ショートメッセージ【ヤコブ①】
~逃亡生活の始まり~
創世記27-28章9節
前回、最後のところで、イサク家の問題を見ました。両親の偏愛、父イサクは、長男エサウを愛し、母リベカは弟息子のヤコブを愛していました。
また、アブラハムの信仰を継承すべき長男エサウの霊的無関心(神さまに心を向け、神さまの言葉に聞き従うことに乏しい様子)についても見ました。
また弟ヤコブは、ずる賢く、兄エサウの弱みに付け込んで、長子の特権を横取りしていました。
本日の箇所では、個人個人の思いがさらに表面化し、大切な長子の権(信仰の継承)をめぐって家族の離散を引き起こします。
いつものように3つ見ていきます。
1、イサク/信仰継承の失敗
創世記
27:2 イサクは言った。「わたしは年老いて、いつ死ぬかも知れない。
27:3 それであなたの武器、弓矢をもって野に出かけ、わたしのために、しかの肉をとってきて、
27:4 わたしの好きなおいしい食べ物を作り、持ってきて食べさせよ。わたしは死ぬ前にあなたを祝福しよう」。
イサクは年老いて、長男エサウへの跡継ぎを考えます。ここで重要であったのは、霊的なリーダーとしての祝福、父アブラハムから引き継いだ信仰とその約束の祝福を引き継ぐことでした。つまり、神さまに心を向け、自分の知恵や知識、経験ではなくて、神さまのおことばに従っていくという信仰に歩み、約束された祝福を受け取っていくというものでした。
イサクの父であるアブラハムは、そのために息子イサクのお嫁さんを神さまのお心を確認しながら慎重に選びました。
しかし、この時の長男のエサウは、勝手に別の信仰を持つ娘と結婚し、しかもふたり妻を持っていました。それが、イサクにとって心の痛みとなっていたと創世記に記されています。
26:34 エサウは四十歳の時、ヘテびとベエリの娘ユデテとヘテびとエロンの娘バスマテとを妻にめとった。
26:35 彼女たちはイサクとリベカにとって心の痛みとなった。
この時イサクは、エサウを祝福の相続者、アブラハム信仰の継承者とすべきではない。エサウにはできないと判断すべきでした。しかしイサクはこのことで、神さまにお伺いをたてた様子もありません。年老いて、目が見えなくなったと記されているイサクでしたが、自分の好きな鹿の肉を獲ってくるエサウへの偏愛がイサクの霊的な目も曇らせていたのでしょう。
イサクは、このあと騙されて次男のヤコブを祝福したことを知ります。この時ようやくイサクは、自分の好みで、エサウへ祝福を与えようとしたことを思い知り、神さまのみこころではないことを悟ったのではないでしょうか。神さまのみこころを明確に理解したイサクは、このあと、エサウの懇願によっても、ヤコブへの祝福を取り消すことはしていません。さらにイサクはヤコブが旅立つ時には、アブラハムの祝福を繰り返し与えて送り出したのです。
イサクは、アブラハムの信仰継承という最も大切な場面で、アブラハム信仰に立って、神さまのお言葉に聞いて従うことよりも、自分の好み(考え)を優先して失敗をしました。
イサクとしては、エサウを幼少の頃から信仰に導くことや、妻リベカと相談して、ヤコブへ同じ信仰の妻を迎える進言も出来たと思われます。
子どもの教育の難しさは今も同じです。私たちは、自分の思いや考え、経験で教えるのですが、それが時に変わってしまって、子供から「前と言っていることが違うよ」と言われることも多いのではないでしょうか。しかし、聖書、神さまの言葉は変わりません。子供への教えの規範としても聖書は完全です。子供のへの教育という観点でも自分本位ではなく、神さまの言葉に従うことの大切さが示されています。
2、リベカ/自分の知恵にたよる
創世記
25:22 ところがその子らが胎内で押し合ったので、リベカは言った、「こんなことでは、わたしはどうなるでしょう」。彼女は行って主に尋ねた。
25:23 主は彼女に言われた、/「二つの国民があなたの胎内にあり、/二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、/兄は弟に仕えるであろう」。
これは、エサウとヤコブがまだ、リベカのお腹にいた時のことでした。リベカはこのことをイサクに話していたかどうかは聖書に書かれていません。しかし、リベカは、この時からヤコブが信仰と祝福の継承者になることが分かっていました。
27:6 リベカはその子ヤコブに言った、「わたしは聞いていましたが、父は兄エサウに、
27:7 『わたしのために、しかの肉をとってきて、おいしい食べ物を作り、わたしに食べさせよ。わたしは死ぬ前に、主の前であなたを祝福しよう』と言いました。
27:8 それで、子よ、わたしの言葉にしたがい、わたしの言うとおりにしなさい。
リベカは、イサクがエサウに長子の権を与えようとしていることを耳にして、自分の考えで策を打ちました。
27:9 群れの所へ行って、そこからやぎの子の良いのを二頭わたしの所に取ってきなさい。わたしはそれで父のために、父の好きなおいしい食べ物を作りましょう。
