ショートメッセージ【イエス・キリスト_後編④】

ヨハネによる福音書13-16章、20-21章
使徒行伝1-2章、他

(イエス様の昇天とご聖霊の降臨)

1、イエス様の昇天
2、聖霊について
3、聖霊の降臨

 本日は、イエス・キリスト_後編4回目として、イエス様の昇天とご聖霊の降臨について主にヨハネによる福音者と使徒行伝から見ていきます。

1、イエス様の昇天
 ヨハネによる福音書13章33節を読みます。

13:33 子たちよ、わたしはまだしばらく、あなたがたと一緒にいる。あなたがたはわたしを捜すだろうが、すでにユダヤ人たちに言ったとおり、今あなたがたにも言う、『あなたがたはわたしの行く所に来ることはできない』。

 イエス様は、苦しまれ、十字架に架かられ、3日目によみがえられるというだけでなく、父なる神さまのおられる天にお戻りになることをユダヤ人や弟子たちに話していました。

 しかし、弟子たちは、このこともよく理解できていませんでした。彼らは、神さまから遣わされて、神さまの力で業をなされる人としてのイエス様に頼り切っていたからです。
 神さまとして天に戻られるということには考えが及んでいませんでした。
 ヨハネによる福音書13章36節を読みます。

13:36 シモン・ペテロがイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのですか」。イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」。

 続けて、ヨハネによる福音書14章5節を読みます。

14:5 トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。

 それは、イエス様に付き従った婦人たちも同様です。
 復活のイエス様にお会いしたマグダラのマリヤを見てみましょう。
 ヨハネによる福音書20章17節を読みます。

20:17 イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。

 ここで、マグダラのマリヤは、感激のあまりイエス様にしがみつこうとしたのでしょう。そんなマリヤにイエス様は《「わたしにさわってはいけない。》と言われました。
 これは、マタイによる福音書28章9節を読みますと、

28:9 すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。

 と、ありますから、一切触れないようにと禁止されたのではなく、足元にしがみついたマグダラのマリヤに、「これ以上しがみつくのはやめなさい」と言われたのだと考えられます。
 マリヤは、もう会えないと思っていたお方がここにいてくださる。こんな素晴らしいお方をもう二度と失いたくない。との思いで自然とすがりついたのでしょう。

 しかし、イエス様は、《わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。》と言われたのです。これはどうしてでしょう。

 イエス様のよみがえりは、朽ちることのない、栄光の体に変えられるためのよみがえりでした。父のみもとに上ることによって栄光のお体をいただくので、その前の体にしがみついたままになるのはもうやめなさい。と言われたのです。
 コリント人への第1の手紙15章42-44節を読みます。

15:42 死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、
15:43 卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、
15:44 肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。

 マグダラのマリヤはイエス様への思いとして、「もう2 度と死んで、居なくならないでください。私たちを置いて行かないでください。ずっとここにいてください。」と願い、イエス様をこのまま地上に引き留めようとしたのです。

 イエス様は、マグダラのマリヤに対して「私の命は十字架で終わったのではない。終わりのない命に生きるためによみがえったのです。だから、あなたを愛し、支え、導く私の働き掛けはこれからもずっと続くのです。そのために、父のみもとに上るのです。そして朽ちないものに変わり、永遠に神の力を持って天からあなたを支えます。だから、あなたは、失望することはありません。」と言わんとされているのです。

 この時のマグダラのマリヤに、イエス様の話された真意を受け止めることはできなかったかもしれません。それでも後に、必ず受けとめられると見越してイエス様は言われていました。
 ローマ人への手紙9章33節を読みます。

9:33 「見よ、わたしはシオンに、/つまずきの石、さまたげの岩を置く。それにより頼む者は、失望に終ることがない」/と書いてあるとおりである。

 私たちも同様です。イエス様により頼む者は決して失望させられることはありません。
 使徒行伝1章8-9節を読みます。

1:8 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
1:9 こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。

 イエス様は、弟子たちがご聖霊を受けて、力を得て、イエス様の成し遂げた十字架での救いの御業による福音(良い知らせ)を全世界に伝えるようにと言い残して、天に戻られました。
 では、そのご聖霊について見ていきましょう。

