メッセージ【マルコによる福音書1章_2回目】
マルコによる福音書1章14-34節
(福音の力強い現れ)
1、福音の宣言:悔い改めて信じなさい
2、福音の召命:私について来なさい
3、福音の権威:霊、肉体、愛の領域で
今回は、マルコによる福音書1章14-34節から、「福音の力強い現れ」というテーマでお話しします。イエス様が宣べ伝え、人々を招き、そして権威をもって働きを始められる姿に注目しましょう。
1、福音の宣言:悔い改めて信じなさい
マルコによる福音書1章14-15節
1:14 ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、
1:15 「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。
バプテスマのヨハネが捕えられた後、イエス様はガリラヤで神さまの福音を宣べ伝え始められました。その宣言の核となる言葉は、《「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。》というものです。ここでは、悔い改めることと福音を信じることが、切り離せない一体のものとして示されています。私たちは「信じているけれど、み言葉を行うことはできない」と考えがちですが、本当に信じているなら、自ずとそれを行うはずです。信じることは、心の方向転換、すなわち《悔い改め》を伴うからです。
2、福音の召命:私について来なさい
マルコによる福音書1章16-20節
1:16 さて、イエスはガリラヤの海べを歩いて行かれ、シモンとシモンの兄弟アンデレとが、海で網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。
1:17 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。
1:18 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。
1:19 また少し進んで行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。
1:20 そこで、すぐ彼らをお招きになると、父ゼベダイを雇人たちと一緒に舟において、イエスのあとについて行った。
次に福音は、人々がイエス様に素直に従う「召命」という形で現れます。
イエス様はガリラヤの海辺で、漁師であったシモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを呼び、《「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。》と言われました。彼らはすぐに網を捨て、父と雇い人を残してイエス様に従いました。
注目すべきは、イエス様がこの偉大な宣教の任務を、サンヘンドリン(ユダヤ人指導者たち)のメンバーや優れた人、高い地位にある人ではなく、ごく普通の漁師たちに託されたことです。これは、福音が人間の力ではなく、神さまの力によって救いをもたらすことを明確に証明しています。
3、福音の権威:霊、肉体、愛の領域で
福音は言葉や選ばれた人々だけでなく、イエス様が行われた様々な奇跡、特にその「権威」を通して現れました。
(1)霊の領域:悪霊追い出し
マルコによる福音書1章21-28節
1:21 それから、彼らはカペナウムに行った。そして安息日にすぐ、イエスは会堂にはいって教えられた。
1:22 人々は、その教に驚いた。律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。
1:23 ちょうどその時、けがれた霊につかれた者が会堂にいて、叫んで言った、
1:24 「ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。
1:25 イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。
1:26 すると、けがれた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。
1:27 人々はみな驚きのあまり、互に論じて言った、「これは、いったい何事か。権威ある新しい教だ。けがれた霊にさえ命じられると、彼らは従うのだ」。
1:28 こうしてイエスのうわさは、たちまちガリラヤの全地方、いたる所にひろまった。
イエス様は会堂で、律法学者たちとは異なり、《権威ある者》として教えられました。
その言葉は絶対で、まるで親が子どもへ命じるように、私たちの行動を決定づける力を持つべきものです。そして、その権威は教えだけにとどまりませんでした。会堂で悪霊につかれた者がイエス様に向かって叫ぶと、イエス様は悪霊を叱りつけ、《「黙れ、この人から出て行け」》と命じられました。すると、悪霊は彼をひきつけさせながらも、大声をあげて出て行ったのです。人々は、目に見えない霊の領域にまで従わせるイエス様の言葉の力に驚きました。イエス様は、確かにバプテスマのヨハネよりもはるかに力のある方であることが示されたのです。
(2)肉体の領域:熱病のいやし
マルコによる福音書1章29-31節
1:29 それから会堂を出るとすぐ、ヤコブとヨハネとを連れて、シモンとアンデレとの家にはいって行かれた。
1:30 ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床についていたので、人々はさっそく、そのことをイエスに知らせた。
1:31 イエスは近寄り、その手をとって起されると、熱が引き、女は彼らをもてなした。
会堂を出た後、イエス様はシモンの家に入り、熱病で床についていたシモンの“しゅうとめ”を癒されました。イエス様はただ彼女の手を取って起こすと、熱は引き、彼女はすぐに彼らをもてなすことができました。このように、イエス様は私たちの肉体の領域にも福音の力を現してくださいました。
(3)愛の領域:日没後の働き
マルコによる福音書1章32-34節
1:32 夕暮になり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのところに連れてきた。
1:33 こうして、町中の者が戸口に集まった。
1:34 イエスは、さまざまの病をわずらっている多くの人々をいやし、また多くの悪霊を追い出された。また、悪霊どもに、物言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスを知っていたからである。
その日の夕暮れ、安息日が終わるのを待って、町中の人々が病人や悪霊につかれた者をイエス様のところに連れてきました。
当時のユダヤ人は、安息日に病気を癒すことを「働くこと」として禁じていましたが、イエス様はそのような規則に縛られている人々を深く憐れまれました。ご自身の休む間もなく、夜遅くまで多くの人々を癒し、悪霊を追い出されました。ここには、イエス様の深い「愛」によって福音の力が現れています。イエス様が悪霊に語ることを許されなかったのは、人々が早まってイエス様を誤解することのないようにという配慮であり、これにも仕える者の心が表れています。
このように、福音はただの言葉ではなく、霊、肉体、そして愛の領域において、力強く現れる神さまの救いなのです。
2026年1月18日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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