27:10 あなたはそれを持って行って父に食べさせなさい。父は死ぬ前にあなたを祝福するでしょう」。
リベカには、エサウではなくヤコブが祝福されるべきで、それが神さまのみ心でもあることが分かっていました。「何とかしなければならない」との思いだったのでしょう。しかし、その方法が夫イサクをだますことでした。
また、躊躇するヤコブにそれを強要しているのです。
アブラハムのしもべがイサクのお嫁さん候補を探しに来た時には、見たこともない相手、知らない場所でも神さまの導きだと確信し、自分の家族と別れ、すぐにアブラハムのしもべと一緒にイサクのところに旅立った素晴らしい信仰を見せていたリベカでした。
その信仰に立てば、身勝手に別の神さまへ信仰を持つ娘と結婚してしまったエサウへ祝福を与えようとしたイサクの間違いを正すことができたでしょう。また、姑息な手段を用いなくても神さまは、みこころの内にどのような方法を用いても、ヤコブへの祝福を与えてくださると信じて待つことができたはずでした。
しかし、リベカのヤコブへの偏愛が彼女に感情の高ぶりを与え、信仰の目を曇らせていたのだと思われます。
私たちは、感情に影響されないで、神さまに委ねる大切さ。神さまの答えを静かに待つ忍耐の必要を教えられています。
3、エサウとヤコブ/それぞれの刈り取り(結果)
創世記
27:38 エサウは父に言った、「父よ、あなたの祝福はただ一つだけですか。父よ、わたしを、わたしをも祝福してください」。エサウは声をあげて泣いた。
エサウは、神さまの祝福がヤコブにだまし取られたことを知ってはじめて、神さまの祝福の重大さ、これまで、心から神さまのみ心を伺い従っていくことを軽んじていたことへの後悔をしたようです。しかし、このあと彼は自分のこれまでの不信仰の歩みを悔い改めることなく、ヤコブを憎み、殺そうとさえ考えるようになりました。
のちに新約聖書ヘブル人への手紙12章16-17節で次のように評価されています。
ヘブル人への手紙
12:16 また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。
12:17 あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。
すべての責任を他人のせいにして、自分の不信仰、罪を悔いて悔いあらためないエサウは神さまの祝福から遠ざかってしまったのです。このあと、創世記28章6~8節で、エサウは父イサクがヤコブに語ったことばを聞き、はじめて自分の結婚の問題に気付いたようです。
しかし残念ですが、ここでも神さまの前に心を開くことなく、形だけヤコブを真似て、自分の妻たちがいるのに、イシマエルの娘と結婚します。そうして、アブラハムからイサクに受け継がれた信仰の系図から離れていくことになりました。
一方、兄のエサウから祝福をだまし取ったヤコブです。そのことは結局自分の身に返ってきました。兄エサウの怒りから逃れるために、母リベカの兄ラバンのところに逃れる逃亡生活をしなければならなくなりました。この時の母リベカとの別れがこの世での別れともなってしまいます。
リベカとヤコブが自分本位で作り出したこの状況でしたが、しかし、神さまは、この状況をも用いられます。神さまの憐れみと言えるでしょう。この後ヤコブは、この逃亡生活を通じて、その信仰が育まれていきます。そして、祖父アブラハムの信仰に立ように導かれていくのです。
アブラハムは、人間的な頑固な心を持ち、自分本位になって失敗することが何度もありました。しかし、神さまの前に一度砕かれて神さまのお心を知ったなら二度と疑おうとはしない神さまに向かう柔らかな心がありました。
エサウは、心砕かれても決して悔いあらためず、神さまから遠ざかりました。一方ヤコブにはアブラハム以上に頑固な部分はありましたが、神さまへ向かう柔らかな心がありました。
どんなに抵抗しようとしても、この世はご支配されている神さまのご計画だけが成っていきます。神さまに向かう柔らかい心を持つ者の歩みを神さまは支え、導き、祝福してくださるのです。
2022年4月17日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳師
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【人生に行き詰った方へ】
教会は、人がこの世に生まれた時から天に召される時まで、すべての時が神の導きと祝福の内にあることを実感するところです。そして、聖書は人生の処方箋とも言えます。人生に行き詰まりを感じることや、疲れをおぼえる時は、先ず休むことです。明日のことは、明日にならないとわかりません。明日に備えてグッスリ眠るほうが健康的です。
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