ショートメッセージ【サマリヤの女④】

ヨハネによる福音書4章27-38節
(変えられた女性)

1、変えられた女性

 前回のところ、4章16-26節では、イエス様が、サマリヤの女性の堅い心を開かれて、神さまからの命の恵みを女性の霊に注がれ、心の奥に眠っていた霊を神さまに向けて開放された様子をみました。
 そして、イエス様が来られたことで、今、私たちがいる場所で、礼拝をささげることができるようになりました。

 もともと神さまが吹き入れてくださった命と霊によって、霊である神さまを仰ぎ、神さまから流れ込んでくる命の息の恵みを受け続けなさい。それこそが、霊とまことをもっておささげする礼拝ですと教えられました。

 今回は、前回と箇所が少し重複しますが、4章25-38節を見ます。

1、変えられた女性
 ヨハネによる福音書4章25-29節を読みます。

4:25 女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。
4:26 イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。
4:27 そのとき、弟子たちが帰って来て、イエスがひとりの女と話しておられるのを見て不思議に思ったが、しかし、「何を求めておられますか」とも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、尋ねる者はひとりもなかった。
4:28 この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、
4:29 「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。

 帰ってきたイエス様の弟子たちを見たこの女性は、大切な水の入った水がめを置いたまま、人々へイエス様のことを知らせるために町に行きます。

 女性は、帰ってきた弟子のユダヤ人たちを見ます。弟子たちは、女性がふだんサマリヤで見ることのないユダヤ人たちでした。その目からの情報と《救はユダヤ人から来る》(4章22節)と言われたイエス様の耳からの情報が重なりました。

 その上で25節、女性の《メシヤ》という言葉に対するイエス様の答えが4章26節です。

4:26 イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。

 このイエス様のお言葉が女性の心に突き刺さったのでしょう。

 そして、わたしがメシヤであることをあなたは信じるか、信じないか。今、決めなさい。と迫ってきました。このあとの4章29節で《「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。》の言葉から、女性が、イエス様の光に心の闇をすべて照らされ、自分の罪に向き合わされて、イエス様を恐れたことがわかります。

 《「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」。》(ルカ5章8節)と言ったペテロと同じようなイエス様をおそれる心境でした。

 女性は、暮らしに必要で大切な水がめをそのままそこに置いて町へ行き、これまで人目を避けていたのに、ここでは、人前に出て行って人々に伝えました。そうしなければという衝動が彼女の中に走って全く変えられたのです。
 4章29節《さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。》と人々に言いました。

 4章29節の《もしかしたら、》ですが、「きっとこの方がキリストではないでしょうか。」くらいの意味合いです。
 それまで人目を避けていた女性でしたから、いきなり断定的な強い口調で言うことが、差し障りを感じためらったと考えられます。また、かえって疑われるという思いがあったのかもしれません。
 女性は、水がめを置いたイエス様のおられる場所に、自分がお会いしたイエス様を、メシヤだと信じるサマリヤの人たちを連れて行ける。という確信があったと、私はそう感じます。
 ヨハネによる福音書4章30節を読みます。

4:30 人々は町を出て、ぞくぞくとイエスのところへ行った。

 女性にうながされて、多くの人々がイエス様のもとに詰めかけました。
 4章31-33節を読みます。

4:31 その間に弟子たちはイエスに、「先生、召しあがってください」とすすめた。
4:32 ところが、イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」。
4:33 そこで、弟子たちが互に言った、「だれかが、何か食べるものを持ってきてさしあげたのであろうか」。
4:34 イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。

 サマリヤの女性同様に、弟子たちとイエス様との会話もかみ合っていません。弟子たちは肉の糧をイエス様は霊の糧について言われていました。
 イエス様は、食べ物による空腹の満たしだけではなく、霊的な意味で主の御心を行い、御業を成し遂げることで、心の満たしを得る方法があると言われました。
 しかし、弟子たちはその意味が飲み込めず、食事を誰かにもらわれたのかと考えたのです。
 4章35-38節を読みます。

4:35 あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。
4:36 刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。
4:37 そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。
4:38 わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦しなかったものを刈りとらせた。ほかの人々が労苦し、あなたがたは、彼らの労苦の実にあずかっているのである」。

 目の見える範囲に、麦畑があったのかもしれません。もしそうだとしたら、刈り入れるには早すぎる、あと4か月はかかる状態だったのでしょう。
 イエス様のお言葉は、弟子たちが、サマリヤ人は、救われるはずがない。と、そう思い込んでいることへの警鐘、また、諭しでした。

 ユダヤ人に救いが広がっていないのに、サマリヤ人に救いがくるはずがない。との思い込みは、間違いで、神さまの御思いをないがしろにしていますよ。
 霊的な目で畑の状態を見れば、あなたがたが。これまで刈り取ってきた人たちと同じように、サマリヤの人々も、もう色づいて刈り入れるばかりとなっていますよ。
 そう言って、サマリヤ人たちが飢え渇きの心でメシヤを待ち望んでいると示されたのです。

 そして、霊的な収穫によって、刈る者だけでなく、蒔いたものも、その報酬を受けて、永遠の命に至る実を受け取って喜ぶのだと言うのです。
 今のあなたたちの思い込みを横に置いて、主の御心に沿って導きのまま歩んで行くならば、そう、目を上げて畑を見るならば、霊的な収穫を得ることができる。と、イエス様は言われました。

 ここでは、異邦人の救いということが分かっていない弟子たちに対して、サマリヤ人に限らず、異邦人たちを刈り取る働きが、あなたたちに、このあと起きるとイエス様が示されています。

 本日のところでは、サマリヤの女性が全く変えられた様子を見ました。
 飲み水の入った水がめがよりも、イエス様から注がれるいのちの水の大切さを知り、人々にも伝えなければと思わされたのです。これまで避けていた人の目も気にせず人前に出て伝えました。

 イエス様を信じることで、生き方の優先順位が変えられます。
 神さま、イエス様が語られる御言葉は、神さまよって造られた人が、どのようにすれば神さまの前に正しく歩めるかを示します。

 イエス様を信じて、罪が赦され、罪に染まらないように、御言葉を日々、鏡として歩むことを一番にすれば自ずと他のものもついて来ます。失うことのない希望に照らされて、豊かな人生を歩むことができます。
 サマリヤの女性はそれが分かったのです。

2024年9月29日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳

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