ショートメッセージ【パウロ登場前の出来事⑤】

使徒行伝6章11-14節
使徒行伝7章

(ステパノ殉教②)

1、彼らの攻撃
2、ステパノの説教と眠り
3、聞かれたステパノの祈り

 前回、使徒行伝6章10節で終わりました。ステパノが、「リベルテン」の会堂に属する人々と議論し、

6:10 彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。

 そして、議論で対抗できないことを知った彼らは、今度は煽動をおこします。

1、彼らの攻撃
 使徒行伝6章11-14節を読みます。

6:11 そこで、彼らは人々をそそのかして、「わたしたちは、彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。
6:12 その上、民衆や長老たちや律法学者たちを煽動し、彼を襲って捕えさせ、議会にひっぱってこさせた。
6:13 それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません。
6:14 『あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」。

 彼らは、人々を煽り立て、わざわざステパノを議会に引っ張り出して来ました。
 おそらく、彼らの発言は、ステパノが言ったことの全体の一部分を切り取って印象操作をしたのだと考えられます。

 彼らの訴えは2点です。
 1点目は、「イエスが、聖所を打ちこわす」としていることです。この聖所は、ソロモンの神殿のことです。
 2点目は、イエスが、「モーセの律法を変える」モーセを汚している。この2つの点で彼らはステパノを告発しています。
 ご存知の通り、ユダヤ人は、モーセが神さまから直接、御言葉、律法を受けたこと信じています。ですから、モーセの言葉に反することを言うなら、その者は偽教師・偽預言者となります。
 「リベルテン」の会堂に属する者たちは、人々をそそのかして、ステパノは、モーセの言葉に逆らうような者だ。と訴えたのです。
 ちなみに、当時の初期の教会は、6章14節の《慣例》は否定していませんでした。
 使徒行伝6章15節を読みます。

6:15 議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた。

 ステパノの顔は《天使の顔のように見えた。》とあります。神さまのご栄光を反映している表現です。そして次に、秀逸な弁論を行ないます。使徒行伝の中で、もっとも長く記録されている説教です。この説教から、いかにステパノが知恵に満ちていたかが分かります。
 使徒行伝7章1節を読みます。

7:1 大祭司は「そのとおりか」と尋ねた。

 《「そのとおりか」》は、6章14節の2つの点です。
 つまり、大祭司はステパノに「イエスが、聖所を打ちこわす」「イエスが、モーセの律法を変える」と言い広めているのか。です。
 この2点は、議会=最高法院=サンヘンドリンを構成するユダヤ教指導者にとって決して認めることのできない事柄なので、それに異を唱えるユダヤ人は処罰しなければいけません。そこで、ステパノはその2つの点について答えます。内容は、イスラエルの歴史を振り返って、答えていきます。

2、ステパノの説教と眠り
 使徒行伝7章2-3節を読みます。

7:2 そこで、ステパノが言った、/「兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて
7:3 仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。

 この語りだしの通り、ステパノは、天使のような顔で、神さまが、イスラエル民族の始祖、アブラハムに声をかけ命じられたことから語り始めます。そして、モーセのことを7章20-44節まで語られ、最後51-53節は、イエス様を殺した彼らへ、遠慮のない厳しい言葉で非難しました。
 詳細は、使徒行伝7章を読んでいただけたらと思います。
 使徒行伝7章54節を読みます。

7:54 人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。

 ステパノは、ストレートに彼らの問題点を突いたので、《心の底から激しく怒り、》《歯ぎしりをした。》のでしょう。

 聞いていたユダヤ人指導者たちは心変わりしませんでした。ユダヤ人はご聖霊に逆らっている姿ですが、ステパノはご聖霊に満たされている姿です。次のステパノに注目します。
 使徒行伝7章55-56節を読みます。

7:55 しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
7:56 そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。

