ショートメッセージ【ヤコブ④】

~ヤコブの帰郷~
創世記30章25節-31章 
 先週、創世記30章24節までのところで、ヤコブが妻とした2人の姉妹ラケルとレアの手段を選ばない出産競争を見ました。罪が罪を不信仰が不信仰を呼び、ヤコブの家庭がとても乱れていた様子を見ました。聖書は、一夫多妻の問題を取り上げ、また、神さまに導きと知恵をいただいて、家庭を治めていくことの大切さをわたしたちに教えていました。

 本日は、創世記30章25節から31章をともに見ましょう。3つお話しします。

1、ヤコブ、財産を得る

創世記
31:1 さてヤコブはラバンの子らが、「ヤコブはわれわれの父の物をことごとく奪い、父の物によってあのすべての富を獲たのだ」と言っているのを聞いた。

 ヤコブは、財産を得たようです。その経緯は、この箇所の前、創世記30章25節から記されています。

30:25 ラケルがヨセフを産んだ時、ヤコブはラバンに言った、「わたしを去らせて、わたしの故郷、わたしの国へ行かせてください。
30:26 あなたに仕えて得たわたしの妻子を、わたしに与えて行かせてください。わたしがあなたのために働いた骨折りは、あなたがごぞんじです」。
30:27 ラバンは彼に言った、「もし、あなたの心にかなうなら、とどまってください。わたしは主があなたのゆえに、わたしを恵まれるしるしを見ました」。
30:28 また言った、「あなたの報酬を申し出てください。わたしはそれを払います」。

 ヤコブは、ラバンの2人の娘、ラケルとレアを妻としたことで、ラバンのために14年間無償で働きました。約束の14年が過ぎたので故郷に帰ろうと思いました。自分をだまして14年間も仕えさせた伯父のラバンに嫌気がさしていたということもあったでしょう。

 一方ラバンにとっては、ヤコブが居れば、自分たちの娘を手もとに置けるし、ヤコブによって家畜が増え、富が増し加わるので、ここは丁重にとどまることをお願いし、これまで払っていなかった報酬を払うと提案しています。
 ここでヤコブの要求した報酬は、30章32節にあります。

30:32 わたしはきょう、あなたの群れをみな回ってみて、その中からすべてぶちとまだらの羊、およびすべて黒い小羊と、やぎの中のまだらのものと、ぶちのものとを移しますが、これをわたしの報酬としましょう。

 一般にこの地方の羊は白く、ヤギは黒かったので、ヤコブの要求した羊やヤギは全体から見たら少ない品種のものたちでした。

 ここから、ラバンとヤコブはお互い自分へ有利になるようにたくらみます。
 ラバンは、ヤコブの要求した羊やヤギをすべて取り分けて、ヤコブから離れた別のところに置いて自分の息子に管理させます。
 一方ヤコブは、自分のこれまでの経験を活かして、自分の要求した羊やヤギに子が生まれるように仕掛けます。
 ラバンはずる賢いし、ヤコブも負けずおとらずというところでしょうか。
 結果軍配はヤコブに上がり、彼は大いに富むことになります。

31:9 こうして神はあなたがたの父の家畜をとってわたしに与えられた。

 後にヤコブは、自分の妻たちに、このことは神さまが成されたことであると告白しています。ヤコブの神さまへの感謝があるようにも見られますが、6節の

31:6 あなたがたが知っているように、わたしは力のかぎり、あなたがたの父に仕えてきた。

 というところから、自分が力の限り働いたから、自力によって神さまから与えられたと言っているようにも読み取れます。ヤコブの自我の強さ、自分の思いや経験に頼るところは相変わらずのようです。ヤコブの信仰は、アブラハムが到達したそれとはまだ隔たり、ギャップがありそうです。

2、ヤコブ、国に逃げ帰る

31:13 わたしはベテルの神です。かつてあなたはあそこで柱に油を注いで、わたしに誓いを立てましたが、いま立ってこの地を出て、あなたの生れた国へ帰りなさい』」。

 神さまは、使いをよこして、国に帰るようにと語られました。
 ラバンやラバンの子供たちからのねたみもあって、ヤコブは、国に帰る決心をします。神さまは、あえてベテルの神と言っています。それは、ベテルでの約束を思い出すようにということだったのでしょう。

28:15 わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。

 神さまは、この約束を守ろうとしてくださっているのに、ヤコブは、伯父ラバンに無断で逃げていくことを妻たちに相談し、それを実行します。ラバンに騙されて、ひどい扱いを受けたのは確かでしたが、そもそも、ヤコブは逃亡の身、そんな彼に住まいと食べ物を与えたのはラバンでした。そのラバンに対して、また、真実な神さまに対して、ヤコブの不誠実な姿が浮き彫りにされています。
 2人の妻たちも、ヤコブに付き従います。

