ショートメッセージ【パウロ_3】
使徒行伝9章26-31節
使徒行伝11章19-24節
(教会の基礎がかたまる)
1、サウロの回心を信じない弟子たち
2、サウロと使徒の間を取り持つ同労者バルナバ
3、教会の基礎がかたまる
4、アンテオケ教会
1、サウロの回心を信じない弟子たち
使徒行伝9章26節を読みます。
9:26 サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。
サウロはエルサレムに行き、イエス様の弟子たちの仲間に入ろうとしますが、同胞のユダヤ人からだけではなく、イエス様の弟子たちからも良く思われていませんでした。それほど、サウロの迫害は激しく、弟子たちの印象は疑念が残ったままだったのでしょう。
これは辛いです。回心してクリスチャンになって、教会員から疑いの目で見られたら、居場所はありません。
ここで神さまが、サウロに貴重な同労者を与えて下さいます。
2、サウロと使徒の間を取り持つ同労者バルナバ
使徒行伝9章27-28節を読みます。
9:27 ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの名を大胆に宣べ伝えた次第を、彼らに説明して聞かせた。
9:28 それ以来、彼は使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の名によって大胆に語り、
バルナバは、クプロ生れのレビ人で、4章37節で、《自分の所有する畑を売り、その代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。》人です。
バルナバは、サウロと使徒の間を取り持ち、サウロのダマスコ途上の出来事や回心、イエス様からの伝道者としての使命を与えられること、伝道の実績などを説明しました。
イエス様に3年あまり従ってきた使徒たちは、イエス様の多くの奇跡や不思議な業を実際見てきたので、サウロに起こった出来事や回心については、素直に受け入れられたのでしょう。
このように、サウロは使徒たちに迎え入れられ、エルサレム教会の働きにも参加しました。
サウロと使徒たちの間を取り持った大きな役割をしたバルナバは、《慰めの子》という意味(使徒行伝4章36節)です。サウロは、バルナバによって大いに慰められたことでしょう
使徒行伝9章28-30節を読みます。
9:29 ギリシヤ語を使うユダヤ人たちとしばしば語り合い、また論じ合った。しかし、彼らは彼を殺そうとねらっていた。
9:30 兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れてくだり、タルソへ送り出した。
《ギリシヤ語を使うユダヤ人たち》は、ユダヤ教に熱心で、サウロの命を狙うほど、過激な様子が書かれています。命を狙われたサウロは、故郷のタルソ(使徒行伝21章39節)に行き、そこで、次にアンテオケからバルナバが来るまで過ごすことになります。
3、教会の基礎がかたまる
使徒行伝9章31節を読みます。
9:31 こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。
9章31節は、教会の状態を書いています。この31節の《こうして》の意味は、サウロによる迫害が終結したので、という意味です。
サウロ一派の組織的な厳しい迫害は一段落したとみることができると思います。この一段落によって教会全体は落ち着きました。また、このころ受けていたローマ帝国からの迫害も落ち着いてきたと見られます。
教会が、ユダヤの境界線を越えて《平安を保》っていることは、サウロの回心の結果と言えます。
イエス様の弟子たちが抑えきれない相手がいたとしても、イエス様は直接、迫害者に働きかけご自身の教会や弟子たちを守られました。
教会の信徒たちは《主をおそれ》、教会の成長に目を向けると《次第に信徒の数を増して》います。成長の地固めが書かれています。
イエス様が使徒行伝1章8節で言われた、《ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。》という御言葉は、こうして成就しています。
迫害者サウロは、神さまに選ばれた福音宣教者となりましたが、最初から神さまに大きく用いられたわけではありませんでした。
サウロのメッセージを受け入れるには、まだ時間が必要だったのです。
イエス様をキリスト(救い主)だと信じないユダヤ人だけではなく、おそらく、エルサレムにいるキリスト者たちにも、サウロの語るメッセージを全面的に受け入れられなかったと思われます。
