ショートメッセージ【マルコの福音書13章_2】

マルコによる福音書13章14-27節
(終わりの日の備え①)

1、終わりの時の正しい行動
2、呼び集められる信仰者
3、終りの時代の信仰者

1、終わりの時の正しい行動
 マルコによる福音書13章14-20節

13:14 荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
13:15 屋上にいる者は、下におりるな。また家から物を取り出そうとして内にはいるな。
13:16 畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。
13:17 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。
13:18 この事が冬おこらぬように祈れ。
13:19 その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。
13:20 もし主がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである。

 この箇所では、この世の終わりが来ると分かったとき、信仰者がどのような行動を取るべきかが教えられています。

 14節の《荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば》という言葉は、ダニエル書(9章27節)に示されている出来事を背景としており、その《立ってはならぬ所》とは神殿を指しています。
 この時が来たと分かったなら、ためらわず、後戻りせずに行動するようにと、イエス様は語られています。

 その具体的な姿勢として示されているのが、《屋上にいる者は、下におりるな》《家から物を取り出そうとして内にはいるな》、また《畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな》という言葉です。
 世の終わりの混乱の中で、持ち物や生活の心配に心を奪われてしまうなら、信仰そのものが揺さぶられてしまうからです。

 身重の女性や乳飲み子をもつ女性は、すぐに逃げる行動を取ることが難しく、その分、いっそう大変な状況に置かれると語られています。
 さらに、それが冬であったなら、イスラエルでは雨が多く、川の水かさが増して移動が困難になるため、《この事が冬おこらぬように祈れ》と勧められています。

 なぜ、すべてを置いてでも逃げることが大切なのかについて、イエス様はここで詳しい説明をされてはいません。
 それほど世の中が混乱し、パニック状態になるため、巻き込まれないためには、早い判断と決断、そして行動が必要になる、ということなのでしょう。

 なぜなら、その時には、《かつてなく今後もないような患難》が起こるからです。
 人の想像をはるかに超える、大きな苦難が世界を覆うことになるのです。

 もしその期間が短くされなかったなら、《救われる者はひとりもない》ほどの事態になると語られています。
 しかし神さまは、信仰者のために、その期間を《縮めてくださった》お方です。

 信仰者は、あるところまでは戦いの中を通されることがあります。
 けれども最後には、必ず神さまが支え、助け、守り抜いてくださる、その確かな御手の中を歩んでいるのです。

2、呼び集められる信仰者
 マルコによる福音書13章21-27節

13:21 そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じるな。
13:22 にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
13:23 だから、気をつけていなさい。いっさいの事を、あなたがたに前もって言っておく。
13:24 その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、
13:25 星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
13:26 そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
13:27 そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。

 この箇所では、終りの時に《にせキリストたち》《にせ預言者たち》が現れ、信仰者たちを引き寄せ、自分たちに従わせようとすることが語られています。
 彼らは《しるしと奇跡》を行い、できるなら《選民をも惑わそうとする》ほどの影響力をもって現れるのです。

 信仰者は、終りの時にキリストが再び来てくださることを待ち望んでいます。
 そしてその希望は、26節にある《人の子が雲に乗って来る》という約束によって、はっきりと示されています。

 だからこそ、信仰者のその待ち望む思いを利用して、サタンは《見よ、ここにキリストがいる》《見よ、あそこにいる》という声に目と心を向けさせ、神さまから引き離そうとします。
 イエス様はその危険を見据え、《それを信じるな》と、はっきり警告しておられるのです。

 《にせキリストたち》《にせ預言者たち》の働きは、神さまから出たものではなく、悪しき霊によるものです。
 だからこそイエス様は、《気をつけていなさい》と繰り返し語り、信仰者が何を基準に立ち続けるべきかを、前もって教えてくださっているのです。
 ここで、ヨハネの第一の手紙4章1節を読みましょう。

4:1 愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。

 神さまから出た者の言葉には、神さまへの深い信頼と期待があります。
 その言葉には、キリストの香りが自然に漂い、聞く者を神さまの素晴らしさへと向かわせます。

 一方で、世から出た者の言葉には、世の価値観や肉の欲に基づく思いが強くにじみ出ます。
 そこには、心を神さまから引き離そうとする毒気が含まれた言葉が語られるのです。

 神さまから出た言葉なのか、それとも世の《にせキリスト》《にせ預言者》から出た言葉なのかを見分けていくためには、ご聖霊を意識し、ご聖霊の力に全き信頼を置くことが必要です。
 そのとき、《にせキリストたち》《にせ預言者たち》、そしてその背後にある悪しき霊の働きを、見分けることができるようになります。

 世の終りの異変は、地上の出来事にとどまらず、太陽や星にまで及びます。
 今にも世界が崩れてしまいそうなその時に、《人の子》と呼ばれるイエス・キリストが、再び来られるのです。

