ショートメッセージ【サマリヤの女②】
ヨハネによる福音書4章6-15節
(生ける水を欲した女性)
1、生ける水を欲した女性
(1)イエス様の語る生ける水
前回のメッセージでは、サマリヤ人の背景について、また、イエス様が私たちと同じ肉体をもたれ、同じ疲れを覚えることを見ました。そのようなイエス様だからこそ、私たちの日々の痛み、苦しみのすべてをよくご存知であることを理解しました。
あなたの苦しみは、すべてわたしの苦しみ、あなたの痛みはすべてわたしの痛み。としてくださるイエス様が、私たちの罪のために十字架にかかって死なれ、しかし、3日目によみがえられて、今も私たちと共に歩んで、私たちをお支えてくださっている幸いを見ました。
先週と重なっている箇所もありますが、今回は4章6-15節を見ます。
1、生ける水を欲した女性
ヨハネによる福音書4章6-9節を読みます。
4:6 そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。
4:7 ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。
4:8 弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。
4:9 すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。
6節、イエス様は、井戸の側にすわって、旅の疲れを癒されていました。弟子たちは食物を買いに行って誰もいませんでした。時間は昼の12時ごろでした。
そして7節、ここに1人のサマリヤの女性が水を汲みに来ます。
当時、水くみは、女性の仕事でした。日中は暑いですから通常、朝か夕方が、水くみの時間帯でした。だとすれば、この女性は、他の女性たちに会わないように人目を避けてこの時間帯を選んだのだと考えられます。何か事情があることは確かでしょう。
7節でイエス様は、この女性に《「水を飲ませて下さい」》と声をかけられました。
この女性は、驚いています。その理由は、先週説明させていただきました。ユダヤ人は、サマリヤ人(びと)といっさいの関わりを持っていなかったからでした。ユダヤ人は、サマリヤ人(びと)と、食事はもちろん、同じ食器を使うことさえも、汚れるとして避けていたようです。
また、当時は、外で男性が、見ず知らずの女性に声をかけるということはありませんでした。
民を指導する立場のユダヤ人の先生と見える方が、汚れることを承知で、慣習をやぶって、知らないサマリヤの女性に声をかけ、水をくださいとお願いしていることに、この女性は驚いたのです。
そういう状況ですので、この女性は、からかわれているのかもしれないと感じ、警戒しているようにも見えます。
4章10-12節を読みます。
4:10 イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。
4:11 女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。
4:12 あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。
10節を注意深く読みますと、イエス様は彼女の興味を誘います。
11-12節で、女性は、興味がそそられて、イエス様へまじめに質問をしています。
この女性は、イエス様が言われた《生ける水》を、泉のように湧き続ける水と理解しました。そして、ヤコブ(創世記に登場する)に、まつわる言い伝えを思い出したのでしょう。それは、「先祖ヤコブがその井戸の口から石を取り上げた時、井戸の水があふれ出して、20年の間あふれ続けた。」というものでした。
そしてイエス様に対して、あなたの言う《生ける水》というのは、20年どころか、もっとすごい水なのですかと、そうであれば、私たちの先祖のヤコブよりもあなたは偉いお方ということですか。と聞いているのです。
4章13-14節を読みます。
4:13 イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
イエス様はこの女性に、わたしが言っているのは、流水とか、湧き水と言った水について話しているのではありません。わたしが与える水は、一度飲んだら2 度と渇くことがなく、その人の中で泉となって流れ出て、《永遠の命に至る水》なのです。とはっきり言われました。
彼女にとって水汲みは、人目を避けて、日中の暑い日差しの中で、水を汲みに来なければならないものでした。サマリヤ地方は、地中海性気候で、東京よりも温暖で、夏は高温になるようです。
この女性は、イエス様の言われていることを理解できずに、自分が人目を避けて暑いなか、井戸へ水汲みに来なくてもいいように、あなたの言う湧き出す飲み水を是非ください。と答えるのです。
イエス様とこの女性の話はかみ合っていませんが、この後、イエス様は、忍耐強く、彼女に理解させるため、別のアプローチに切り替えて話を続け、女性を導いていかれます。
それは、この後のお話しになりますので、来週、ともに見ていきましょう。
本日のところは、イエス様が話された《生ける水》について見ておきましょう。
(1)イエス様の語る生ける水
《生ける水》それは、どんなものでしょうか。
同じヨハネによる福音書の中に答えがあります。
ヨハネによる福音書7章37-39節を読みます。
7:37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
7:39 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。
この箇所から《生ける水》とは、御霊=聖霊のことだということが分かります。
御霊=聖霊を簡単に説明するのは、なかなか難しいことです。それで、ここでは、ご聖霊がもたらすもの、ご聖霊が備えてくださるものを見ましょう。
ガラテヤ人への手紙5章22-23節では、
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
とあります。ですから、この御霊によって信仰者が結ぶ実は、愛、喜び、平和(平安)、寛容、慈愛(親切)、善意、忠実(誠実)、柔和、自制であることが教えられています。
これらを私たちに与え、満たされるようにしてくださるのがご聖霊です。
また、ご聖霊は、罪と正しいことを私たちに教えます。さらに、神さまのことば、御言葉の理解を助け、私たちを真理に導きます。
イエス様を信じ受け入れた者は、誰でも例外なくご聖霊をいただきます。そしてお言葉をいただいて、ご聖霊によって神さまの御言葉を理解し、お言葉に従って祈って歩む時、先ほど読んだ、ガラテヤ人への手紙5章22-23節の御霊の実が結ばれていきます。
このように、御霊の実として、愛や喜びや平和などがその人に満ち、やがて、その人から泉のようにあふれて他の人を愛や喜びや平和で包んでいくのです。
創世記8章21節 には、《人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。》と、はっきりと書かれています。それは、私たちの古い肉体に宿る、罪の泉から来る悪なのです。
しかし、イエス様を信じ受け入れた私たちは、いただいたご聖霊の働きによって、神さまの御言葉をもとに生み出されていく、自らあふれ出てくる愛や喜びや平和の大きな流れによって、罪からくる悪いものをすべて押し流すことができるのです。
そうして私たちは、父なる神さまとイエス様の愛の交わりの中へ、ともに加えられていくのです。それこそが《永遠の命に至る水》です。
ご聖霊は、私たちの「助け主」として、私たちが、この父なる神さまとイエス様の愛の交わり交わりを豊かに経験できるようにと寄り添って助けてくださるのです。このご聖霊の働きを、イエス様は、人のお腹の奥底から「流れ出て」尽きることなく「湧き出る」《生ける水》と言われたのです。
イエス様が、サマリヤの女性に伝え、与えようとされていたもの、それは、聖書が私たちに伝え、与えようとしている《生ける水》でした。
そのためには、目の前で起こるすべてを神さまの御心と信じ受け入れ、御言葉の約束を確信して、御言葉に従っていく、従おうと祈り願っていく歩みをすること。ご聖霊の助けをいただきながら、イエス様に喜ばれる道を選び取ろう、選び取ろうとしていく歩みだと言えます。
そして、自分の内側からこんこんと沸き上がる愛や喜びや平和(平安)で、潤いある生活を続けることができる。その愛や喜びや平和(平安)は、必然的に他の人にも及んで潤していく、そんな恵みにあずかること。そんな恵みの状態が、《生ける水》が、永遠の命に至り、あふれている状況なのです。
2024年9月15日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳
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