一般社会でも、言っていることと、行動が伴っていない人の言葉は信じることができません。
回心したとはいえ、サウロの過去に行なった迫害は、信徒たちへ信用を得るための行動や実績、信仰者としての言動の積み重ねが不足していると言えます。
御言葉は人格を通し、人格へ伝えます。聖書の御言葉が真実でも人格に信頼がなければ受け入れられないのです。まだ時間が必要だったのです。まだ、この神さまの啓示を受け入れるためには、信者も心の準備が出来ていませんでした。
4、アンテオケ教会
パウロ=サウロのことを中心に見ていますので、聖書個所が少し飛びます。
アンテオケ教会は異邦人伝道の拠点となります。使徒行伝11章19-22節を読みます。
11:19 さて、ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、だれにも御言を語っていなかった。
11:20 ところが、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいて、アンテオケに行ってからギリシヤ人にも呼びかけ、主イエスを宣べ伝えていた。
11:21 そして、主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった。
ステパノがユダヤ人によって殉教し、それからエルサレムに教会への迫害が起こりました。そのとき、信者たちはエルサレムから逃げていきましたが、使徒行伝8章では、サマリヤの地域で、信徒たちが福音を宣べ伝えていたことが記されています。今、サマリヤの地域だけではなく、北上して、海岸地方のピニケ(フェニキア)、そして地中海の島であるクプロ(キプロス)、そして現在のトルコに位置するアンテオケにまで広がっていきました。
クプロやクレネ出身のユダヤ人が、ギリシヤ人にも《呼びかけ》て《主イエスを宣べ伝え》ました。そして、多くの人たちがイエス様を信じました。
使徒行伝11章21節《信じて主に帰依するものの数が多かった。》とありますから、異邦人が、ここではじめて集団として信じたのです。
神さまのお働きは止めることをなさいませんが、彼らの働きがなければ、使徒行伝はここで終わりです。
少し立ち止まって考えると、とても重要な働きをした人たちなのですが、使徒行伝すなわち聖書の扱いは、一文に記されているだけであり、それも名前さえ記されていません。この無名の信徒たちの働きが、とても重要でした。
私たちも、自分は大したことはできないと卑下する必要はありません。ほんの少しの働きが、神さまのご計画の中では、とても大切なのです。
なぜ、多くの人が主を信じたのでしょうか。ここでプロセスを見てみましょう。
まず、クプロ(キプロス)とクレネから来たユダヤ人は、はじめに、ギリシヤ人に《呼びかけ》ました。新改訳2017では、《語りかけ》と訳されています。つまり、普段は《呼びかけ》《語りかけ》ることもないような人たちに、イエス様のことを話すため(話したいため)に声をかけたのです。これが第一歩です。ここで教えられるのは、私たちクリスチャンは、開かれた人であるということです。まだイエス様のことを知らない周りの人々に心を開いて、人々が自分に近づくことができるような人であるということです。心理学でいうところの自己開示です。
これは、内気な性格の人や職人気質の無口な人が、ムリに口を話しかけなければならない。ということではなく、内気な人も無口な人も、存在が和やかで話しやすいから、人々が近づいてくるということです。
次に、このユダヤ人たちは、イエス様の福音を宣べ伝えました。宣べ伝えるとは、今までキリスト・イエスを信じていなかった人に、福音(イエス様の教えやご生涯)を伝えて、イエス様に、罪の赦しを得るように促すことです。
彼らは、自分自身がイエス様を信じた証しも宣べ伝えたのです。
人は、心の隅に罪悪感や罪責感が湧いてくるときがあります。その時のことを思い出して、嫌な自分の罪をイエス様によって赦していただくと、その罪を赦されたことで心のモヤモヤが晴れてきます。イエス様を信じるとはそのような晴れ晴れとした心になるのです。
こうして、多くの人がイエス様に導かれました。多くの人は、自分自身が生きている意味をしらないのです。日常の暮らしに埋没していると言えます。
2025年3月23日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正
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