「いのちをも犠牲にする愛」
皆さん、こんにちは、「聖書からのワンポイント」の清水浩治です。今日のお話のタイトルは、「いのちをも犠牲にする愛」であります。
ここ数か月の間、讃美歌の内容、背景について考えるお話が多いですが、今日も同様の内容で進めていきます。今年の一月に聴いていただいた方にはご記憶にとどめていただいているかもしれませんが、「安けさは川のごとく」という曲の背景について考えました。この曲が「アンという名の少女」の番組の中で流れていたので、それを取り上げました。
おさらいをしますと、スパフォードというクリスチャンの弁護士、実業家が自分の娘4人が海難事故で亡くなった場所に船で近づいた時に、心動かされて神を賛美する詩として書いた歌詞が、「安けさは川のごとく」の歌詞として歌われています。スパフォードは歌詞を書きましたが、この歌詞にメロディーをつけた人は、フィリップ・ブリスという人物でした。今日注目する人は、このフィリップ・ブリスです。
フィリップ・ブリスは、今背景に流れている讃美歌(讃美歌という時には、神を賛美する歌という意味で使っています)My Redeemer(わたしの贖い主)、 聖歌という曲集の中では「十字架の上にて」のタイトルで歌われている曲の歌詞を書きました。この曲の歌詞は、彼が亡くなってから彼の旅行用のカバンの中から発見されたものでありました。
その経緯をご説明します。彼は38歳の若さで列車事故によりこの世を去りましたが、見つかった歌詞は彼が旅行をしていた時の旅行カバンの中から発見されました。1876年のクリスマスの時期、彼は住んでいたシカゴから故郷のペンシルバニア州のローマという町に戻っていましたが、奥さんのルーシーと一緒にシカゴに戻る途中で事故は起きました。
オハイオ州のアシュタブラの近くで、川にかかっていた列車用の橋が崩れ落ちてしまったのです。列車は20メートルの高さから渓谷に落下して、火災が発生しました。92名の人たちがこの事故で亡くなりました。ブリスは、この高さからの落下を生き延びて列車の窓から外へ這い出しましたが、妻がまだ列車の中にいることに気づき、再び列車の中へと戻っていったと言われています。そして、結果的に、彼も亡くなってしまうのです。
定かではありませんが、次のような話も伝えられています。「彼の奥さんルーシーが、列車の落下によって椅子の鉄の枠組みに挟まれてしまい、そこから抜け出せずにいました。助けようとしたブリスは迫ってきた火の手に、彼女と一緒に飲み込まれてしまいました。」
旅行カバンの中で見つかった歌詞は、彼の後継者としてソングリーダーになったジェイムス・マクグラナハムによってメロディーが付けられて、歌われるようになりました。
一番の歌詞をお伝えします。
わたしは、わたしの贖い主を歌い、彼のすばらしいわたしへの愛を歌おう。
彼は残酷な十字架の苦しみを受け、罪の呪いからわたしを自由にしてくれた。
わたしは、十字架上の血潮にてわたしを買い戻してくれたわたしの贖い主を
歌おう。十字架上にて彼はわたしの赦しを保証し、十字架上にてわたしの負債
を払ってくださり、わたしを自由にしてくださったのだ。
この歌詞で、カギとなる言葉は贖いという言葉であります。「買い戻す」という意味を持つ言葉で、買い戻すためには、代価が払われなければなりません。
つまり、わたしたちが神の前における罪の束縛から解放されるために、キリストの十字架における身代わりの死によって代価が支払われ、支払われた代価ゆえに私たちが自由となる、解放されるというのが聖書の語る救いのメッセージなのです。
フィリップ・ブリスは、この聖書の根幹となる教えをこの歌詞に託してこの世を去りました。彼の歌詞に込めたメッセージは、今、人々がこの歌詞を賛美の曲として歌う時に思い起こされるのです。ブリスは、友人スパフォードのために書いた曲が発表されて、一か月後に亡くなったスパフォードの4人の娘たちと天国にて再会したのでした。
お時間になりました。また、来月のこの時間、聖書からのワンポイントでお会いしましょう。
お聴きいただきありがとうございます。
2022.5.13
ラジオ・ティーチング・ミニストリー「聖書からのワンポイント」
「いのちをも犠牲にする愛」
牧師:清水浩治