ショートメッセージ【マルコの福音書3章_2】
マルコによる福音書3章7-19節
(群衆の波と新しい統治の基盤 ― 十二使徒の召命)
1、国中から集まる群衆
(1)群衆の熱狂
(2)悪霊の告白とイエス様の戒め
2、十二使徒の任命
(1)「使徒」の意味
(2)十二使徒の多様性
3、イエス様の真の使命を理解し、追い求めること
今回は、マルコによる福音書3章の7節から19節に焦点を当てます。イエス様の周りに押し寄せる大勢の群衆と、その中から新しく神さまの統治の基盤となる十二使徒が召命される様子を通して、イエス様の働きが新たな段階に入ることを学びます。
1、国中から集まる群衆
マルコによる福音書3章7-8節を読みます。
3:7 それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、
3:8 エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。
前の安息日の出来事の後、イエス様は危険を感じて弟子たちと共に海辺に退かれました。しかし、ガリラヤ地方だけでなく、ユダヤの中心地エルサレム、南のイドマヤ(エドム人の子孫でユダヤ教への改宗者)、ヨルダン川の向こう(デカポリスやペレア)、そしてフェニキア人やカナン人の地域であるツロやシドンからも、おびただしい群衆がイエス様の行われていることを聞いて集まってきました。
ゴールデンウィークに報道されるテーマパークに人々が押し寄せているイメージでしょうか。
(1)群衆の熱狂
マルコによる福音書3章9-10節を読みます。
3:9 イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。
3:10 それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。
イエス様は、群衆が自分に押し迫るのを避けるため、弟子たちに小舟を用意しておくよう命じられました。多くの人々が癒されたため、病苦に悩む人々は皆イエス様に触れようと詰めかけてきたのです。イエス様は小舟から御言葉を語り、癒しを行われました。
(2)悪霊の告白とイエス様の戒め
マルコによる福音書3章11-12節を読みます。
3:11 また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。
3:12 イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。
興味深いことに、けがれた霊どもはイエス様を見るたびにひれ伏し、《「あなたこそ神の子です」》と叫びました。彼らは霊の世界に生きる者として、イエス様が神の子であることを知っていたのです。
しかし、イエス様はご自身のことが正しく伝わらない混乱を避けるため、彼らを厳しく戒められました。イエス様は、ご自身の数々の良い御業を通して、ご自身が確かに神の子、キリストであることを示したいと願っておられたのです。
2、十二使徒の任命
このような群衆の熱狂と宗教指導者たちの敵意という危険な状況の中で、イエス様は重要な決断を下されます。
マルコによる福音書3章13-19節を読みます。
3:13 さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。
3:14 そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、
3:15 また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
3:16 こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、
3:17 またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
3:18 つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、
3:19 それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。イエスが家にはいられると、
山に登り、ご自身の心にかなった者たちを呼び寄せ、十二人をお立てになりました。彼らが選ばれた目的は三つありました。
① ご自身のそばに置くため:イエス様と共に時間を過ごし、彼らがイエス様を知るためです。
② 宣教につかわすため:イエス様の福音を広める働きを任せるためです。
③ 悪霊を追い出す権威を持たせるため:霊的な力を与え、イエス様の言葉に力があることを証明するためです。
※注:ここでいう霊的とは、神さまと人のとの関係をさします。
(1)「使徒」の意味
「使徒」とは「遣わされた者」という意味で、遣わした者の権威と委ねられた使命を持つ使節を指します。3章14節で《十二人をお立てになった》とあります。
彼らが、イエス様を選んだのではなく、イエス様が彼らを選んだとということです。これは、彼らが主の命令によって実を結び、その実がいつまでも残るためでした。
(2)十二使徒の多様性
選ばれた十二使徒は、イスラエルの十二部族の父祖たちと同様に、非常に個性豊かな面々でした。
・ペテロ:直情的だが信仰を貫いた指導者、「小さな石」を意味する名を与えられました。
・ヤコブとヨハネ:「雷の子」と呼ばれた短気で野心的な兄弟でしたが、後に立派な監督者となります。
・アンデレ:冷静で理性的な人物で、常に人々をイエス様のもとに連れて行きました。
・ピリポ:慎重で計算高く、理知的な人物。
・バルトロマイ(ナタナエル):疑い深い面もありましたが、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人」(ヨハネによる福音書1章47節)と呼ばれました。
・マタイ:ユダヤ人に嫌われていた取税人。
取税人とは、ローマ帝国のために税を徴収する職業でした。彼らは同胞であるユダヤ人から税を取り立て、その中から自分の取り分を上乗せすることもできました。そのため「裏切り者」「罪人」と見なされ、宗教的にも社会的にも軽蔑されていた存在でした。マタイは、まさにそのような立場にあった人です。
・トマス:忠実さと勇気を持ち、疑いを通して真理を明確にした人物。
・アルパヨの子ヤコブとタダイ(ユダ):記録は少ないものの、イエス様に直接質問した人物。
・熱心党のシモン:ローマ帝国に敵対し、武力によるユダヤ人国家建設を主張する熱心党員。
・イスカリオテのユダ:イエス様を裏切った者です。
特に注目すべきは、立場の全く異なる取税人のマタイと熱心党のシモンが共に選ばれたことです。
マタイはローマに協力する側の人間でした。一方、熱心党のシモンはローマに武力で抵抗しようとする側の人間です。もし当時の常識で考えれば、この二人は同じ部屋にいることさえ難しい関係でした。思想的にも、感情的にも、まったく相容れない存在です。
しかしイエス様は、その両極にいる者を共に十二使徒として選ばれました。
イエス様のもとでは、政治的立場や社会的評価が基準ではありませんでした。
「ローマに協力していたか」「ローマに反抗していたか」ではなく、「わたしに従うかどうか」が基準でした。
イエス様は、分断された社会の両側から人を選び、ご自分のもとで一つにされたのです。
ここに、教会の原型を見ることができます。
教会とは、同じ思想の人が集まる団体ではありません。 キリストを主とすることで、一つにされる群れなのです。
彼らの個性や欠点をもご存知の上で、ご自身の福音を広めるために用いられたのです。これは、私たち一人ひとりが、どれほど不完全であっても、神さまに選ばれ、用いられる可能性を秘めているという慰めを受けます。同時に、イスカリオテのユダの例は、信仰の共同体の中にいても、真に信じていない者がいるという警告でもあります。
3、イエス様の真の使命を理解し、追い求めること
イエス様の周りには、癒しや奇跡を求める多くの群衆が集まりました。しかし、イエス様にとって病の癒しや悪霊の追い出しは、「神さまの言葉が確かであること示し、その言葉に権威があることを示す」手段であり、「福音を語ることの手段」でした。イエス様の福音の根本は、「罪の赦し」にあります。
私たちは神さまへの姿勢として、自分の必要を満たす「魔術師や悪霊払い」の奇跡だけを求めるような姿勢になっていないでしょうか。目に見える祝福や利益だけでなく、悔い改めて罪が赦され、神さまとの関係が回復されるという、福音の最も肝要な部分に焦点を当てる必要があります。
2026年3月1日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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