ショートメッセージ【イサク②】
~イサクのお嫁さん探し~
創世記24章
先週は、父アブラハムの信仰が最大限引き出された出来事を通して、それをともに体験したイサクにその信仰が受け継がれている様子を見ました。そして神さまがアブラハムにされた約束、契約がそのままイサクにも引き継がれたこともお話ししました。さらにイエスさまを信じる私たちもこのアブラハム契約の「子孫、異邦人特約」に組み込まれて、その恩恵を得ていることを理解しました。
今日は創世記の24章を見ていきます。
24:1 アブラハムは年が進んで老人となった。主はすべての事にアブラハムを恵まれた。
失敗を繰り返しながらも、信仰の高みに上ってきたアブラハムを神さまは大いに祝福されました。また、アブラハムも試練の出来事を通して、息子イサクの中に同じ信仰を見て、子孫を祝福すると言われた神さまの約束をかみしめていたことでしょう。
しかし、もう1つ、成すべき大切なことがありました。アブラハムの信仰は子孫に受け継がれ継承されていかなければなりませんでした。目の前のことで言えば、イサクの次の世代への継承です。そのためのイサクのお嫁さん探しがこの24章のテーマです。
いつものように3つ見ていきます。
1、年長のしもべ/神さまのご計画だけが成る
アブラハムは、最も信頼できる年長のしもべにイサクのお嫁さん探しを託します。このしもべは、創世記15章2節に登場するエリエゼルのように思われますが詳細は不明です。お嫁さんの条件は、アブラハムの親族のところまで出かけて行って、同じ神さまを信じる人の中から探し出し、今いるカナンの地に連れ戻ることでした。このカナンの地は、神さまが示された場所であり、ここに来たことで、今ある神さまの約束と祝福を得ているわけですから、これらのことは絶対でした。
24:7 天の神、主はわたしを父の家、親族の地から導き出してわたしに語り、わたしに誓って、おまえの子孫にこの地を与えると言われた。主は、み使をあなたの前につかわされるであろう。あなたはあそこからわたしの子に妻をめとらねばならない。
24:8 けれどもその女があなたについて来ることを好まないなら、あなたはこの誓いを解かれる。ただわたしの子を向こうへ連れ帰ってはならない」。
このようにしもべに言って、しもべを安心させたアブラハムでしたが、しかし、このことは神さまのご計画であり、また約束でもあって、必ず神さまが導いて、良い結果をもたらしてくださるとの確信があったようです。
この役目を負ったしもべは、主の知恵をいただいて賢く振る舞いました。というのは、このしもべが、まずしたことは、神さまの前に祈ることでした。この信仰にこたえて神さまは必要な知恵をこのしもべに与えられています。
24:13 わたしは泉のそばに立っています。町の人々の娘たちが水をくみに出てきたとき、
24:14 娘に向かって『お願いです、あなたの水がめを傾けてわたしに飲ませてください』と言い、娘が答えて、『お飲みください。あなたのらくだにも飲ませましょう』と言ったなら、その者こそ、あなたがしもべイサクのために定められた者ということにしてください。わたしはこれによって、あなたがわたしの主人に恵みを施されることを知りましょう」。
夕暮れ時、娘たちが集まる場所は、水汲みのための井戸のまわりでした。水を飲ませてくれる親切な心、ラクダへの心配りもできること、また、ラクダに水を飲ませるためには何度も何度も水を汲まなければなりません。そのたまめに必要な忍耐と、自然にその人となりを見る機会が与えられています。ちなみにラクダは1回に水を100L以上飲むと言われます。この時は10頭いましたから1000L。大きなドラム缶5本分、牛乳パックなら1000個分。忍耐と覚悟がなければ、ラクダにも飲ませましょうとは言えないのです。
果たして、ことは、しもべの願い通りとなり、目に留まったリベカという娘の家に案内されたときに、出された食事に手をつける前に、さっそく本題をリベカの兄と父親に切り出します。
創世記24章33節のところです。ここから、これまでの内容、ことの次第が省略されることなく、繰り返されています。読者には忍耐が必要です。しかし、それはすべて、この答えを引き出すために必要でした。
24:50 ラバンとベトエルは答えて言った、「この事は主から出たことですから、わたしどもはあなたによしあしを言うことができません。
24:51 リベカがここにおりますから連れて行って、主が言われたように、あなたの主人の子の妻にしてください」。
このあと、しもべは、主なる神さまに感謝の礼拝をささげます。
1つ目の話が少し長くなっていますが、これまでの経緯が、しもべの口から繰り返されたことと、兄ラバンと父ベトエルの答え《この事は主から出たことですから、》に注目しましょう。神さまはこの世を造られ、また保ち、そして世の出来事、歴史をご支配されています。つまり、
箴言19:21
人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。
と言うことです。真理は、神さま、またこの神さまの言葉である聖書にあります。いやここにしかありません。この真理を理解し、真理のうちを歩む時に、ことは万事すすんでいきます。停滞や困難がある時にも神さまは必ず出口を備えてくださっています。それを見出さる信仰者の幸いを教えられています。