 ユダヤ人指導者の激しい怒りと対照的に、ステパノはご聖霊に満たされて、天を見つめ、主イエス様が神さまの右に立っておられるのが見えた。と書かれています。
 イエス様が、ステパノを受け入れるために、父なる神さまの右の座から立ち上がってくださったのでしょう。ステパノの心は穏やかでした。
 使徒行伝7章57-58節を読みます。

7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、
7:58 彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。

 人々の行動は強烈です。ローマ帝国からの圧政とユダヤ人指導者たちの歪んだ指導も相まってでしょうか。わざわざ《耳をおおい》と書いていますから、人々の大声は相当なものだったと言えます。そして《殺到》です。常軌を逸した行動です。
 イエス様を信じ、ご聖霊に満たされたステパノと彼らの狂乱的な行動は正反対です。

 ここで、これからテーマになる人物の登場です。サウロです。
 のちにパウロという名前になる人です。このサウロは、ステパノの説教を聞いて、ステパノを殺すことを積極的に認めた、議会=最高法院=サンヘンドリンの構成員の議員です。師匠であるガマリエルが使徒行伝5章38節で《あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。》と勧告を受けいれたにもかかわらず、サウロは、ステパノの説教を聞いたあとで常軌を逸した迫害していきます。
 使徒行伝7章59-60節は、ステパノが最後の言葉を発して終わります。

7:59 こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。
7:60 そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。

 石で打たれ、もの凄い激しい痛みのなか、イエス様にお祈りしています。
 イエス様も十字架上で神さまに祈りました。ルカによる福音書23章34節《父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。》そして、ルカによる福音書23章46節《「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。》と祈られました。
 ステパノは、イエス様が命じられたお言葉を守り、そして、イエス様が十字架で父なる神さまへお祈りされた通りの祈りを主なるイエス様にささげて、この地上での生涯をまっとうしました。
 ルカによる福音書6章27-28節を読みます。

6:27 しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。
6:28 のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。

3、聞かれたステパノの祈り
 ここで注意しなければならないのは、これはステパノの人間性や精神力から来たものではありません。
 ご聖霊に満たされたことによって行なうことができたのです。主であるイエス様を見つめ、そのご栄光を見て、《「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。》と叫びました。
 私たちも、困難に直面するとき、「イエス様」と心の中でよいので叫んでください。イエス様は必ず私たちを助けて下さり、ご自分を私たちにあらわしてくださり、そして、私たちが直面する困難に耐えることができるほどの力を与えてくださいます。私は、何度も何度も力を与えられてきました。間違いなく、必ず与えてくださいます。

 ステパノは眠りにつきました。教会が誕生してから初めての殉教です。
 ペテロとヨハネは、御使いによって助けられたのに、ステパノは救われなかったのか。と考えます。
 《「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。》と、ステパノは祈りましたが、ユダヤ人は心を変えることなく、これから迫害の手を伸ばしていくではないか。と考えてしまいます。

 ここから不思議な展開へと繋がるのです。この殉教によって、一人の人が悔い改め、その人を通して、全世界に福音が宣べ伝えられていきます。この場に居合わせていたサウロ=パウロです。

 サウロはステパノの説教を聞いて、気が狂ったように教会を迫害しはじめました。そして、ダマスコというところに行って、そこにいるクリスチャンを縛り上げようとしました。その途中、イエス様ご自身がサウロに現われ、このようにおっしゃいました。《『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげのあるむちをければ、傷を負うだけである』。》(使徒行伝26章14節)
 サウロは、ステパノの説教を聞いて、良心の咎めを受けていたのです。そして、その咎めを払いのけるように、意固地になって、必死に良心に反することを行なっていました。しかし、サウロは降服し、イエス様にすべてを明け渡し、今度は、この主イエス・キリストを大胆に宣べ伝えるようになっていったのです。

 ですから、ステパノの祈りは聞かれました。《「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」》という祈りは、サウロの生涯において聞かれました。ご聖霊の力と働きは、これほどまでに大きいのです。私たちがいかに不利に思われる状況に陥っているとしても、主は必ず私たちを通してご自身の計画を行なれます。

2025年3月2日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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