31:15 わたしたちは父に他人のように思われているではありませんか。彼はわたしたちを売ったばかりでなく、わたしたちのその金をさえ使い果したのです。
31:16 神がわたしたちの父から取りあげられた富は、みなわたしたちとわたしたちの子どものものです。だから何事でも神があなたにお告げになった事をしてください」。

 しかし彼女たちも、神さまが言われたとおりにとは言っているものの、神さまへの信仰というよりは、自分たちの利害が一致する点に於いてヤコブに従っています。

 彼らの信仰はご利益信仰と言えるでしょう。
 自分が中心、自分のルール、秩序になるようにと願い、それを叶えて下さるように神さまに祈る。しかし、それを叶える神さまが仮にいたとして、それぞれ人が思い思いのルールで願うことを叶えていたら、世の秩序が成り立たないのは明らかです。おそらく日本人で初詣に参る人たちの多くはこのような信仰ではないでしょうか。同様に、ヤコブも妻たちもまだ、そのような信仰と言えるでしょう。

 しかし、まことの神さまは、神さまのご計画だけが成ること、そのご計画は、途中どうであれ、最終的には、私たち1人1人の喜びの計画であって、それに従う者を守り導いてくださる、これを信じて歩む信仰を望まれているのです。

3、ヤコブ、ラバンに追いつかれる
 神さまのご計画だけが成るであれば、神さまのみ心に沿わない計画を行えば、当然問題が生じてきます。ラバンがヤコブたちの逃亡を知って追いかけてきました。
 ラケルがヤコブの知らないところで、ラバンのテラピム(家の守り神のこと)を盗み出していたことも、ラバンの怒りの追跡に拍車をかけたようです。以前姉のレアの方が妹のラケルよりも信仰的であるとお話ししました。迷信的な守り神を置いていたラバンもまた、それを盗み出したラケルも真の神さまだけを信頼する信仰にはなっていなかったことがここで明らかにされています。

 しかし、神さまはここでラバンに不思議なかかわり方をされます。

31:24 しかし、神は夜の夢にアラムびとラバンに現れて言われた、「あなたは心してヤコブに、よしあしを言ってはなりません」。

 これによって、ラバンは、ヤコブたちに害を加える力はあるが、神さまのご介入の故に赦すと言っています(創世記 31:29)。

 この神さまのご介入の理由については、ヤコブのこの発言に注目しましょう。

31:31 ヤコブはラバンに答えた、「たぶんあなたが娘たちをわたしから奪いとるだろうと思ってわたしは恐れたからです。

 ラバンが、そのまま怒りにまかせていれば、ヤコブから、レアやラケルそして子供たちをも取り上げて連れ帰る勢いだったということでしょう。そしてラバンを良く知るヤコブだから、本当にラバンがそのようなことをすることを恐れていたのです。

 さて、私たちは大きな流れとして、アブラハムの信仰の継承をみてきました。ここで、ラバンがヤコブの子供たちを取り上げてしまったら、それが途絶えてしまいます。
 神さまのご介入の意味はここにありました。

 このあとラバンとヤコブは自分たちの境界線を決める契約を結びます。そしてこの境界線が定められたことで、ヤコブはエサウのいるカナンの地へ進むしか道はなくなりました。
 全てをご支配する神さまの御手の采配をここでも見ることができます。

31:53 どうかアブラハムの神、ナホルの神、彼らの父の神がわれわれの間をさばかれるように」。ヤコブは父イサクのかしこむ者によって誓った。
31:54 そしてヤコブは山で犠牲をささげ、一族を招いて、食事をした。彼らは食事をして山に宿った。

 ここでもヤコブの信仰は自分勝手で、神さまよりも自分の知恵に頼る信仰でしたが、神さまから離れてしまうことはありませんでした。もちろんこのままでは、神さまは喜ばれることはありませんが、神さまから離れずにいれば、神さまはその者を顧み、神さまの喜ばれる方へ変えられるように導いてくださることが分かります。

 ここより学ぶことは、何があっても神さまから離れないこと。そして、神さまの御心、ご計画だけが成るということを受け入れると、ご利益信仰がいかに不合理で不毛だということがわかるのではないでしょうか。神さまの御心を知り、神さまを信頼して歩む暮らしが、いかに素晴らしいかを理解できるのではないでしょうか。

2022年5月8日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳師

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