ショートメッセージ【パウロ_4】
使徒行伝11章25-30節
(バルナバの大きな働き)
1、バルナバの派遣
2、バルナバ、サウロを帯同させる
3、物資の支援
1、バルナバの派遣
アンテオケ教会、前回からの続きです。使徒行伝11章20-22節を読みます。
11:20 ところが、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいて、アンテオケに行ってからギリシヤ人にも呼びかけ、主イエスを宣べ伝えていた。
11:21 そして、主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった。
11:22 このうわさがエルサレムにある教会に伝わってきたので、教会はバルナバをアンテオケにつかわした。
この時点で、すでにエルサレムの教会は、異邦人の救いを受け入れていました。そこで、この話を聞いて、アンテオケにバルナバを派遣することに決めました。
調べると、アンテオケはローマ帝国のシリヤ州の首都でした。当時、ローマ(イタリア)、アレキサンドリア(エジプト)に次ぐ、大きな都市でした。
経済的には豊かでしたが、道徳的には不健全でした。大阪でいうとミナミ。東京で言うと新宿歌舞伎町でしょうか。見た目は派手で、若い人には魅力的に見えるようなところですが、聖書から見ると不品行にまみれた町でした。
そのような都市でイエス様を信じる人たちがたくさん起こされたのです。人の目にはイエス様を信じる者が起こされるとは思えぬような場においても、神さまは多くの人々を救っておられます。
使徒行伝11章23節を読みます。
11:23 彼は、そこに着いて、神のめぐみを見てよろこび、主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるようにと、みんなの者を励ました。
ここに書かれている《神のめぐみ》は、受けるに値しないものを受けることです。
バルナバは、神さまが、律法を知らない人々にまで救いを提供していることに喜びました。そして、バルナバは、彼らを《励まし》ました。この《励まし》について原典と辞典を見ますと「 παρεκάλει 」(パレカレイ)と書いてあり、①助けを求める、願う、頼む、②励ます、勧める、勧告する、元気づける、③慰める などの意味があります。つまり、バルナバは、イエス様を信じたギリシヤ人クリスチャンに、信仰の助けとなる、助言や勧めをしたのです。また、彼らと共に祈り、祝福を願ったと思われます。
このバルナバが行った、励ましや勧めは、イエス様を信じたばかりの方々には、とても必要とされています。
福音を宣べ伝えて、人々がイエス様を信じたなら、そこで放りっぱなしにしてはいけないのです。必ず、励まし勧めなどのサポートやフォローをしなければいけません。
その勧めの内容ですが、《主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるように》というものです。これは、聖書を読み、祈り、信徒同士励ましあわなければできません。ですから、イエス様は教会を使徒や弟子たちに託したのです。
イエス様を信じるようになって、最初にしなければならないのは、このことです。多くの人は、イエス様を信じると、次に、何をしなければないかを考えます。そのときに教会が、「この奉仕してくださいませんか。」「伝道を手伝って下さい」「ご近所にチラシ配布をお願いします」などと、いろいろな活動を促すことはハッキリ言って間違っています。
イエス様を信じたあとは、「この信仰によってこれから生きていくのだ。」「どんなことがあっても、私は信じるのだ。」「イエス様の救いに与り決して離れない。」という固い決意を持つことに専念することが必要です。
信仰心が固くないのに、奉仕する動機が備わるはずがありません。
また、機会があれば聖書のいう“信仰”に焦点を絞って人物を挙げてお話ししたいと思いますが、“信仰”は、神さまの言葉である聖書を「理解しようとする」姿勢と態度があり、目に見えない神さまへの“信頼”であり、「このお方に従って生きたい」という“方向性や志”であり、信じるだけでなく、「従う」「生き方を変える」という実践的な“決意”です。
さらに、苦しみや困難があっても“信仰”を保つという意志的な側面があります。つまり、“信仰”とは、理性・感情・意志という人間の全人格を用いて、神さまに応答する心のあり方です。ですから、奉仕は一時の感情でするのではなく、ご聖霊の働きにより意思が固まってするものです。
こうして見ますと聖書の言う“信仰”は、一般的にいう「信仰=盲目的に信じること」といった誤解が見えてきて払拭されます。
では、使徒行伝11章24節を読みます。
11:24 彼は聖霊と信仰とに満ちた立派な人であったからである。こうして主に加わる人々が、大ぜいになった。
すでに信者になった人を励ましただけではなく、バルナバを通して多くの人々がイエス様を信じました。
2、バルナバ、サウロを帯同させる
11章25-26節を読みます。
11:25 そこでバルナバはサウロを捜しにタルソへ出かけて行き、
11:26 彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。
バルナバは、ずっとタルソで生活をしていたサウロを連れてきます。バルナバは、サウロが、このアンテオケで救われた異邦人へ奉仕をするために、最適の人であると判断しました。
タルソという地域は、ギリシヤ文化の色濃い町です。サウロはそこで生まれました。そしてサウロは、ベニヤミン族のユダヤ人であり、青年になってからエルサレムで聖書の学びをしました。ですから、聖書についてよく知っていること、またギリシヤ人がどのように考え、行動するかをよく知っているサウロが適任だとバルナバは考えたのでしょう。
