ショートメッセージ【ピラト】

ヨハネ18章28節-19章22節、他
(ピラト)

1、総督のピラト
2、十字架刑を許可したピラト
3、世の人の代表ピラト

 本日は、ピラトについて見ます。
 ピラトは、4福音書すべてに登場しますが、特にヨハネは、ピラトがイエス様に十字架刑を宣告するに至った出来事を詳しく記していますので、ヨハネによる福音書を中心に見ていきます。

1、総督のピラト
 イエス様の時代に、ローマ帝国がユダヤ地方を治めるため、行政長官(地域の最高責任者)として駐在させていたのがピラトです。口語訳聖書では総督ピラト(マタイ27章1節)です。

 ピラトが常在していたのはカイザリヤだったようですが、当時の慣習で、過越しの祭りの期間中は、警備のためにエルサレムにいました。
 ヘロデ大王の宮殿にピラトの本部があったようです。口語訳聖書は、その場所を官邸(ヨハネによる福音書18章28節)と記しています。
 ゲッセマネの園でイエス様をとらえたユダヤ人たちは、前の大祭司アンナスと現大祭司カヤパの尋問のあと、最高議会の法廷でイエス様を有罪にした後で、朝早くピラトのもとに連れてきました。
 ヨハネによる福音書18章28節を読みます。

18:28 それから人々は、イエスをカヤパのところから官邸につれて行った。時は夜明けであった。彼らは、けがれを受けないで過越の食事ができるように、官邸にはいらなかった。

 イエス様を捕らえたユダヤ人たちは、イエス様を憎み、何とかして処刑したいと願っていた人々でした。彼らがイエス様に十字架を求めた理由は3つあります。

 1つ目は、自分たちの立場を守るためです。自分たちのこれまでの信仰の在り方を根底から否定するイエス様の教えは、自分たちの存在自体を危うくするものでした。そこで、イエス様を偽キリストとして処分しようと考えました。

 2つ目は、もしかしたら、イエス様が本物のキリストではないかという思いが、心の片隅にあったようです。
 イエス様を十字架に架けて、神さまに呪われた者とすることで、彼らの心の片隅の疑いを晴らしておきたかったのでしょう。
 申命記21章23節を読みます。

21:23 翌朝までその死体を木の上に留めておいてはならない。必ずそれをその日のうちに埋めなければならない。木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が嗣業として賜わる地を汚してはならない。

 そして3つ目。イエス様を排除することこそ、神さまに喜ばれる。という強い思い込みもあったようです。
 彼らがイエス様を十字架に架けるには、ローマ政府の許可が必要でした。ここでは、総督ピラトの承認です。それで彼らは、総督ピラトの官邸にイエス様を連行していったのです。
 ヨハネによる福音書18章31節を読みます。

18:31 そこでピラトは彼らに言った、「あなたがたは彼を引き取って、自分たちの律法でさばくがよい」。ユダヤ人らは彼に言った、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」。

 彼らが《「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」。》と言っているのは、正確には十字架刑に定める権限がないということです。

2、十字架刑を許可したピラト
 ヨハネによる福音書18章28節を読みます。

18:28 それから人々は、イエスをカヤパのところから官邸につれて行った。時は夜明けであった。彼らは、けがれを受けないで過越の食事ができるように、官邸にはいらなかった。

 まだ、夜が明けて間もない頃であったにもかかわらず、大勢で押しかけてきたユダヤ人たちからの陳情だったので、ピラトは受けざるを得ませんでした。
 「身を汚すまい」と、官邸の中に入らないユダヤ人たちが立っている場所まで、ピラトは出向いています。
 ユダヤ人たちが、この日の夜、祭りの中でも最も大切な過越しの食事をするためには、彼らの宗教上の慣習で、汚れたとする異邦人の居住区域に入ることはできませんでした。入ると自分たちが信仰的に汚れて過越しの食事ができなくなるので、官邸内に入らずにピラトの方から出向かせたのです。
 18章33-37節を読みます。

18:33 さて、ピラトはまた官邸にはいり、イエスを呼び出して言った、「あなたは、ユダヤ人の王であるか」。
18:34 イエスは答えられた、「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか」。
18:35 ピラトは答えた、「わたしはユダヤ人なのか。あなたの同族や祭司長たちが、あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは、いったい、何をしたのか」。
18:36 イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。
18:37 そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」

 ピラトの始めの質問は、18章33節《「あなたは、ユダヤ人の王であるか」。》との問いでした。するとイエス様は、34節《「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか」。》と言われます。これは、あなたは自分自身にも関わることとして聞いているのか。それとも、自分とは無関係なことだと思っているのか。というイエス様からピラトへの質問でした。

 これに対してピラトは、私はユダヤ人ではない。自分自身の大事なこととして聞いているのではない。あなたと同じユダヤ人たちとその指導者たちからの訴えを受けて仕事上尋問しているだけだと言います。

 そして35節、「どうみてもユダヤ人たちがあれほど激しく訴えるほどのことがあったとは思えない。どうして彼らを、あそこまで怒らせたのか、あなたは一体何をしたのか正直に述べなさい。」と、ピラトはイエス様に聞いています。

 ここでイエス様が言われたことは、ご自分を守るための言葉ではありませんでした。
 「わたしが、ユダヤ人の王であると言っても、わたしが治めている国は、この世のものではない。もし、わたしが、この世の国を治めているなら、わたしに従う者たちが、わたしが捕まらないように戦っていたはずだ。だから、わたしの国は、この世のものではない。」と念を押されたのです。
 ピラトは、この言葉を聞いて、この世のものでない国が、具体的にどのような国なのかは理解できないが、ローマ政府に対して反乱を起こす者ではない。ということが分かったので、ピラトの総督としての立場は、イエス様に罪を認めず、無罪にしようとしたのでした。
 それにピラトは、ユダヤ人たちの中で、イエス様に対する妬む心があることをわかっていたのです。
 ここで、マタイによる福音書27章18節を読みます。