 そしてその時、信仰者は、生きている者も、すでに死んでいる者も含めて、天と地のあらゆるところから呼び集められます。
 マルコによる福音書13章27節の《天のはて》とは、この苦難の中でも信じ続け、死に至った者たちを指していると受け取ることができるでしょう。

 キリストは、御使いたちを遣わし、信仰を失わずに生きている者も、すでに死んでいる者も、すべてを神さまの恵みの中に置くために、呼び集めてくださいます。
 神さまはどこまでも人を追い求め、信じた者を必ず救い出し、ご自身の恵みの中に置いてくださるお方です。

 信じた者は、世の終りにおいても、またその先においても、神さまから与えられる尽きることのない恵みを、希望をもって待ち望むことができるのです。

3、終りの時代の信仰者
 イエス様は、終わりの時に向かって、終りの時代に生きる信仰者がどのような備えをもって歩むべきかを語っておられます。
 直接的には弟子たちに向けて語られた言葉ですが、その弟子たちを通して、後の時代に生きる人々にも、終わりの時が確実に来ることを知り、その前にイエス様を信じるようにと、強く勧める内容となっています。

 では、私たちはこの言葉から何を学ぶべきでしょうか。
 まず、今この時に信じることができている恵みに目を留めることです。
 そして、すでに信じている者は、自分が信仰の中に置かれている恵みに感謝して歩むことが大切なのです。
 ヨハネの黙示録3章10節を読んでみましょう。

3:10 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。

 この御言葉が示しているように、終りの時に起こる患難の中にあっても、信仰者は神さまによって守られます。
 実にこの時、信仰者は、世の終りの試練を地上で受けるのではなく、イエス様とともに天にあって過ごすという、大きな恵みにあずかるのです。
 これほどの恵みがあるでしょうか。心から感謝を覚えさせられます。

 また同時に、私たちは「備え」の大切さも学ばされます。
 終りの時代に生きる信仰者の備えとして、ここでは四つのことが教えられています。
 それは、すでに私たちが終りの時代の中に生きているからこそ、今、必要な備えでもあります。

 一つ。
 世のさまざまなうわさや出来事に心を引きずられず、信仰を保ち続けることです。
 二つ。
 最後には必ず、神さまの支えと助けがあることを確信することです。
 信じた私たちは、与えられる力によって耐え忍ぶことができます。
 神さまは必ず、脱出の道も備えてくださるお方であると、固く信じることです。
 三つ。
 この終りの時代には、必ず《にせキリスト》《にせ預言者》《にせ教師》が現れます。
 そのため、いつもご聖霊を意識し、ご聖霊によって悪しき霊の働きを見分け、にせものについて行かないことが大切です。
 四つ。
 終りの時に、信仰者が呼び集められ、再臨のイエス様とともにいるという希望と平安を、最後まで持ち続けることです。
 マルコによる福音書13章23節 前半部

13:23a だから、気をつけていなさい。

 ここで語られている《気をつけていなさい》という言葉は、単に注意深くしなさい、という意味にとどまりません。
 むしろ、「目を開いていなさい」「目を覚ましていなさい」という呼びかけとして受け取ることができます。

 なぜなら私たちは、見なくてもよいこの世の出来事や、目の前で起こるさまざまなこと、また心の中に湧き上がる感情に、目も心も奪われやすいからです。
 その結果、本当に見るべきものを後回しにし、置き去りにしてしまうことがあるのです。

 だからこそ、信仰を働かせ、霊の目をもって、見えない神さまを意識して歩むことが求められています。
 恐れる必要はありません。信じているなら、神さまは私たちがどこにいても、必ず呼び集めてくださいます。
 その恵みから漏れてしまうことは、決してありません。
 それは、この世のすべてのものを、その足の下に従えられる神さまの確かな約束に基づいているからです。
 最後にマタイによる福音書6章34節を読みます。

6:34 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

 この御言葉が示しているように、私たちの日々の労苦の中には、主がともにいてくださいます。
 主は私たちの重荷を負ってくださり、行き詰まったときには出口を備えてくださいます。

 そこには、主が約束してくださっている確かな希望があり、また歩みを支えるために、御言葉を与えてくださっています。
 だから私たちは、先のことを思いわずらい過ぎることなく、今日一日を、主に信頼して歩むことができるのです。

2026年8月30日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳

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※当教会は、信仰の有無や長さに関係なく、
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※聖書解釈はオーソドックスなプロテスタントですが、
 教理・教条主義ではありません。
※牧師・伝道師の属人的な教会ではありません。
 上下関係は無く、フレンドリーで話しやすい教会です。
※オンラインですので顔出ししなくても大丈夫です。
 ニックネームでの参加もOKです。