ショートメッセージ【イサク①】

~アブラハムの信仰の継承~

 本日から、アブラハムの息子イサクを見ていきます。今日はその1回目として、これまでの所を簡単に振り返りながら、アブラハムからイサクへの信仰の継承について見ていきたいと思います。 

創世記22章
1、信仰者たち/神さまの導き

 先週まで「信仰の父」「信仰の人」と呼ばれるアブラハムを見てきました。その以前は、信仰者エノクやノアを見ました。神さまは、エノクを信仰者の希望の星として、信仰者たちの目標、ゴールとして、そのまま天に引き上げられました。また、ノアについては、罪にまみれた世をすべて絶やされてから、ノアを信仰者、神の民の出発点に置かれました。

 アブラハムの場合は、本人や周りもこの世から取り去ることをなさらず、罪に汚れた世(神さまの教える創造主との交わり、他者や弱者への配慮と礼儀・礼節のない社会)にあっても、回復の道を歩み通す先祖、第一人者として、神さまはアブラハムを選び、神さまと共に歩むようにされたのでした。

 アブラハムをすでに学んできた中で、アブラハムが、特別優れた人格者であり、すばらしい信仰の持ち主であったとは思えない箇所も出てきました。ある意味、エノクやノアの方が優れた人物であったかもしれません。しかし神さまは、アブラハムに目を留め、その信仰を育てながら導こうとされました。

 アブラハムは、自分自身の弱さを覚え失敗をしながらも、神さまの導きにずっと信頼して歩み、信仰を確立させました。その弱さや失敗は、アブラハムにある人間的な意固地によるものでした。しかしアブラハムは、その心が、一度、神さまの前に砕かれて信頼し、もはや疑おうとはしない素直な柔らかな心となり、神さまの言葉を信じ従うことができました。そのことによって、アブラハムは神さまに喜ばれ、彼の信仰が強められていったと言えます。

 私たちにもアブラハムと似たようなところがあるでしょう。だからこそ、親近感のわくアブラハムを見習って、自分本位の頑固な心、「私が」「私が」の、我利我利亡者の心を砕いて、素直に柔らかい心で神さまに従って、祝福をいただくようにと教えられています。そして、このアブラハムは、エノクやノアとは異なって、その信仰がエノク自身やノアとその家族、1代で終わるものではありませんでした。

 アブラハムの信仰は子孫に受け継がれ継承されていきます。それは、神さまがアブラハムとされた約束(契約)に現れています。次にそれを確認しておきましょう。

2、アブラハム/神さまの約束
 神さまは、アブラハムに1つの条件を出して、3つの祝福を与えられました。条件とは、

創世記12章1節です。
12:1 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。

 このことです。そんなアブラハムに神さまは3つ約束をされました。1つ目は、アブラハム自身を祝福すること、2つ目は、アブラハムを大いなる国民にすること、3つ目は、アブラハムをすべての民の祝福の基とすることでした。

12:2 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。

 まず、神さまはアブラハム自身を祝福されました。アブラハムへの神さまの導きは、自分本位な心を神さまに明け渡して、神さまの導きを何よりも優先するように、すべて神さまを信頼し神さまに頼り切るようにということでした。

 そのためには、自分が握りしめている価値観、それらは、自分の考え、経験、判断、思い、持ち物、またいのち、そして家族や親せき、自分の置かれている環境、これまで、自分というものを形づくり保っているすべて、その握りしめているものを手放して、神さまの両手をつかむ。そういう神さまへの依り頼みが信仰の歩みと導かれていました。

 アブラハムは、一度に全てその通り従うことはできませんでしたが、神さまはアブラハムに近づき、信仰の歩みを守り、一つ一つ、アブラハムの価値観を徐々に断ち切ることができるように導かれました。ここで私たちが教えられることは、自分を考えや価値観を一旦捨て、自分をこの世に生を与えた神さまの価値観と導きに従うことが信仰だと教えられています。