27:18 彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたからである。

 ヨハネによる福音書に戻って18章37-40節を読みます。

18:37 そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」
18:38 ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」。こう言って、彼はまたユダヤ人の所に出て行き、彼らに言った、「わたしには、この人になんの罪も見いだせない。
18:39 過越の時には、わたしがあなたがたのために、ひとりの人を許してやるのが、あなたがたのしきたりになっている。ついては、あなたがたは、このユダヤ人の王を許してもらいたいのか」。
18:40 すると彼らは、また叫んで「その人ではなく、バラバを」と言った。このバラバは強盗であった。

 18章37節で、イエス様はピラトに王であることを告げた後、《わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。》と言われました。ここでの「真理」とは、「神さまのお心」、「神さまの真実」のことです。
 つまり、「神さまの真実なお心を証しするためにわたしは来たのだ」ということです。
 さらに言えば、イエス様は神さまの真実なお心を私たちに知らせ、味わってその素晴らしさの中に、私たちを置かれるために王として来られたということです。

 イエス様は、このことをピラトに教えるために言われたのではなく、これから後に、イエス様を信じる者が、この証言から、このことがどれほど素晴らしく、大切なのかを読み取ることを期待されているのです。

 ピラトは、イエス様の言われた「真理」が何であるか分かるはずもなく、質問をしています。しかし、先に私自身には関係ない、仕事としてあなたに質問しているだけだ。というピラトに対して、ピラト本人が心から「真理」を求めているのではないとして質問をそのまま流されています。

 ピラトが尋問を終えて得た結論は、38節の《「わたしには、この人になんの罪も見いだせない。》と言うことでした。

 この後、再びユダヤ人たちが待っている所に行き、イエス様に罪はない。と考えていることを伝えると、ユダヤ人たちの怒りは頂点に達します。そして彼らが、もし、ゆるすのなら強盗であるバラバの方にしてくれ、彼の方がましだ。と叫ぶ声に押されて、ピラトは、彼らの暴動、そして、そのことでローマ帝国に対する自分の立場が悪くなることを恐れて、イエス様の処刑を許可するのです。

3、世の人の代表ピラト
 ここでピラトは、信仰を持たない世の人の代表として描かれています。
 ピラトは、官邸内の真理を語るイエス様と、体を汚すまいと官邸の外から、信仰がありながらも、自分本位の思いで迫り、この世のものに染まり切ったユダヤ人たちの間を行ったり来たりしています。

 それは、真理とこの世の間を行ったり来たりする世の人の象徴的な姿です。

 聖書の神さまに、信仰がないからと言って世の人が、すべて悪い心だとは限りません。
 神さまを神さまとしない罪の心があっても、やさしい人、穏やかで、心の広い人、善行を行う人がおられます。
 しかし、誰もが神さまのいない世の心で生きているのです。神さまを認めず意識しない世の心は、罪から出たもので、100%罪のない人はいません。そして、神さま“聖”なる御方ですから、どんな罪をも嫌われます。

(ヨハネによる福音書8章44節で、イエス様の言葉を信じないユダヤ人に対して《あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。》と厳しい口調です。)

 ピラトも悪い人ではなかったようです。
 ヨハネによる福音書19章9-12節を読みます。

19:9 もう一度官邸にはいってイエスに言った、「あなたは、もともと、どこからきたのか」。しかし、イエスはなんの答もなさらなかった。
19:10 そこでピラトは言った、「何も答えないのか。わたしには、あなたを許す権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのか」。
19:11 イエスは答えられた、「あなたは、上から賜わるのでなければ、わたしに対してなんの権威もない。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪は、もっと大きい」。
19:12 これを聞いて、ピラトはイエスを許そうと努めた。しかしユダヤ人たちが叫んで言った、「もしこの人を許したなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王とするものはすべて、カイザルにそむく者です」。

 19章11節で、イエス様から《「あなたは、上から賜わるのでなければ、わたしに対してなんの権威もない。…》と言われても、それに怒ることなく、ユダヤ人たちが言うような罪人だとは思わずに、何とかして無罪放免にしたいと考えていました。

 しかし、ユダヤ人たちから、イエス様を無罪にすればローマ皇帝に逆らうことになると言われて、保身のために自分の思いが定まらずに右往左往しているのです。損得勘定という世の心が働いて、真理との間で心が揺れているピラトの様子が描かれています。

 正しいことが分かっていても正しく行動できない。これが“罪の力”です。この力から逃れる道は1つ、イエス様を信じイエス様に頼ることです。ピラトに限らず、誰もがイエス様を受け入れることで罪の力から解放されます。

 神さまは、信じる者も信じない者もすべてをご支配されて、神さまのご計画に用いられます。ピラトは、イエス様を受け入れられないまま、神さまに敵対する者として神さまのご計画に組み入れられました。

 あなたはどちらでしょうか。同じ用いられるならイエス様を信じ、受け入れて、神さまから「よくやったよい忠実なしもべ」と言われる歩みをすることを心からお勧めします。

 信仰をいただいた私たちにも、世の心は、その信仰を引き落とそうと働きます。ご聖霊を意識して、何が世の心、世の思い、なのかを見極めて、霊的歩み(=お言葉にしっかり従って行く歩み)をする大切さをピラトの振る舞い方を通して、教えられているのです。

2024年10月20日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳

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※当教会は、信仰の有無や長さに関係なく、
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※聖書解釈はオーソドックスなプロテスタントですが、
 教理・教条主義ではありません。
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