2、聖霊について
 イエス様は、ご聖霊のことも弟子たちに話されていました。
 ヨハネによる福音書から4箇所読みます。まず、ヨハネによる福音書14章16節を読みます。

14:16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

 ヨハネによる福音書14章26節を読みます。

14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。

 ヨハネによる福音書15章26節を読みます。

15:26 わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。

 ヨハネによる福音書16章7-8節を読みます。

16:7 しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。
16:8 それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。

 ここでイエス様は、ご聖霊の役割についても話されています。

 ご聖霊は、いつまでも弟子たちを助け、共に居てくださる存在であり、神さまの真理のすべてを教え、イエス様が話されたことを思い出させ、その意味を悟らせる働きをします。
 また、ご聖霊は、《罪と義とさばき》について知らせるので、神さまの喜ばれる正しい人としての歩みができると言われています。
 ヨハネによる福音書16章8節の《罪と義とさばき》の3つについて、ヨハネによる福音書16章9-11節でさらに説明が加えられています。今回、時間の関係で省略させていただきます。あとで、ご覧いただければと思います。

 このように、御霊(ご聖霊)は、弟子たちを内側から強くし、神さまの御心を大胆に証しする者に造り変えられ、しっかりと信仰に立たせてくださる。また、世との戦いに完全な勝利をさせてくださる。という、なくてはならない最高の助け主であることが示されています。
 そして、ご聖霊の働きは弟子たちに止まらず、今を生きる信仰者すべての人たちを含め、この瞬間も、私たちを助けてくださっています。

3、聖霊の降臨
 ヨハネによる福音書21章9節と14節を読みます。

21:9 彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。

21:14 イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である。

 前回も見た箇所です。
 イエス様は、たとえ天に戻られても弟子たちの生活のすべてに、イエス様が深く関わってくださり、いつも共にいてくださることを心に刻んで歩めるようにと、朝食をご一緒されました。

 しかし、イエス様の目的は、ただ弟子たちを励ますことだけではありませんでした。イエス様は、弟子たちがこれから信仰を持って働くうえで、心の中に妨げになるものがあることをご存じでした。そのため、弟子たちがその心の重荷から解放され、信仰が強くなるように、そしてご聖霊が注がれることで、彼らの信仰と働きが確かなものになるために、イエス様は来られたのです。

 弟子たちはイエス様が捕らえられた夜、皆逃げて、イエス様への信仰につまずきました。そのことが弟子としての信仰への自信喪失につながっていたのは確かだったでしょう。
 この後、イエス様は、ペテロに弟子たちの代表として、「あなたは、わたしを愛しているか」と三度尋ねます。

 イエス様は、ペテロに「ペテロ、自分を責めないように。そのような不信仰が、顔を覗かせてしまう弱さがもっているのが人間の信仰です。しかし、私を愛する思いが消えない限り、あなたから信仰がなくなった。と、わたしは決して見ません。弱さのある信仰であることを自覚しながら、自分の思いの限り、キリストであるわたしを愛したい。わたしに従いたい。と思い続けることが大切なのです。自分の思い、人間的判断基準で自分の信仰を否定しないようにしなさい。」と語りかけ、励まして、信仰を回復させようとしておられたのです。
 三度「愛している」とペテロが答えられるようにしたのも、ペテロが、三度イエス様を「知らない」と否定した後悔から、自分を責めることから解放できるように、また、克服できるように、とのイエス様の思いからでしょう。さらに、イエス様は、ペテロに「だから、そんな、あなたにわたしは使命を与えますよ。わたしの羊を養いなさい。そして、わたしに従いなさい(=わたしに従っていいんですよ) 間違いなく、あなたは私の弟子ですから、弟子たちのリーダーなのですから、そして、他の弟子たちは、そのリーダーに従う私の弟子たちです。」と励まされたのです。
 使徒行伝2章1-4節を読みます。

2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
2:3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

 こうして弟子たちは、信仰から離れず、ご聖霊を待ち望み、ご聖霊を受け、使徒行伝1章8節の御言葉の通りとなります。

1:8 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。

 イエス様を信じた私たちも同じ助け主=ご聖霊をいただいていることを意識して、聖霊により頼み、イエス様の証し人としての信仰の歩みをさせていただきましょう。

2024年11月17日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳


(レンブラント・ファン・レイン「我に触れるな」(1638))

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