ショートメッセージ【ザアカイ】
ルカによる福音書19章1-27節
(神はあなたの心を見て導かれる)
1、イエス様と出会う喜び
2、神さまとともに歩むこと
1、イエス様と出会う喜び
ルカによる福音書19章1-2節を読みます。
19:1 さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。
19:2 ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。
イエス様とザアカイと言う人のエピソードが書かれています。
ザアカイと言う人は、金持ちで取税人であることがわかります。しかも、“かしら”ですから、仕事ができることはもちろんのこと、取税人集団を束ねるリーダーとしての資質もあったというところでしょうか。
続けて19章3-6節を読みます。
19:3 彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。
19:4 それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。
19:5 イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。
19:6 そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。
ザアカイは、イエス様を見たかったと書いてあります。しかし、背が低いため、いちじく桑の木に登りました。そこで、イエス様から、《きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。》と言われます。ザアカイは大喜びでイエス様を迎え入れました。
ザアカイは、取税人という当時の社会では喜ばれない職業でした。それは、19章7節を見ますと、
19:7 人々はみな、これを見てつぶやき、「彼は罪人の家にはいって客となった」と言った。
と書かれている通りです。
現在の日本でも、一生懸命稼いだお金ですから、税金を納めることに前向きで積極的な人を見聞きしません。そして、その納めた税金は、ローマ帝国の資金になるわけですから、統治されているユダヤ人にとって取税人は、憎むべき対象になることは容易に想像ができます。
では、ザアカイと言う人は、非道徳的な人物だったのでしょうか。
19章8-9節を読みます。
19:8 ザアカイは立って主に言った、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」。
19:9 イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。
このように見ますと、ザアカイは取税人と言う嫌われる仕事はしていても、大きな不正をしている人には見えません。19章8節で《もしだれかから不正な取立てをしていましたら、》と書かれていますから、むしろ、そのような不正がないように気を付けていたようにも見えるのです。
ルカによる福音書19章1-8節までを読むかぎりザアカイは、取税人と言う仕事をしていてお金持ちでしたが、お金に心があるのではなく、神さまに憐みを求める心があったのではないでしょうか。
そのようなザアカイに、イエス様はおっしゃいました。19章10節です。
19:10 人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。
しっかりと文脈で見ていくと、イエス様は、ザアカイの神さまへの信頼や人格を見て、表面的な世間の評価ではなく、ザアカイの心を評価して見つけ出すために来た。とおっしゃっています。
ここに、神さまと共に生きる人の大きな喜びがあるのです。それは今も同じです。キリストは、目に見えるものにではなく、私たちの神さまへの信頼や実質的な生き方を評価され、神さまを求める人に応えて招かれているのです。
ザアカイは、ルカによる福音書のこの場面にのみ登場する人物です。そして無理に記事にしなくても大まかな文脈が損なわれることもありません。しかし、このようなワンポイントで出てくる人物は、聖書記者がどうしても記事として伝えたい人物であるという意志が見られるという点で、注目すべき箇所でもあるのです。
2、神さまとともに歩むこと
ルカによる福音書19章11節を読みます。
19:11 人々がこれらの言葉を聞いているときに、イエスはなお一つの譬をお話しになった。それはエルサレムに近づいてこられたし、また人々が神の国はたちまち現れると思っていたためである。
19章11節は、人々がイエス様とザアカイのやりとりを聞いて、今こそ神さまの統治するイスラエルの復興の時だと思って人がいるということです。それに対してイエス様は、これから罪の贖いのために、ご自分が死ぬ目的でエルサレムに向かい、まだ、その時は、未来であるから、それにふさわしく歩むことを教えられるために、続く19章12節から27節の“ミナの譬え話”をされました。
時間の関係で割愛しますが、内容としては神の国が来ることを知って、与えられた所で、与えられた神の国の住人として、決して挫けることなく懸命に歩みなさいと教えています。また、キリストを求めない人の末路は悲惨であることも付け加えて説明されています。
ここで大きなモデルとしてザアカイという人の生き方が指標になっていることがわかります。ザアカイの話は19章10節で終わりであると思われがちですが、このたとえ話まで読みますと、ルカがどうしても“ザアカイ”と言う人物を紹介したかった理由が見えてきます。
私たちが学ぶべきは、ザアカイのように社会の評価や他人の評価ばかりを気にするのではなく、神さまに与えられた場所で、与えられた働きを懸命に全うすることを教えられます。
神さまは、その事を見ておられるという大きな励ましをもらうことができる箇所なのです。
19章10節で、イエス様が、ザアカイに対して《人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。》と、おっしゃったところに私たちもザアカイと同じ励ましをいただけるのではないでしょうか。
2024年9月1日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治
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