ショートメッセージ【天地創造】その2

創世記2章
1、安息日について
創世記2章1-3節
2:1 こうして天と地と、その万象とが完成した。
2:2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。
2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。

ここで重要なポイントは、まず神さまが6日間で世界を創造し、そして7日目を祝福して休まれたという点です。
なぜそれがポイントになるのでしょう。
この創世記を書いたモーセは、エジプトを脱出した何十万人と言うイスラエル人を率いていました。そのモーセは、神さまからの約束の地であるカナンというところまでイスラエル人を導くことが神さまから与えられた仕事だったのです。創世記をはじめとしてモーセ5書が書かれたのは、イスラエル人が、エジプトの奴隷的生活の習慣と文化から離れ、カナンの地でその土地の文化や宗教などに影響を受けることがなく、イスラエル人はイスラエル人の神さまとともに生きいくための決まり事としての必要があったからです。
現代に生きる私たちは、聖書を読むとき「科学的に立証できるか」や「自分たちの知識や考えを反映させて解釈したい」と思いがちです。しかし、その読み方は本質を理解できません。なるべくその時代のイスラエル人の立場に立って見なければ、本質的な聖書のメッセージをいただくことは難しいでしょう。旧約聖書時代のことは、新約聖書で証言されていますし、現代の科学である程度、実証されていますが、大切なのは、聖書は書き手と読み手が誰であるかが一番の基本です。
このように考えますと、イスラエル人の生き方として6日間働いて7日目、すなわち安息日に休むということはこの天地創造の神さまを信じているということの大きなアイデンティティであることがわかっていただけるのではないでしょうか。それは、現代にも通じると思います。イエス様の復活によって私たちは週の初めに礼拝しますが、それは形を変えても、やはりクリスチャンとしてのアイデンティティになっているのですから。

2、非常に良い環境
1章と2章の違いは、1章は世界の創造の全体的で大枠なことを書いています。2章はその中でも人間の創造や扱いについてスポットを当てています。7 日目を休まれたことも、人間に向かって言われていることです。安息日があるのもは人のためだとイエス様がおっしゃっていますので、人間が守るのか守らないのかが問題です。

創世記2章5-6節
2:5 地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もなかったからである。
2:6 しかし地から泉がわきあがって土の全面を潤していた。

そして 5-6節を見ますと、野に草は生えておらず、また雨も降っていないことがわかります。そして水が沸き上がって地を潤していたようです。

創世記2章7-8節
2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。
2:8 主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。

初めの人はアダマー(ヘブル語で「土、塵」)から造られたのでアダムという名前になりました。そして特別にいのちの息を吹き込まれました。聖書は《そこで人は生きた者となった。》と書いています。1章では《神のかたちに創造し》と書いていました。私たちが他の動物と違うのは、神さまの息吹が与えられているという点です。それを心と言い換えてもいいかもしれません。神さまと心を通わすことができるのは人間だけであると言えます。その人間のために神さまはエデンの園というところにおいて生活させることにしました。そこは、あらゆる祝福の泉と言えばよいでしょうか。エデンから4つの川に分かれてそれぞれに祝福の特徴をもっていました。

3、神と人との関係
創世記2章15節
2:15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。

15節には、神さまが人をエデンの園に置かれ、そして耕させて守らせたとあります。人類初めての仕事です。人類初めての仕事は農業や土木であり、現代に適用すると、主に領土・国土を守るという管理だったようです。現代でも、仕事で大変なのは天候に左右される農業や土木です。守るという点では国を守る兵役などと言えるかもしれません。最も大切な仕事の一つであることは今も同じではないでしょうか。この時の仕事は、神さまに祝福されていたから楽だったという解釈を聞いたことがありますが、それは違うようです。人間は、適切に仕事をするように造られているようです。そして、神さまに喜ばれるよう仕事をすることは現代も同じように求められているのではないでしょうか。

次に16-17節です。
2:16 主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
2:17 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。

クリスチャンでない方も、ご存知な有名な箇所です。
この約束については3章で不履行になりますので、詳しく説明します。覚えてほしいのは、これを契約だという考えの人もおられますが、よく読むとこれは人間を造られた神さまの命令です。秩序の一つです。1週間が1単位であることは、神さまの創造によるわけですが、なぜ6日なのかと現代人が問うても解りません。創造された神さまの領域です。大切なのは当時のイスラエル人に伝えるべき内容であるという点です。「なぜ神さまは、人が死ぬようなものを造ったのだろう。」と問うのは私たちの自然な思いです。詳しくは3章でお話しします。

4、良い男女の在り方
神さまは、《「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。18節》と言われました。

あらゆる動物がアダムのもとに連れてこられましたが、残念ながら助け手となる動物はいなかったようです。ちょっと先取りになりますが、もしかするとヘビのように賢い知能のある動物もいたのかもしれませんね。そして現代ならパートナーよりも動物のほうが好きという話もよく聞きます。しかし、ここで人の助け手は人でなければできないという普遍性を学んでほしいと思います。神さまは人を特別に造られたことを話しました。ゆえに、他の動物とは一定の関係は築けたとしても、神さまや仕事を中心とした生活を送るためには人間同士でなければ営むことができないことを教えています。そして、自分のあばら骨から取り出されて造られた女に対して、アダムはこのように言いました。23節《そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。》

これは、簡単に言い換えれば、「あなたは私自身です。」と言っているということです。新約聖書でイエス様が律法学者言われた、最も重要な戒めは「神を愛し、隣人を自分自身のように愛する。」というものでした。男女はこのように互いに愛する存在として造られたのです。残念ことに先進国では約半分の人が生涯をともにできないという現実があります。その理由は3章以降の神の命令を守らない点にあるわけです。
1-2章で教えられることは、神さまの造られた世界は、神さまの命令を守り、また神さまのもと、仕事や生活を行うことで1章31節に書いてある《はなはだ良かった。》ということが教えられます。
今の時代は、この時のように何もかもが神さまに従う時代ではありません。
聖書を読むと、神さまは人を愛しておられます。そして、私たちは神さまの御言葉に従い、神さまの与えられた仕事や家庭を全うし、隣人を愛する者の幸いを教えてくれているように思えます。
あなたはいかがでしょうか。

2022年1月2日(日)
メッセンジャー:香川盛治