 2つ目の祝福、アブラハムを大いなる国民とするということは、アブラハムの子孫が、創造主なる神の民として、この神さまの約束の中に置かれるということです。これが、ノアの約束との大きな違いです。

 3つ目の祝福は、ブラハムとその子孫だけではなく、アブラハムの信仰を基として、救いが全人類へと及ぶということです。この救いとは、最初の人アダムから脈々と続く罪からの救いです。神の赦しを得る救いです。この神さまの約束通りに、信仰に立つ者が皆、アブラハムと共に祝福を受けるということです。言い換えれば、アブラハムの信仰に立つということは、神さまに正しいとされる唯一の道であり、それが、アブラハムの子孫である、イエス・キリストによって、救いの道が実現したのです
それがマタイ1:1 の記事の意味する所です。

1:1 アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。

 アブラハムの信仰とは、自分をかたちづくるすべてのもの、自分自身から解放されて、イエス・キリストにつながることです。 
 ここで神さまは、アブラハムを見つつも、アブラハムの子孫に信仰を継承し、そしてそれが全人類に及ぶようにと、そのご計画の全体をみながら、アブラハムとこの約束、契約をされました。 

3、イサク/信仰の継承
 イサクへの信仰の継承は、先週見た、全焼のいけにえとして我が子イサクを献げよと神さまに命令されたアブラハムへの大いなる試練をとおして全うされたとみていいでしょう。なぜなら、父アブラハムの信仰がこの出来事を通して最大限引き出されたからです。
 その試練というのは、創世記22章2節に記されています。

22:2 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。

 ここで燔祭というのは全焼のいけにえです。誤解のないようにここで説明させていただきますと、もちろん聖書の神さまは、子供をいけにえに差し出すことを要求されるような神ではありません。ここではアブラハムの信仰を引き出すために、また、アブラハムがそれに十分こたえられる信仰の状態であることをご存知の上で、神さまはこの試練を与えておられます。

22:12aみ使が言った、「わらべを手にかけてはならない。

 とありますが、わらべと訳されている原語では、「若者」を意味することばです。文脈からも、この時イサクはもう、若者であったと考えられます。ですので、

22:9彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。

 ここにあるように、イサクは縛られるときに抵抗しようと思えば、抵抗できたはずでした。しかし、神さまが選ばれたいけにえが、自分であったことを悟り、縛られるままに、殺されそうになってもいっさい抵抗した様子は見えません。父アブラハムの信仰を見て、自分もいのちをかけて、父アブラハムが信仰する神さまに、自分自身を解放し、神さまに信頼して委ねたのです。

22:13 この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。

 《アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。》のところは、アブラハムが主語のようですが、原文をみると、燔祭をささげて神さまを礼拝したのは、3人称複数の彼らとなっています。アブラハムとイサクが、同じ信仰で、同じ心で神さまに感謝の礼拝をささげています。
 この時神さまは、アブラハムの信仰が最大限に引き出された試練をその場で体験した子イサクにアブラハムと同じ信仰を見てとり、信仰の継承が成されたとみなされたのでしょう。

 現代風に言いますと、神さまのお父さんアブラハムへの契約が、家族会員枠で、イサクは契約を自動更新されたということでしょうか。
 そしてまた、イエスさまを信じる私たちもこのアブラハム契約の「子孫、異邦人特約」に組み込まれて、その恩恵を得ているということでしょう。アブラハムの信仰の歩みと成長から学ぶ内容は大いにあるのです。
 アブラハムは「信仰の父」「信仰の人」と呼ばれていますが、神さまがその信仰を育て、そして神さまの約束によって、アブラハムの信仰に立つ者を祝福されるから、そう呼ばれるということが分かります。その信仰とは、自分をかたちづくるすべてのもの、自分自身から解放されて、罪・汚れをすべて消しさってくださる救い主、イエス・キリストにつながることです。

2022年3月27日(日)
メッセンジャー:香川尚徳師


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