素直に読む【ヨハネの黙示録_20】
ヨハネの黙示録13章1-18節
「岩を土台として」
〈はじめに〉
今回の13章では、地上に追い落とされたが滅ぼされずにいるサタンについて見ることになります。
〈本文〉
ヨハネの黙示録13章1-4節を読みます。
13:1 わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。
13:2 わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。
13:3 その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、
13:4 また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。
サタンの勢力に属する一頭の獣が海の中から出てきて、龍の姿をしたサタンが、自分の持つ権限、力と位と大いなる権威をこの獣に与え、自分は獣を陰で操ろうとします。
この獣が譲り受けた権威は、致命的な傷さえ治してしまい、全地の人々を驚かせ、人々は龍と獣を拝むようになります。
この獣は、ダニエルが見た幻に細部は異なりますが、イメージは重なります(ダニエル書7章3-27節)。ダニエル書では、4頭の獣がおり、最強の第4の獣に10の角があったと言います。
獣は4つの国の王を指し、10 の角は、一つの王国から出る10 人の王だと解き明かされています。ヨハネの黙示録では10の角と7つの頭の獣で、すべての角に王冠があり、頭には神さまを汚す名がついていたと言います。
終わりの時代において、この7つの頭が示す、世界をリードする半キリストの7つの国と10人の指導者が現れ、その指導者たちによって、世界がサタンの望む道へと転落していくことを示しているのでしょう。
ヨハネの黙示録13章5-10節を読みます。
13:5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
13:6 そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。
13:7 そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
13:9 耳のある者は、聞くがよい。
13:10 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。
このような中にあっても、神の民は主の守りの内に置かれています。そして、もう一方では、獣が立ち、世の人々には優れた指導者に見えます。しかしその実、世界をサタンの支配下に置こうとする最悪の指導者たちなのです。そして、神さまの名を汚し冒瀆する口を持って(5、6 節)、世の人々は部族、民族、国語、国民を問わずに惑わされ、悪がはびこって、神に立ち返るのが全く不可能と思える状態になる様子が描かれています。
ダニエル書の第4の獣がローマ帝国を指していることは、ヨハネもわかっていたでしょう。
ヨハネやヨハネを通して聴く者たちが、理解しやすいように当時のローマ帝国の巨大な権力、恐ろしい神に敵対する悪魔的な圧政者、皇帝崇拝を強制する様を思い浮かべさせるのが、この獣の役割だったのでしょう。そのローマ帝国に匹敵する、いや、それ以上に恐ろしい国家と支配者が終わりの時代に出てくることを示されています。
ヨハネの黙示録13章11-18節を読みます。
13:11 わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。
13:12 そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。
13:13 また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。
13:14 さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。
13:15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
13:16 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
13:17 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
13:18 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
今度は、地の中から第2 の獣が出てきます。
13章11節を読みますと、この獣には、《小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。》とあります。この獣もダニエル書に原型が見られます(ダニエル書8章3節~)。やはり黙示録では、少し様相が異なっています。
この第2の獣は、第1よりも凶暴かつ、偶像礼拝を強制するもので、それに従おうとしないものを徹底して排除しようとする恐ろしい獣です。この後、黙示録16章13節 には、龍と、獣と、偽預言者という3大悪が並べて語られ、ヨハネの黙示録19章20節では、《獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者》と記されていることから、この第2の獣は偽預言者のことだと考えられます。
第1 の獣は、政治的指導者で、第2の獣は宗教的偽預言者を指しているのでしょう。この第2の獣が出てきたことによって、もはや世において偶像を崇拝する姿を示さなければ生きていくことができないまでになります。信仰者にとっては最悪の患難時代といえます。
さらに16、17 節では、獣に属する者である刻印を、すべての人に右手か額に焼印のように押すことが強制され、その刻印が押されていない者は、一切買い物ができないようになり、世において生活ができなくなるというものでした。
その刻印が666という人間の数字だと説明しています。皇帝ネロを表すギリシヤ語のアルファベットを数字に置き換えて、それを全部足すと666 になるので、これはネロをさしているとする説が有力です。ですが、いずれにしても、ネロのような恐ろしい反キリスト者が現れて、すべての人に自分の名の刻印を押すことを強要し、従わない者は殺すという残虐な、世界的な宗教的統一を図る時が来ると言われているのです。
〈まとめ〉
12章では、神さまは、サタンが迫害しようとしたところ、逃げ場として荒野を用意され、守りの内に置かれました。
しかし今回のヨハネの黙示録13章7節では、サタンが操る獣に、《聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。》とあります。
この第1の獣は、42ヵ月間活動する権威を与えられたのです。3年半の間、神さまをののしり続けたのです。しかし、これは、神さまがそれをお許しになられているとうことでしょう。そうでなければ、神さまがサタンを地に投げ落とされた時に一気に滅ぼしてもよかったはずです。
では、“なぜ”ゆるされているのか。
この時の聖徒たちは、空中に引き上げられた信仰者たちが地上からいなくなった後、信仰に目覚めた信仰者たちです。
11章では、神さまは、目で見て信じる者も起こされるように二人の証人をよみがえらせるという奇跡をもって救いに導こうとされていました。
見ることによって、ようやく信じた者たちがいたのです。また、患難期に遭い、先ずは目の前の難を逃れられればそれでよいという一心で信じたということがあるかもしれません。
そこで、神さまを冒瀆する言葉を聞いて人々が惑わされることがないかどうか。本当に信じているのか。その信仰を試され、ふるいにかけられた、ということでしょう。
神さまの助けと守りを疑わせる状態に置くことによって、それでも信仰に立ち続けるかという試験です。
マタイによる福音書7章24-27節を読みます。
7:24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
7:25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
7:26 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
7:27 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
しかし、このことは、患難期に信じた信仰者に限られたことではありません。このマタイによる福音書のお言葉は、イエス様が地上におられる時に、弟子たちと周りの群衆に話されたものです。とすれば、今の私たちにも語られているのです。
先ほど、空中に引き上げられたまことの信仰者たちと言いました。今の私たちもそこに含まれます。空中再臨の時に引き上げられて、天で勝利の歌声に加えられる私たちも、その時が来るまでの間に、同じようにテストされるのです。
神さまの助けと守りを疑わせる状態に置かれてもそれでも信仰に立ち続けるか、神さまから離れるか。その神さまへの心が試され、ふるいにかけられるのです。
もちろん、心から信じた者の信仰が取り消されることはありません。しかし、その試験つまり試練は、私たちが本当に信じているかどうかを試すだけでなく、私たちの信仰が、イエス様の身丈になるようにと、信仰者としての成長のためにも備えられているのです。
そのような中でもイエス様は、ライオンがその子供を崖から落とすようにして、試練の中を、ただ、私たちが崖からはい上がる姿を見ておられるという、お方ではありません。むしろ、崖の下まで降りてきてくださり、手をとってともに上を目指して上ってくださるお方です。
ルカによる福音書22章32節を読みます。
22:32 しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。
イエス様は、私たちのためにも祈ってくださっています。倒れないように支え、ともに、“くびき”を負ってくださっているのです。
「自分の思い通りにいかなくても、見放されたとつぶやき離れて行くのではなく、辛い時ほど神さま、イエス様に近づく信仰者となるように歩むのですよ」と、あらためて、今回のヨハネの黙示録13章を通しても私たちに教えてくださっているのです。
2025年1月17日
香川尚徳牧師の素直に読む【ヨハネの黙示録_19】
タイトル:「岩を土台として」
牧師:香川尚徳