ショートメッセージ【マリヤ】
ルカによる福音書1章26-55節
(祝福された者とは)
1、御使ガブリエルとの出会い
2、エリサベツに会いに行くマリヤ
3、マリヤの賛歌
1、御使ガブリエルとの出会い
ルカによる福音書1章26-28節を読みます。
1:26 六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。
1:27 この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。
1:28 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。
マリヤはある日、御使いと出会います。その知らせは処女であるマリヤから男の子が生まれるという知らせでした。その場面を詳しく見てみましょう。
ルカによる福音書1章31-38節です。
1:31 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
1:32 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。
1:34 そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。
1:35 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。
1:36 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。
1:37 神には、なんでもできないことはありません」。
1:38 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。
1章28節には、《「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。》と書かれています。このことから“恵まれる”とは、どういうことなのかを考えてみましょう。
マリヤはヨセフと言う男性と婚約をしていました。その人が妊娠するということはご法度です。ここで律法の一文を見てきましょう。申命記22章20-21節を読みます。
22:20 しかし、この非難が真実であって、その女に処女の証拠が見られない時は、
22:21 その女を父の家の入口にひき出し、町の人々は彼女を石で撃ち殺さなければならない。彼女は父の家で、みだらな事をおこない、イスラエルのうちに愚かな事をしたからである。あなたはこうしてあなたがたのうちから悪を除き去らなければならない。
律法には、このように書かれています。この申命記の箇所を見ると、当時でも現代でも恵まれた女とは程遠いと感じることではないでしょうか。また、この後もマリヤは、夫ヨセフとともにイエス様を産む時も、産んだ後にも多くの苦しみ遭うのですから。
2、エリサベツに会いに行くマリヤ
マリヤは、この後にエリサベツに会いに行きます。理由は、ルカによる福音書1章36節で、
1:36 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。
と、ガブリエルから聞いていたからでしょう。
ルカによる福音書1章41-45節を読みます。
1:41 エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、
1:42 声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。
1:43 主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。
1:44 ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。
1:45 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。
42節を見ますと、エリサベツは、マリヤのことを《女の中で祝福されたかた》と言いました。
なぜ、彼女はそう言ったのでしょうか。それは、マリヤが救い主を産むという大きな役割を与えられたから、という理由もあるかもしれません。しかし、もっと大切なことは、1章45節に書かれていることです。《主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。》あるように、マリヤが神さまの言葉を信じたことこそが、祝福の本質なのです。マリヤの記事の前にはザカリヤとエリサベツの記事があります。そこでも、「子どもがいない」という苦しみの中で、神さまの導きに信頼して従ったことが、祝福の理由とされています。
このように、“祝福”と“恵み”とは、主である神さまの御言葉を信じるところにあることが教えられます。
3、マリヤの賛歌
ルカによる福音書1章46-55節を読みます。
1:46 するとマリヤは言った、「わたしの魂は主をあがめ、
1:47 わたしの霊は救主なる神をたたえます。
1:48 この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、
1:49 力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。そのみ名はきよく、
1:50 そのあわれみは、代々限りなく/主をかしこみ恐れる者に及びます。
1:51 主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
1:52 権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、
1:53 飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。
1:54 主は、あわれみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けてくださいました、
1:55 わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを/とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。
マリヤは、自分が産む男の子が、天使ガブリエルが言ったように「イスラエルを救う主」であると、心から信じていました。
マリヤは、今でいう中学生や高校生くらいの若い少女だったと考えられています。そんなマリヤが、アブラハムから始まる長い歴史を思い起こしながら、神さまを賛美していたのです。
私たちは、その歴史のずっと後の時代を生きています。そして、その神さまの約束はすでに実現し、その祝福と恵みは、イスラエルの民だけでなく、私たちのような異邦人にも受け継がれているのです。神さまとその言葉を信じて生きる、その信仰の中に、同じ祝福があるのです。
時代を超えて歌われたマリヤの賛美の歌を、今の私たちも心から共感し、喜びとして感じることができるのは、なんと素晴らしいことでしょうか。
2025年7月27日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治
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※聖書解釈はオーソドックスなプロテスタントですが、
教理・教条主義ではありません。
※牧師・伝道師の属人的な教会ではありません。
上下関係は無く、フレンドリーで話しやすい教会です。
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