「あてもない旅」

 みなさん、こんにちは。聖書からのワンポイントの清水浩治です。今日のお話のタイトルは「あてもない旅」であります。

 皆さんは旅行を計画される時に、どのような手順を踏むでしょうか。旅行をしたい時期を決め、行きたい場所を決める。交通手段はどうするのか、泊まる宿はどこのするのか、自分ですべて計画する旅行とするのか、いわゆるパック旅行にするのかなど、選択肢は様々です。

 私たち夫婦は、一度、泊まる宿も決めずに、行先も決めずに、とにかく2泊で旅行に出かけよう、とそれだけ決めて旅行に出たことがあります。交通手段は車でした。私が運転するので、地元のインターから高速に入って、まずどの方向に行くのかを決めなければなりませんでした。

 運転手としては、それなりに、行く場所の候補は頭の中に描いていました。圏央道を進み、途中で中央道へと行く方向を定めました。そして今まで行ったことのない山梨の昇仙峡に行きました。さて、そろそろ最初に宿泊する宿を見つけなければなりません。あまり遠くない諏訪湖近辺で宿の予約をしました。

 諏訪湖の周りを観光してから、宿に到着しました。2日目は、そこから中央道をさらに進んで、北上するか、南下するかの選択を迫られることになります。私たちの選択は、南下でした。南アルプスを右手に眺めながら行く先を考えていたのですが、御岳山(おんたけさん)のある木曾のほうに進路を取りました。
 そして泊まるところを木曾に決め、スマホで予約を入れました。現代では一般的になったスマホでの予約ですが、これができない時代では、私たちの取った行動は車中泊の危険性をはらんでいたかもしれません。

 パーソナリティーの安田さんも、前回の放送の内容で、私がお話しした失敗を清水牧師らしくない失敗とおっしゃっていましたが、今回のこの内容で、イメージしていた清水と実際の清水には違いがある、とお気づきになったかもしれませんね。

 目的地のない旅はあまり聞いたことがないかもしれません。しかし、究極の目的地のない旅行は、2019年のオーストリア、チェコを訪れた旅行でした。旅行会社の設定では、この2か国の国内を旅することを前提としていましたが、なんと私たちは、オーストリア、チェコは言うまでもなく、ドイツ、スロバキア、ハンガリーにまで足を延ばしたのです。旅行の規定に反することはしていませんが、とにかく多くの国に行くことが一つの目標となりました。

 チェコからドイツに行った時は日帰りのバス旅行で、ドレスデンについてから、帰りのバスの時間までどこに行こうか、とハンバーガーショップでお昼を食べながら決めるという計画性のなさでした。幸い、20~30分の徒歩圏内に訪ねられる宮殿があり、そこを見てきました。

 ここまでは、ジョークみたいな話ですが、よく人生は旅に例えられますよね。人生の目的地は、皆さん、決まっておりますでしょうか。最終目的地を決めないままで人生という旅路を歩いている人が多いのではないかと考えます。もしそうだとすれば、清水の旅を笑うことはできません。

 チェコのプラハからハンガリーのブダペストに行った時に、私の勘違いから、泊まるところだと思っていた施設の電話番号をかけても「あなたの予約は承っておりません」と言われました。一瞬ですが日本から遠く離れたブダペストの地で野宿をすることになるのでは、と恐れを抱いたことを今でも思い出します。

 私たちの人生の最終目的地はどこでしょう。今までの人生の中で、それを決めたことがあるでしょうか。もし、決めていないとすれば、早急に決めなければなりません。なぜなら、自分の人生が終わる時が、最終目的地に行く時であり、決めていなければ、自分が願うところに行くことにならないかもしれないからです。石原慎太郎氏は、生前のインタビューで、死後の世界はないだろうと言っていたのをテレビの放送で聞きました。仮にそれが事実であるとすれば、死が最終目的地になります。

 新約聖書の中でパウロは、地上における私たちの歩み(旅行)は、テント生活のようなものである、と述べています。つまり、一時的なものということです。それと同時に、彼は人の手によらない永遠の住まいが天にあることを告げています。別の聖書箇所でパウロが「私たちの国籍は天にあります」と述べているように、私たちは、あてもない旅をするのではなく、イェス・キリストにあって、天国の希望を持ち、そこを目的地として歩むことができるのです。

2023.2.10
ラジオ・ティーチング・ミニストリー「聖書からのワンポイント」
タイトル:「あてもない旅」
牧師:清水浩治