ショートメッセージ【ペテロ⑤】
使徒行伝5章27-32節
使徒行伝10章11-16節
ガラテヤ人への手紙2章11-14節
ペテロの第二手紙3章15-16節
(神に認められ、用いられた人)
1、神を愛することで認められた人
2、聖霊に従うことで導きを得た人
3、変わらず失敗をし、知識不足な人
4、今も証しされ、用いられている人
1、神を愛することで認められた人
これまでペテロの軌跡を見てきました。最後となる今回は、いくつかの出来事からペテロというお手本となる人物像を見ていきましょう。
使徒行伝5章27-32節を読みます。
5:27 彼らを連れてきて、議会の中に立たせた。すると、大祭司が問うて
5:28 言った、「あの名を使って教えてはならないと、きびしく命じておいたではないか。それだのに、なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を、はんらんさせている。あなたがたは確かに、あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと、たくらんでいるのだ」。
5:29 これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである。
5:30 わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ、
5:31 そして、イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために、このイエスを導き手とし救主として、ご自身の右に上げられたのである。
5:32 わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」。
この箇所を読みますと、以前、キリストを3度知らないと言った人物とは思えません。
ペテロの神さまへの信頼は、感情だけによらず、知識だけによらず、確かな事実とそれに基づく経験による意志があるのです。神さまを愛し、そして、「隣人を愛せよ」というイエス様の教えを実行する人格を身に着けたのです。
2、聖霊に従うことで導きを得た人
ペテロは夢によってご聖霊の導きを得ます。
使徒行伝10章11-16節を読みます。
10:11 すると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、地上に降りて来るのを見た。
10:12 その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものがはいっていた。
10:13 そして声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。
10:14 ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。
10:15 すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。
10:16 こんなことが三度もあってから、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。
以前のペテロは、イエス様の言葉よりも自分の思いが強くて、《「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。…」》(マタイ16章23節)と言われた人物です。しかし、夢を見た後に起こる出来事から異邦人にもイエス・キリストを伝えるという使命を悟るのです。
多くの失敗がペテロを成長させた一例です。
使徒行伝10章34-36節を読みます。
10:34 そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、
10:35 神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
10:36 あなたがたは、神がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、イスラエルの子らにお送り下さった御言をご存じでしょう。
3、変わらず失敗をし、知識不足な人
このように異邦人の救いを見ても、相変わらず神さまの御心が分からず、失敗(的外れな応答)をするのがペテロの特徴です。いや、人間すべての特徴と言っても差し支えないかもしれません。
神さまは、問答を繰り返し、ペテロの無知を自覚させ真理の認識に導いています。
ガラテヤ人への手紙2章11-14節を読みます。
2:11 ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。
2:12 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。
2:13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。
2:14 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。
私たちは、ペテロのことを笑うことはできないと思います。大切なことは、失敗を真っ直ぐに認めて改めることです。
後で、ペテロの第一手紙と第二の手紙を読んでいただきたいのですが、彼は、自身の書いた手紙ですべての人を尊ぶように勧めています。
ペテロの第二手紙3章15-16節には、
3:15 また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。
3:16 彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。
ペテロ・シリーズ2回目の「3、神に愛された人」でもお伝えしましたが、このように、ペテロは無学であり、パウロの言っていることが、《ところどころ、わかりにくい箇所もあって、》と証ししています。しかし、聖書の知識や知恵に優れているパウロの意見を聞き、チームになって伝道をすることで自分の弱点を補っている姿勢は、組織に所属している人、また、所属していた人にとっては学ぶべきところが多いのではないでしょうか。
神さまの前に自分自身を知ることは、謙遜に生きることの第一歩なのでしょう。
4、今も証しされ、用いられている人
ペテロを通して学ぶべき第一ものは、神さまに対する素直な信頼です。
ペテロは多くの欠点や失敗はありましたが、イエス様に赦され、改めていく中で大きな働きをする人物となりました。
私たちは、使徒と聞くとパウロの働きに注目しがちですが、ほとんどの人は、彼のように何でもできるような人ではありません。パウロ以外のペテロをはじめ、他の使徒たちは、現在の日本で日常生活を送る私たちともたくさんの共通点があるように思えます。
聖書から学ぶべきは、恥を忍んで大きな失敗を書いてくれている人たちではないでしょうか。成功は偶然でも起こりえますが、失敗はおおよそ必然です。等身大のペテロから自分の人生を見直すならば、素直な神さまへの信頼と自分の確認と、失敗を改めることで失敗だけでは終わらない豊かな人生がある希望を教えられるのではないでしょうか。
2025年1月26日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治
[フリー絵画] エル・グレコ 「涙の聖ペテロ」 (1587-1596)
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