ショートメッセージ【ダニエル⑤】
ダニエル第5章
(数えられ、量られ、分けられる)
1、受け継がれなかった者
2、受け継いだ者
3、数えられ、量られ、分けられる
1、受け継がれなかった者
では、早速ダニエル書5章1-4節を読みます。
5:1 ベルシャザル王は、その大臣一千人のために、盛んな酒宴を設け、その一千人の前で酒を飲んでいた。
5:2 酒が進んだとき、ベルシャザルは、その父ネブカデネザルがエルサレムの神殿から取ってきた金銀の器を持ってこいと命じた。王とその大臣たち、および王の妻とそばめらが、これをもって酒を飲むためであった。
5:3 そこで人々はそのエルサレムの神の宮すなわち神殿から取ってきた金銀の器を持ってきたので、王とその大臣たち、および王の妻とそばめらは、これをもって飲んだ。
5:4 すなわち彼らは酒を飲んで、金、銀、青銅、鉄、木、石などの神々をほめたたえた。
ネブカデネザル王が亡くなってから、後を継いだのが息子であるベルシャザルでした。
近年、いろいろな発掘がされ、子ではないという説も存在しますが、ここでは、時間の関係上、その論点を割愛させていただきます。
さて、ベルシャザルは、エルサレムの神殿からとってきた祭儀用の器を使って、大臣、王の妻、そばめらと酒を飲んでいました。そして、《金、銀、青銅、鉄、木、石などの神々をほめたたえた。》と書かれています。
イスラエルの民を中心に考えれば、この箇所だけを読むと、ベルシャザルは、バビロンの王であるので当たり前のように感じます。
しかし、前回4章を学びました。そこでは、父であるネブカデネザルがイスラエルの神さまに改心する記事がありましたね。そこで彼は、次のようにイスラエルの神さまを賛美しました。
4章37節です。
4:37 そこでわれネブカデネザルは今、天の王をほめたたえ、かつあがめたてまつる。そのみわざはことごとく真実で、その道は正しく、高ぶり歩む者を低くされる。
その息子であるベルシャザルが、イスラエルの神殿から分捕った祭儀用の器で酒を飲み、ほかの神々をほめたたえています。
大変皮肉なものです。
ベルシャザルは、当然この事を知っていました。また、父のネブカデネザルから伝えられてもいたことでしょう。ですから彼は、イスラエルとは関わりのない異邦の王でありながら、その立場や神さまへの信仰を受け継ぐものとしての責任を問われるのです。
2、受け継いだ者
5章5-6節を読みます。
5:5 すると突然人の手の指があらわれて、燭台と相対する王の宮殿の塗り壁に物を書いた。王はその物を書いた手の先を見た。
5:6 そのために王の顔色は変り、その心は思い悩んで乱れ、その腰のつがいはゆるみ、ひざは震えて互に打ちあった。
まるで、ネブカデネザルが夢を見て苦しんだ時と同じような出来事が起こります。そして、これまた同じように知者たちを呼び寄せて解き明かしをさせようとするのです。そして、これまた同じく、これを解き明かすことができたのは、ダニエルだけだったということになっていきます。
神さまへの信頼や先人から学ばない者は、このように成長しないことが教えられます。
現在は、教会というところでそれが行われているわけですが、聖書のことばに根ざして神さまへの信頼と知恵の積み重ねがなければ、如何に成長しないのかが教えられますね。
さて、ベルシャザル王は、褒美をやるから解き明かしをしろとダニエルに命じます。
今回のダニエルは、以前のネブカデネザル王の時に恐れながら解き明かしたのとは明らかに違いました。
5章18-24節です。
5:18 王よ、いと高き神はあなたの父ネブカデネザルに国と権勢と、光栄と尊厳とを賜いました。
5:19 彼に権勢を賜わったことによって、諸民、諸族、諸国語の者はみな、彼の前におののき恐れました。彼は自分の欲する者を殺し、自分の欲する者を生かし、自分の欲する者を上げ、自分の欲する者を下しました。
5:20 しかし彼は心に高ぶり、かたくなになり、ごうまんにふるまったので、王位からしりぞけられ、その光栄を奪われ、
5:21 追われて世の人と離れ、その思いは獣のようになり、そのすまいは野ろばと共にあり、牛のように草を食い、その身は天からくだる露にぬれ、こうしてついに彼は、いと高き神が人間の国を治めて、自分の意のままに人を立てられるということを、知るようになりました。
5:22 ベルシャザルよ、あなたは彼の子であって、この事をことごとく知っていながら、なお心を低くせず、
5:23 かえって天の主にむかって、みずから高ぶり、その宮の器物をあなたの前に持ってこさせ、あなたとあなたの大臣たちと、あなたの妻とそばめたちは、それをもって酒を飲み、そしてあなたは見ることも、聞くことも、物を知ることもできない金、銀、青銅、鉄、木、石の神々をほめたたえたが、あなたの命をその手ににぎり、あなたのすべての道をつかさどられる神をあがめようとはしなかった。
5:24 それゆえ、彼の前からこの手が出てきて、この文字が書きしるされたのです。
神さまへの信頼を抱き成長する者と、何も受け継がず無能となっていく者の違いをありありと教えられる記事ですね。
3、数えられ、量られ、分けられる
そして、ダニエルはこのように前置きした上で、続けて解き明かしをします。
5章25-28節です。
5:25 そのしるされた文字はこうです。メネ、メネ、テケル、ウパルシン。
5:26 その事の解き明かしはこうです、メネは神があなたの治世を数えて、これをその終りに至らせたことをいうのです。
5:27 テケルは、あなたがはかりで量られて、その量の足りないことがあらわれたことをいうのです。
5:28 ペレスは、あなたの国が分かたれて、メデアとペルシャの人々に与えられることをいうのです」。
その夜のうちにベルシャザルは死に、解き明かしは成就しました。ここで、私たちに教えられるのは、最後に神さまは、『私たちがどれほど神さまを信頼しているか。』を、見られるかということです。
本日の学びで言えば、私たちも同様に生活を数えられているということです。そして、その年数から神さまへの信頼度の重さを量られると言えます。そして、その量が足りていなければ振り分けられてしまうということでしょう。
神さまへ、暮らしの営みすべてに対して信頼をおく者はダニエルのようになり、神さまを軽視する者はベルシャザルのようになると言うことです。
このように、生き方に大きな差が生まれるのです。
ただ、「信じる」「信じた」と口だけの信仰は、このように役に立たないことが教えられるのです。
ダニエルは、たくさんの試練を乗り越えてきました。それは神さまを信頼した結果です。聖書を読み、神さまの約束を信じ、経験に根ざした信仰者の強さを教えてくれます。
一方、ベルシャザルも神さまの御業を見てきました。父を通して神さまを信頼することの大切さも学んだはずです。しかし、そこに生きることをしないで、国さえも滅ぼす結果となったのです。王としての資質が欠如したのは、まず、神さまを信頼しなかったことが教えられるのです。
2023年12月17日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治
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