ショートメッセージ【ペテロ④】

ヨハネによる福音書21章15-19節
使徒行伝1-2章

(指導者ペテロとなった背景)

1、主を愛することで
2、聖霊に従うことで
3、聖霊の働きを、確信をもって話すことで

1、主を愛することで
 ヨハネによる福音書21章15-19節を読みます。

21:15 彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
21:16 またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
21:17 イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。
21:18 よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。
21:19 これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。

 ペテロをはじめ、弟子たちはイエス様についていき、多くの人を癒し、また悪霊を追い出す姿を見て学び、弟子たち自身も実践していきました。しかし、その働きや力に心を向けてしまい、最も大切で本質である神さまと隣人を愛すること(マルコ12章28-31節)を通して神の子イエス様を証しするという点が欠けていました。

 ペテロはどんなことがあっても、イエス様について行くという自負を持ちながらも、イエス様を三度「知らない」と主を否定し、心は傷つき、整理できていなかったのでしょう。ですから、この個所は現代の言葉で言えば、イエス様のペテロに対する個人カウンセリングでもあり、これからの働きのアイデンティティの確立となるものでもあったのです。

 ペテロにとっては、主の赦しと愛によって心が癒され、そして、今度こそ、あなたを否定せず、あなたを愛するものとして生きます。というアイデンティティとなったのです。
 21章17節でペテロの《「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。》と言ったのを見ればわかるように、ペテロの気負いは感じ取れません。ペテロは、心も、愛することも、すべて自分の人生は、イエス様の手の中にあることを証ししているのです。ペテロは、自分自身の心の中を知っての発言であることがわかります。ペテロは、この後もいくつかの失敗を重ねますが、イエス様がおっしゃられたように、へこたれることなく、最後までキリストの証し人として、指導者として生きることになるのです。

2、聖霊に従うことで
 使徒行伝1章6-8節を読みます。

1:6 さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。
1:7 彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。
1:8 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。

 こうしてイエス様は天に帰られました。ここでのポイントは、聖霊があなたたちを導くという点です。ご聖霊は、イエス様の教えや聖書を通して、今の自分の生き方や神さまを証しする働きを助けてくださる方と言えばわかりやすいでしょうか。
 イエス様の約束通りにエルサレムで待つ弟子たちに聖霊が降るときが来ます。
 使徒行伝2章1-4節を読みます。

2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
2:3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

 ご聖霊は、今の自分の生き方や神さまを証しする働きを助けてくださる方と言いましたが、この時には、いろいろな他国の言葉を話せるようになる力をくださったのです。
 現代の私たちには、旧約聖書も弟子たちの書いた新約聖書もありますし、世界中の言葉に翻訳されていますので必要ありません。しかし、この時には必要でした。
 続けて使徒行伝2章5-8節です。

2:5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
2:6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
2:7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
2:8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。

 このように多くの人が集まっている中で、さまざまな言語でイエス様を証しするためでした。そして、このようなお膳立てされた中でペテロの大変有名なメッセージが始まります。

3、聖霊の働きを、確信をもって話すことで
 とても長いですが、要点を見てみましょう。まず、使徒行伝2章14-22節です。

2:14 そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。
2:15 今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。
2:16 そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、
2:17 『神がこう仰せになる。終りの時には、/わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、/若者たちは幻を見、/老人たちは夢を見るであろう。
2:18 その時には、わたしの男女の僕たちにも/わたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。
2:19 また、上では、天に奇跡を見せ、/下では、地にしるしを、/すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、/見せるであろう。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、/日はやみに/月は血に変るであろう。
2:21 そのとき、主の名を呼び求める者は、/みな救われるであろう』。
2:22 イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった。

 外国語を学んでいないのに話せるのは、ヨエルが預言したように、ご聖霊によることを説明しています。そして、それはあなたたちが救われるためであることも。
 続けて使徒行伝2章31-36節を読みます。

2:31 キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。
2:32 このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。
2:33 それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。
2:34 ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言っている、/『主はわが主に仰せになった、
2:35 あなたの敵をあなたの足台にするまでは、/わたしの右に座していなさい』。
2:36 だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。

 このメッセージを通して、3,000人ほどの人が、心を刺されてイエス様をキリストと信じました。
 ペテロは無学でした。しかし彼がイエス様を信頼する中で、教えられ、また、大きな失敗を経験していく中で、ペテロは多くの人に力強く、イエス様がキリストであることを証しすることができたのでした。
 大きな働きをした背景には、等身大のペテロがイエス様を信頼する生活があっただけなのです。誰もが彼のように指導者になるわけではありませんが、クリスチャンは日々のイエス様を信頼する生活の中で成長し、主の御用に用いられるという点は何も変わらないのです。

2025年1月19日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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