ショートメッセージ【モーセ②】

(神さまによるモーセへの導き)

出エジプト記2章10節-3章15節
1、殺人を犯し逃亡するモーセ (2章10 -15節)
2、モーセ逃亡先で結婚 (2章16-25節)
3、ホレブ山の燃える柴(3章1-15節)

1、殺人を犯し逃亡するモーセ (2章10 -15節)
2章10-11節
2:10 その子が成長したので、彼女はこれをパロの娘のところに連れて行った。そして彼はその子となった。彼女はその名をモーセと名づけて言った、「水の中からわたしが引き出したからです」。
2:11 モーセが成長して後、ある日のこと、同胞の所に出て行って、そのはげしい労役を見た。彼はひとりのエジプトびとが、同胞のひとりであるヘブルびとを打つのを見たので、

 10節に、モーセは無事成長し王女の子となったことが書かれています。11節から、突然、展開が変わります。 

 王女が伝えたのか、彼は白分かイスラエル人であることを知っていたようです。そして、同胞(ヘブル人)が奴隷にされている国で、自分だけが王族の一員として育てられたことに複雑な感情を抱いていたのかもしれません。
《ある日のこと、同胞の所に出て行って、そのはげしい労役を見た。》(2:11)と記す聖書の箇所からは、気になっていることをわざわざ見に行った、というニュアンスが感じられます。

2:12 左右を見まわし、人のいないのを見て、そのエジプトびとを打ち殺し、これを砂の中に隠した。
2:13 次の日また出て行って、ふたりのヘブルびとが互に争っているのを見、悪い方の男に言った、「あなたはなぜ、あなたの友を打つのですか」。
2:14 彼は言った、「だれがあなたを立てて、われわれのつかさ、また裁判人としたのですか。エジプトびとを殺したように、あなたはわたしを殺そうと思うのですか」。モーセは恐れた。そしてあの事がきっと知れたのだと思った。
2:15 パロはこの事を聞いて、モーセを殺そうとした。しかしモーセはパロの前をのがれて、ミデヤンの地に行き、井戸のかたわらに座していた。

 そして、そのとき、エジプト人がイスラエル人を打ち据えているところを見てしまったモーセは、辺りに人がいないのをみはからって、そのエジプト人を殺し、遺体を隠しました。ところがこの事実は、モーセがかばったはずの同胞の口を通して王の知るところとなってしまったのです。怒った王に殺されそうになったモーセは、ミデヤン地方へ逃亡します。

2、モーセ逃亡先で結婚 (2章16-25節)
 逃亡した先のミデヤンの地で、とある井戸の傍らに腰を下ろすと、ミデヤンの祭司に七人の娘たちがそこへ来て水をくみ、水槽を満たし、お父さんの羊の群れに飲ませようとしたところへ、羊飼いの男たちが来て、娘たちを追い払いました。モーセは立ち上がって娘たちを助け、羊の群れに水を飲ませてやったのです。

 娘たちが父リウエルのところに帰ると、父は、《「きょうは、どうして、こんなに早く帰ってきたのか」。》(2:18)と尋ねました。
彼女たちは《「ひとりのエジプトびとが、わたしたちを羊飼たちの手から助け出し、そのうえ、水をたくさんくんで、羊の群れに飲ませてくれたのです」。」》(2:19)
お父さんは、娘たちに言いました。《「そのかたはどこにおられるか。なぜ、そのかたをおいてきたのか。呼んできて、食事をさしあげなさい」》(2:20)

2:21 モーセがこの人と共におることを好んだので、彼は娘のチッポラを妻としてモーセに与えた。

 モーセはそこで祭司の娘チッポラと結婚し、男の子をもうけました。一方、エジプトでは王が亡くなり、新しい王に変わった後も、イスラエル人へのひどい扱いは変わりませんでした。助けを求めるイスラエル人の声は神さまに届き、彼らを救い出すための神さまのご計画が動き出そうとしていました。

3、ホレブ山の燃える柴(3章1-15節)
 ミデヤンで、祭司であるしゅうとの羊を飼って暮らしていたモーセが神の山ホレブ山に羊の群れを導いたとき、突然、柴の中の炎のうちに神さまの使いが現れ、(3:6-10)
3:6 また言われた、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した。
3:7 主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。
3:8 わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。
3:9 いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。
3:10 さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。

と言います。
 これは、イスラエル民族の救出であるのと同時に、彼らを、アブラハムに約束した地、カナンの地に導くための一歩でもありました。
 しかしモーセは、イスラエル人のところに行ってこのことを話しても相手にされないのではないかと心配し、何という神から遣わされたのかと聞かれたら、どう答えればいいのかと神に尋ねます。それに対する神さまの答えは《「わたしは、有って有る者」。》というものでした。
 この時代、エジプトにもカナンにも他の周辺諸国にも、それぞれ名前をもつ多くの偶像神がありました。

《「わたしは、有って有る者」。》という名前は、それらの偶像の1つとしての神ではなく、天地創造をした唯一無二の神、永遠の昔から永遠の未来にまで時間を超越して存在する神、という性質を表しています。
 その神さまが、究極的には全世界を祝福する計画のために選んだのがイスラエル民族でした。

 次回は、その神が、その第一歩として彼らをカナンに入らせるために、エジプト王のもとにモーセを遣わし、イスラエルを手放すように迫ります。
 
 私たちは、神さまと出会うとき、やがて、神さまからミッションが与えられます。また、ミッションに気づかされます。
 神さまと出会わなければ、過去の不幸を数えますが、まことの神さまと出会うと未来の計画を一つ一つ知ろうとします。
 人生は出会いです。人との出会いより、先に神さまとの出会いが必要だと教えられます。

2022年7月3日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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