ショートメッセージ【ネヘミヤ①】
ネヘミヤ記1章
(引き継がれていく中で)
1、ネヘミヤ記の背景
2、ネヘミヤの嘆き
3、なすべき自らの役割とは
1、ネヘミヤ記の背景
ネヘミヤ記1章1-2節を読みます。
1:1 ハカリヤの子ネヘミヤの言葉。第二十年のキスレウの月に、わたしが首都スサにいた時、
1:2 わたしの兄弟のひとりハナニが数人の者と共にユダから来たので、わたしは捕囚を免れて生き残ったユダヤ人の事およびエルサレムの事を尋ねた。
ここで少し年代を見ていきましょう。
神の民の不信心によってバビロンに捕囚(BC586年ころ)されました。その中にダニエル書のダニエルたちがいました。そこで、捕囚された民たちは危機の中、ダニエルをはじめ幾人かが信仰を取り戻していきます。捕囚されたからといって心を腐らせるのではなく、心を改めて異国の地で生きていくユダヤ人たちの初期の姿がありました。
その後、ペルシャのクロス王(キュロス2世、BC538年ころ)によってユダヤ人は捕囚から解放されます。イスラエルに帰還した者もいましたが、ダニエルたちのように残った者が大勢いました。
エステル記(BC480年ころ)は、異国に残った民の物語です。主人公であるエステルは、ユダヤ人がエルサレムに帰還してから約60年後にペルシャの王妃となりました。
エステル記に登場するモルデカイやエステルたちが神さまを信頼し、絶滅の危機を乗り越えていく中でユダヤ人たちは台頭し、捕囚されていた民から一般市民として権利を勝ち取っていったことを見てきました。
バビロンからエルサレムへ、イスラエルの民たちが帰還するまでに、神さまとの信頼を取り戻していく流れがお分かりいただけると思います。
そして、本日から始まるネヘミヤ記(BC445年ころ~)につながっていきます。ネヘミヤ記では、エルサレムの城壁を再建したイスラエルの民たちについて語ります。
これからネヘミヤをはじめとする当時のユダヤ人の様子を見ていくわけですが、まず注目するべきなのは、決して彼らだけの物語ではないという点です。
背景を見ていくとネヘミヤの時代の約94年前、クロス王の命により、ゼルバベルという総督が多くのイスラエルの民を引き連れてエルサレムに帰還し、神殿の再建を果たし、また、ネヘミヤより約13年前に、アルタクセルクセス王の任命を受けたエズラという祭司が、次の帰還民を連れてエルサレムに入り、エルサレムで律法を教え、宮を美しくし宮での奉仕を復活させようとしていました。
ですから、ネヘミヤ1人でこのような流れや神さまへの信頼が育ったわけではありません。国が変わり、時代が変わる中、変わらない神さまへの信頼こそが、彼らを守ってきたのです。その歴史によって培われた結果、ネヘミヤという人物が登場していることを覚えていただきたいと思います。
ネヘミヤを支えたのは、歴代の神の民が苦難の捕囚の中で培った神さまへの悔い改めと信頼の回復の結果なのです。時が満ちて、ネヘミヤは大きな仕事に取り組んでいきます。
2、ネヘミヤの嘆き
ネヘミヤ記1章3節を読みます。
1:3 彼らはわたしに言った、「かの州で捕囚を免れて生き残った者は大いなる悩みと、はずかしめのうちにあり、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼かれたままであります」と。
再建した神殿はありましたが、それを守る城壁が崩壊したままであったということです。それを聞いてネヘミヤは嘆きます。長いですが、ネヘミヤ1章4-11節を読みます。
1:4 わたしはこれらの言葉を聞いた時、すわって泣き、数日のあいだ嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈って、
1:5 言った、「天の神、主、おのれを愛し、その戒めを守る者には契約を守り、いつくしみを施される大いなる恐るべき神よ、
1:6 どうぞ耳を傾け、目を開いてしもべの祈を聞いてください。わたしは今、あなたのしもべであるイスラエルの子孫のために、昼も夜もみ前に祈り、われわれイスラエルの子孫が、あなたに対して犯した罪をざんげいたします。まことにわたしも、わたしの父の家も罪を犯しました。
1:7 われわれはあなたに対して大いに悪い事を行い、あなたのしもべモーセに命じられた戒めをも、定めをも、おきてをも守りませんでした。
1:8 どうぞ、あなたのしもべモーセに命じられた言葉を、思い起してください。すなわちあなたは言われました、『もしあなたがたが罪を犯すならば、わたしはあなたがたを、もろもろの民の間に散らす。
1:9 しかし、あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの戒めを守って、これを行うならば、たといあなたがたのうちの散らされた者が、天の果にいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ所に連れて来る』と。
1:10 彼らは、あなたが大いなる力と強い手をもって、あがなわれたあなたのしもべ、あなたの民です。
1:11 主よ、どうぞしもべの祈と、あなたの名を恐れることを喜ぶあなたのしもべらの祈に耳を傾けてください。どうぞ、きょう、しもべを恵み、この人の目の前であわれみを得させてください」。この時、わたしは王の給仕役であった。
ネヘミヤは、神さまへの信頼と尊敬の念から、神殿を守る城壁がくずれている様子を嘆いたのでした。
そして、彼は王の給仕役でした。王に接見することができる立場にいたのです。これを見ても、ネヘミヤは、ユダヤ人たちが神さまへの信頼と畏敬の念を取り戻した歴史と、市民としての権利を獲得してきた中での立場であることがお分かりいただけます。
そして、ネヘミヤは、神さまへの信頼から崩れた城壁を想い、行動に移していくのです。
3、なすべき自らの役割とは
箴言16章9節を読みましょう。
16:9 人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。
私たちは、つい自分の身の回りや目に見えるところだけで判断をしがちです。
誰が自分を導き、そこに置かれているのか。という、客観視した事実(目に見えない神さまのお働き)を見る(神さまが、自分をどのように導こうとしているのかを考える)ことは、あまりないのではないでしょうか。
その点、ネヘミヤは、なぜ自分がここに居て、その立場で役割を果たしているのかをよく理解しているからこそ、現状を嘆き、このように祈っているのです。そして、自分はどうするべきかを悟って行動に移すことができたのです。
これは国、時代、立場、性別や年齢は違っていても同じ事です。ダニエルやエステル、ネヘミヤ、そしてその時代のユダヤ人たちは、それぞれ自分につながる背景を知り、神さまへの信頼と畏敬の念をその場所において成長させ、神さまの事業を成していきました。
私もまた同じように置かれた場所で、その立場で神さまの事業を継承していることを自覚する神の民でありたいのものです。
2024年2月18日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治
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