「別の道を行けばよかった」
(I wish I had gone the other way.)
皆さん、こんにちは。聖書からのワンポイントの清水浩治です。今日のお話のタイトルは、「別の道を行けばよかったであります。
ずいぶん前のことですが、一人のアメリカ人宣教師の方とお話をしていました。その方は日本の道路全般に関して次のように語りました。「日本の道は、どの道を行っても、別の道を行けばよかったと思う。」つまり、どの道を行っても混んでいる、と言いたかったのです。やや皮肉を込めた言い方に苦笑いをしてしまいましたが、言いたいことは良くわかりました。
つい最近ですが、山梨県を訪ねた後の帰り道、お盆の渋滞もあって40分もあれば走れる距離を掲示板では2時間以上、と出ていました。このまま渋滞に突っ込むか、サービスエリアにあるETCの出口から一般道に降りるか、ずいぶん迷ったのですがサービスエリアから外に出ることに決めました。今まで出たことのない出口から出たところ、そこはかなり狭い山道でした。台風が近づいていることもあり、激しく雨が降っていて、がけ崩れが起きてもおかしくないと恐れを抱きながら、広い道に早く出られるように注意深く狭い道を走っていました。
ナビは最初、逆方向が自宅と示していたのですが、狭い道でUターンなどできるような状況ではありませんでした。そこでそのまま走っていると、山梨側に戻るような道案内が出てしまいました。案の定、山梨寄りの街へと逆戻り。そして、高速道路をくぐり、反対側にでて、そこからやっと東京方面に向かうことができました。私と同じ考えをした人たちも一般道を走っていて、下道も所々で混んでいました。しばらく走ると、40分ほど前に出たサービスエリアに入れるETCの入り口の案内が出てきました。まさに「別の道を行けばよかった」を自分で体験したことになってしまいました。
自分の人生の道に関してはどうでしょうか。もしかしたら違った道を歩んでしまったのか、との思いを持つことがないわけではありませんが、その疑問を誰かにぶつけたとしても答えは返ってきませんし、神に語りかけても神の答えが自分の耳の中で響くわけでもありません。
日本でも見かけることは稀にありますが、アメリカにおいては、少なくとも私が向こうにいた時には、バンパーステッカーが貼られた車が良く走っていました。面白い表現のものや、宗教的な意味合いを持った言葉が書かれているものもありました。そのひとつに、Don’t follow me. I am lost.と書かれているステッカーがありました。「私についてこないでください。私は(道に)迷っていますので」というものです。
本来行くべきでない別の道を進んでしまったケースもあるかもしれませんが、行くべき正しい道を求めながらも、自分が迷ってしまっていると思うケースも起こりえます。お話した通り実際の道路でもあることですが、人生の道においても、この2つのパターンは存在します。
ルカの福音書の中に、ザアカイという人物が出てきますが、彼は人を騙して私腹を肥やすような歩みをしてきた人でした。つまり間違った道を、この場合は悪い意味においてでありますが、歩んできた人であります。しかし、彼がイエス・キリストと出会うことを通して変えられ、正しい道を歩むようなっていくのです。聖書は、彼が間違った道を歩んでいた状態を失われた状態、he was lostという表現で表しています。その失われた状態にあった彼を、迷っていた彼を見出したのがイエス・キリストであったのです。キリストの言葉に注目しましょう。
「人の子(イエス・キリスト)は、失われた者を捜して救うために来たのです。」
(For the Son of man is come to seek and to save that which was lost.)
私たちも、違う道に入り込んでしまった時に、また、行くべき道を求めながらも、迷っていると感じる時に、キリストに自分を見出していただき、正しく導いてもらいたいものです。
道に関する表現は、様々聖書の中にありますが、詩篇の中から2箇所を紹介したいと思います。
旧約聖書 詩篇37篇5節
「あなたの道を主(神)にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」
旧約聖書 詩編37篇23節
「主(神)によって人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。」
新約聖書においては、キリストが「わたしが道である」と語っているように、彼に従っていくことが肝要です。
お時間になりました。また来月のこの時間に、聖書からのワンポイントでお会いしましょう。お聴きいただき、ありがとうございます。
2022.9.9
ラジオ・ティーチング・ミニストリー「聖書からのワンポイント」
タイトル「別の道を行けばよかった」
牧師:清水浩治