ショートメッセージ【ペテロ③】

マルコによる福音書14章27-31節
ヨハネによる福音書20章19-23節
ペテロの第一の手紙1章13-21節

(主の前に失敗し、慰められた人)

1、失敗するペテロ
2、主に慰められるペテロ
3、後に失敗を生かすために

1、失敗するペテロ
 これまで、ペテロの“そそっかしい”ところや“ミス”してきたことを見てきました。
 私たちが歴史上の人物を学ぶとき、一般的に歴史の勝者や現代の指導者たちの多少の影響を受けて等身大の人物の評価が困難なことがあります。ペテロもその一人で、時に、使徒や教皇と言う肩書きを通して人物像を大きく描いて見てしまいます。また、その反動で過小評価される人物でもあります。しかし、信頼できる資料から等身大の人物を見なければ、本来学ぶべき本質を損なうだけではなく、大きな誤解をした評価となってしまいます。
 ペテロを学ぶには先ず聖書を読むことでしょう。そして、聖書をよく読んでペテロのことを学ぶならば、現代に生きる私たちが一人の信仰者としてキリストともに生きていくお手本や教訓となります。

 本日は、イエス様を裏切ってしまう記事を見ていきましょう。四福音書すべてに書いてあり、イエス様が、弟子たち全員が裏切ることを預言する箇所です。
 ここでは、マルコによる福音書14章27-31節を読みます。

14:27 そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「あなたがたは皆、わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊は散らされるであろう』と書いてあるからである。
14:28 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。
14:29 するとペテロはイエスに言った、「たとい、みんなの者がつまずいても、わたしはつまずきません」。
14:30 イエスは言われた、「あなたによく言っておく。きょう、今夜、にわとりが二度鳴く前に、そう言うあなたが、三度わたしを知らないと言うだろう」。
14:31 ペテロは力をこめて言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。みんなの者もまた、同じようなことを言った。

 前回、ペテロがイエス様に《「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。》(マタイ16章23節)と言われた記事を見ましたが、今回の箇所も同様の内容です。主イエス様の話される御言葉に注目するのではなく、自分の感情や考えを優先し、知識のなさからくる浅はかな考えが原因で悟ろうとしません。結末はご存じの方も多いですが見てみましょう。
 マルコによる福音書14章66-72節を読みます。

14:66 ペテロは下で中庭にいたが、大祭司の女中のひとりがきて、
14:67 ペテロが火にあたっているのを見ると、彼を見つめて、「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と言った。
14:68 するとペテロはそれを打ち消して、「わたしは知らない。あなたの言うことがなんの事か、わからない」と言って、庭口の方に出て行った。
14:69 ところが、先の女中が彼を見て、そばに立っていた人々に、またもや「この人はあの仲間のひとりです」と言いだした。
14:70 ペテロは再びそれを打ち消した。しばらくして、そばに立っていた人たちがまたペテロに言った、「確かにあなたは彼らの仲間だ。あなたもガリラヤ人だから」。
14:71 しかし、彼は、「あなたがたの話しているその人のことは何も知らない」と言い張って、激しく誓いはじめた。
14:72 するとすぐ、にわとりが二度目に鳴いた。ペテロは、「にわとりが二度鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、そして思いかえして泣きつづけた。

 ペテロは、預言と主の御言葉は必ず成就することと、自分の思慮のない行動や考えがいかに当てにならないものなのかを思い知らされたことでしょう。

2、主に慰められるペテロ
 イエス様は、この後、十字架に架かって死なれた後に葬られよみがえります。そして、弟子たちに何度も会うことになります。ヨハネによる福音書20章19-23節を読んでみましょう。

20:19 その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
20:20 そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
20:21 イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
20:22 そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。
20:23 あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。

 確かにペテロをはじめ弟子たちはキリストを裏切ったわけですが、イエス様は、預言の成就と彼らの人としての限界を知っておられたことから赦すのです。赦された者として、次は、あなたたちが、聖霊に導かれて多くの人を赦す器となりなさいというメッセージなのです。そして、イエス様と弟子たちは、その後、マルコによる福音書14章28節で話されたように、

14:28 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。

 という御言葉の通りガリラヤ湖で会うことになります。時間の関係で多くを割愛しますが、その時の出来事は、以前ペテロがイエス様の御言葉通りに、素直に網を下した結果、大漁となりイエス様を恐れたあの時と同様のことが起こるのです。
 ヨハネによる福音書21章3-7節を読みます。

21:3 シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁に行くのだ」と言うと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って舟に乗った。しかし、その夜はなんの獲物もなかった。
21:4 夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。
21:5 イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。
21:6 すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。
21:7 イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。

 この箇所を読みますと、まるではじめから、あなたの変わらないわたしへの信頼と愛を知っているよ。と言わんばかりの出来事の再現なのでした。

3、後に失敗を生かすために
 ペテロは、大きな失敗を通して学び、後に多くの人を教え、慰める器となりました。ペテロの第一の手紙1章13-21節を見てみましょう。

1:13 それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。
1:14 従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、
1:15 むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。
1:16 聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。
1:17 あなたがたは、人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばくかたを、父と呼んでいるからには、地上に宿っている間を、おそれの心をもって過ごすべきである。
1:18 あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、
1:19 きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。
1:20 キリストは、天地が造られる前から、あらかじめ知られていたのであるが、この終りの時に至って、あなたがたのために現れたのである。
1:21 あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。

 ペテロの生き方は、特異な時期に生まれたという点では私たちとは違います。しかし、彼の人生は神さまを信頼し、恋い慕いながらも多くの失敗をするものでした。そして、絶望しながらも御言葉に慰められ、少しずつ成長し、隣人を愛するクリスチャンとして確立していったのです。このように、美化し特別な人物として見るのではなく、等身大のペテロから、現代のクリスチャンたちの生き方の大きな指標となるべき人物であることが教えられるのです。

2025年1月12日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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