結果的に、このサウロが、現在のトルコとヨーロッパへ福音を運ぶ宣教者となり、多くの教会が建て上げられて、世界中に福音が広がっていったのです。
イエス様を信じ、勧めを受けた信者たちは、今度は教えを受けました。使徒行伝11章20-26節を読みますと「イエス様を信じましょう」と促すのが、宣べ伝えることであり、「イエス様にとどまりましょう」と促すのが、勧めと言えます。そして、「イエス様を知りましょう」と促すのが教えになります。聖書に書かれてあることを教師が説明して、人々が理解できるようにして、そして、信仰をさらに深めていく。というのが教えです。
このようにして、アンテオケでは、4つの働きをました。「呼びかけ」、「宣べ伝え」、「励まし」、そして「教え」です。その結果アンテオケで《弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。》のです。
クリスチャン、つまり「キリストのような」という意味です。不信者の人たちが、彼らを見て、そのように呼びました。蔑称して、そう呼んだのですが、実にピッタリな呼び名です。彼らは、異邦人でしたが悔い改めて、キリストのように変えられたのです。
これらのような働きが、教会の働きであり、クリスチャンがキリストのようになっていき、神さまのご栄光が現われることが最終的な目的です。
こうして、一部のユダヤ人やバルナバが、ギリシヤ人に愛をもって接し、働きをしたことによって、ユダヤ人と異邦人がキリストにあって一つになっていきました。
3、物資の支援
今度は逆に、異邦人の信者が、ユダヤ人の兄弟たちに愛の手を差し伸べる場面を読みます。
使徒行伝11章27節です。
11:27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケにくだってきた。
当時、預言者は、特定の教会にとどまるのではなく、教会を巡回していたようです。そして、教えと勧めと慰めのメッセージを与えました。ときに、次の節に書かれているような、近未来の地域的な出来事を予告する働きもしています。
ここで注目すべきは、エルサレムから預言者がやって来たということは、異邦人を神さまがお救いになるのだという信仰を、エルサレムにいる教会の人々に与えられていることを示しています。
11:28 その中のひとりであるアガボという者が立って、世界中に大ききんが起るだろうと、御霊によって預言したところ、果してそれがクラウデオ帝の時に起った。
この《アガポ》は、使徒行伝21章にも登場します。サウロがこれからどうなるか、エルサレムで大変な目にあうことを予告しました。
ここでは、世界中の《大ききん》を預言しました。ところで、聖書では、偽預言者がいるから、預言をきちんと吟味しなさい。と教えられていますが、その吟味の仕方は、その預言がその通りになっているかどうか。です。その通りにならなければ偽預言者なのですが、アガポは、真の預言者だと言えます。
11:29 そこで弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた。
11:30 そして、それをバルナバとサウロとの手に託して、長老たちに送りとどけた。
彼らは、バルナバとサウロを通して、経済的に逼迫していたエルサレムにある教会に、救援物資を送りました。このアンテオケにいる信者たちは、おそらくそのほとんどが、エルサレムにさえ行ったことがないと思われます。そして、まだ会ったことも話したこともない兄弟たちに、バルナバとサウロから聞いた情報だけで、彼らは愛の手を差し伸べています。使徒のヨハネは、ヨハネの第1の手紙3章18節で、
3:18 子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。
と言いましたが、困っているときに助けることによって、彼らは、キリストの愛を示しました。
このようにして彼らは、イエス様の教えに従って一つになっていったのです。この援助の働きは主イエス様の愛による結びつきです。ユダヤ人は霊的な奉仕を異邦人に行ない、異邦人は物質的な奉仕をユダヤ人に対して行ないました。その相互の愛の結びつきが、信仰の一致とともに彼らを一つにしました。私たちが一つになるというのも同じことです。私たちはそれぞれ異なる特徴をもち、異なる仕事や背景があり、年齢、性別など、いろいろな違いがあります。しかし、主とつながっていることによって与えられる信仰が一つになっているのであれば、また、互いに愛し合っているのであれば、そこにはご聖霊による働きの一致があり、神さまのご栄光があらわされるのです。
2025年3月30日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正
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※当教会は、信仰の有無や長さに関係なく、
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※聖書解釈はオーソドックスなプロテスタントですが、
教理・教条主義ではありません。
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上下関係は無く、フレンドリーで話しやすい教会です。
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ニックネームでの参加もOKです。