2、リベカ/すぐに1歩を踏み出す
24:54 彼と従者たちは飲み食いして宿ったが、あくる朝彼らが起きた時、しもべは言った、「わたしを主人のもとに帰らせてください」。
24:55 リベカの兄と母とは言った、「娘は数日、少なくとも十日、わたしどもと共にいて、それから行かせましょう」。
24:56 しもべは彼らに言った、「主はわたしの道にさいわいを与えられましたから、わたしを引きとめずに、主人のもとに帰らせてください」。
翌朝、しもべは、すぐに戻りたいと申し出ます。しかし、リベカの兄と母は、少なくとも10日は、いっしょにすごして別れを惜しみたいと申し出ます。
しもべは、ゆずらず、判断はリベカ自身に委ねられました。
24:58 彼らはリベカを呼んで言った、「あなたはこの人と一緒に行きますか」。彼女は言った、「行きます」。
ここにリベカの信仰を見ることができます。
先ほど見た、しもべのことば、
《「主はわたしの道にさいわいを与えられましたから、わたしを引きとめずに、主人のもとに帰らせてください」。》
リベカは、このしもべのことば通りに、主の導きを確信し、遅らせることなくすすむ決断をしました。会ったこともない相手、行ったことのない異教の地、慣れ親しんだ家族から離れて行くこと、不安は数えればきりがなかったでしょう。しかし、それに優る神さまへの信頼がリベカにはありました。
24:60 彼らはリベカを祝福して彼女に言った、/「妹よ、あなたは、ちよろずの人の母となれ。あなたの子孫はその敵の門を打ち取れ」。
※ちよろず=千万と書いて、限りなく多い数を示す。
創世記
22:17 わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、
《あなたの子孫は敵の門を打ち取り、》と神さまがアブラハムに約束された、同じ言葉で、リベカの家族がリベカに祝福の祈りをしています。
このことは、まさに神さまから出たことであり、アブラハムの信仰が継承されていくその計画のうちにあることでした。リベカにはそれにすぐに従い、祝福を得ました。これに歩めと導かれて、すぐに1歩が踏みだせる信仰者の幸いを教えられています。
3、イサク/意志で愛する
24:63 イサクは夕暮、野に出て歩いていたが、目をあげて、らくだの来るのを見た。
24:66 しもべは自分がしたことのすべてをイサクに話した。
さすがにここでは、これまでの経緯が繰り返されていませんが、しもべの報告を聞いて、イサクもこのことが神さまの導きであったことを深く感じ入っていたでしょう。
24:67 イサクはリベカを天幕に連れて行き、リベカをめとって妻とし、彼女を愛した。こうしてイサクは母の死後、慰めを得た。
きょうは、神さまが、アブラハムの信仰とアブラハムとのの約束にある祝福を継承する信仰の家族を造るために、アブラハムの息子イサクにふさわしい妻リベカを導き与えたことをみてきました。また、その神さまの導きがまた、神さまの祝福の1つであるとも理解することができます。そしてアブラハムの血筋だからではなく、アブラハムと同じ信仰にあってこそ神の民であるとモーセはイスラエルの民に教えたかったのでしょう。
神さまは、私たちにもそれぞれにご計画をお持ちであって、ご介入と導きをくださいます。
誤解のないようにお話ししておきますが、イサクとリベカのようにお互い知らずに結婚することがすすめられているというわけではありません。お互いによく知り合って結婚するのは大切です。しかし、結婚は、男女が1つになるためのものであると神さまは言っています。
創世記
2:24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
ですから、お互いを自分のことのように愛し合うことが求められているのです。好きや嫌いと言った感情ではなく、自分の意志による愛でお互いに仕えあうのです。イエスさまを信じ、イエスさまを通して、神さまの愛を知る者は、その同じ愛で、意志をもってお互いを愛することができるようになります。
神さまの導きが必ずしも結婚という結果にならない場合もあるでしょう。しかし、神さまの導きに従って、歩む歩みに必ず神さまは祝福を与えてくださいます。
2022年4月3日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳師
教会を離れてしまった兄姉へ
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人生に行き詰った方へ
教会は、人がこの世に生まれた時から天に召される時まで、すべての時が神の導きと祝福の内にあることを実感するところです。そして、聖書は人生の処方箋とも言えます。人生に行き詰まりを感じることや、疲れをおぼえる時は、先ず休むことです。明日のことは、明日にならないとわかりません。明日に備えてグッスリ眠るほうが健康的です。
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