリストの教えに従う日々の歩み
6、《この道》-教会を生み出し、世界に広がった道
7、結び-イースターの光の中で《この道》を歩む

1、復活の朝 -「この道」の源に立つ
 イースター、おめでとうございます。
 私たちの救い主イエス様が、死の力を破り、三日目によみがえられた復活の日です。

 この出来事こそ、キリスト教信仰の中心であり、使徒行伝に描かれる《この道》の出発点です。
 弟子たちは、イエス様が十字架で死なれたあと、恐れと失望の中に閉じこもっていました。しかし、三日目、彼らは、復活されたイエス様に出会うのです。
 復活は、弟子たちの人生を根底から変えました。

・ 絶望から希望へ
・ 恐れから大胆さへ
・ 自分の道から、神さまが示す「この道」へ

 復活は人生を造り変える力であり、《この道》の最初の光です。

 弟子たちは復活の証人となり、この方に従って歩み始めます。しかし、その歩みは彼らの力によるものではありませんでした。復活ののち、もう一つの大きな出来事が起こるからです。
 それが ご聖霊の降臨 でした。

2、ご聖霊によって開かれた《この道》
 使徒行伝は、復活ののち、弟子たちがエルサレムで待ちながら祈る姿から始まります。
 そこに、約束されたご聖霊が下られました(使徒2章)。

 ペンテコステの日、弟子たちはご聖霊に満たされ、力と確信をもって福音を語り始めます。
 かつて恐れて逃げたペテロが、今や大群衆の前で力強く宣言するのです。
 使徒行伝2章26節を読んでみましょう。

2:36 だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。

 このご聖霊の働きこそ、弟子たちを「自分の道」から「この道」へと造り変えました。

・ 自分の弱さに支配される道ではなく
・ 神さまの力に満たされて歩む道
・ 神さまの真理に導かれた道

 《この道》は、ご聖霊によって開かれ、照らされ、導かれる“道”なのです。その結果、初代教会が誕生します。使徒行伝2章42節を読んでみましょう。

2:42 そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。

 これが《この道》に歩む最初の教会の姿でした。

3、《いのちの道》- 復活の光に照らされる道
 使徒行伝2章28節のペテロが語った、

2:28 あなたは、いのちの道をわたしに示し、み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであろう』。

 《いのちの道》とは、復活の光に照らされて歩む道です。
 イエス様が復活されたという事実が、死より強い命が与えられていることを示します。
 初代教会の信徒は、困難の中でも喜びに満たされ、神さまのご臨在の光の中で歩みました。

・苦しみの中で祈り
・闘いの中で希望を失わず
・病と迫害の中でも賛美した

 それは復活の命に生きる者に現れる姿でした。

 復活の命によって、彼らは《いのちの道》を歩んだのです。

4、《救いの道》-奴隷のような人生から解放する力
 使徒行伝16章のピリピでの出来事で、占いの霊につかれた女奴隷が叫んだ場面を読んでみましょう。使徒行伝16章17節です。

16:17 この女が、パウロやわたしたちのあとを追ってきては、「この人たちは、いと高き神の僕たちで、あなたがたに救の道を伝えるかただ」と、叫び出すのであった。

 ここで示される《救いの道》とは、人間の力では抜け出せない闇から、神さまが救い出す“道”です。

・ 罪の力からの自由
・ 偽りの霊からの解放
・ 恐れと縛りからの脱出

 復活されたイエス様が、死と罪の力を砕かれたからこそ開かれた道です。
 使徒パウロ自身が、かつては迫害者として「自分の道」を歩んでいました(22章)。
 しかし復活のイエス様に出会い、彼もまた救いの道へと導かれます。
 《救いの道》は、復活の恵みによって歩み出す道なのです。

5、《主の道》《神の道》- キリストの教えに従う日々の歩み
 使徒行伝18章25-26節には、アポロ、プリスキラ、アクラの事が記されています。

18:25 この人は主の道に通じており、また、霊に燃えてイエスのことを詳しく語ったり教えたりしていたが、ただヨハネのバプテスマしか知っていなかった。
18:26 彼は会堂で大胆に語り始めた。それをプリスキラとアクラとが聞いて、彼を招きいれ、さらに詳しく神の道を解き聞かせた。

 アポロは《主の道》に通じていました。
 プリスキラ、アクラは、アポロへ《神の道》をさらに正確に説明しました。

 ここでは、教えの正確さ・キリストへの従順・日々の歩みが強調されます。
 《主の道》とは、復活された主の教えに従って生きる道。
 《神の道》とは、ご聖霊の導きの中で整えられていく道。

 復活の主に出会った人々は、単に信仰を告白しただけではなく、「生き方そのもの」を変えられました。

・ ご聖霊の導きに従い
・ 神さまの御言葉に従順になり
・ 教えを正確に守り
・ 互いを励まし
・ 弱い者を支え
・ 宣教に献身し

 こうして教会が建て上げられていきました。
 まさに、復活の主に従う《この道》が共同体の中に形づくられていったのです。

6、《この道》 - 教会を生み出し、世界に広がった道
 使徒行伝では繰り返し《この道》という語が登場します。

・ 「この道の者を縛り上げ」(9章2節)
・ 「この道のことを悪く言い」(19章9節)
・ 「この道について大きな騒ぎが起こり」(19章23節)
・ 「この道を迫害し」(22章4節)

 つまり《この道》とは、復活の主イエス様を信じ、主なるイエス様の教えに従い、ご聖霊に導かれて歩む“キリスト者の生き方”全体を意味します。

 初代教会は迫害され、誤解され、嘲(あざけ)られました。それでも、ご聖霊に満たされた使徒たちは、復活の主の証人として歩み続けました。

 その結果、教会はイスラエルだけでなく、アジア、ギリシア、ローマへと拡大していきました。
 復活の主が《この道》を通して教会を建て上げられたのです。

7、結び - イースターの光の中で《この道》を歩む
 最後に、パウロの告白を再び聞きましょう。使徒行伝24章14節です。

24:14 ただ、わたしはこの事は認めます。わたしは、彼らが異端だとしている道にしたがって、わたしたちの先祖の神に仕え、律法の教えるところ、また預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じ、

 パウロは、使徒行伝14章16節にある《それぞれの道》ではなく、復活の主イエス様が示される道を歩み続けました。それは光に導かれた人生であり、神の国へと続く確かな道でした。

 2026年のイースターを迎えた私たちも、復活の主が照らす《この道》を歩んでいきましょう。

《いのちの道》
《救いの道》
《主の道》
《神の道》
 これらすべてを貫く一本の道…それが《この道》です。

 ご聖霊が、私たちの歩みを整え、導き、必要な力を与え、教会を建て上げてくださいますように。
 復活の主とともに、光の道を歩む人生となりますように。
 イエス様が公生涯で弟子たちに語った《道》について、共に読んで終わりたいと思います。
 ヨハネによる福音書14章4-7節を読みます。

14:4 わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。
14:5 トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。
14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
14:7 もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。

 父なる神さまのみもとへの“道”はイエス様であり、イエス様が示された《神の道》です。

2026年4月5日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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※牧師・伝道師の属人的な教会ではありません。
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