ショートメッセージ【モーセ③】

(モーセの性格)
出エジプト記3章14節-4章31節

1、モーセの性格
 本日は、モーセの気質と言いますか性格をみたいと思います。モーセは、出エジプト記2章11-12節の同胞の苦役とエジプト人がヘブル人を打つのを見て、そのエジプト人を打ち殺したので血の気が多いと思われがちですが、民数記12章3節では《モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた。》とあります。新共同訳では、「謙遜」。NKJVでは、「very humble」とあり、とても謙虚と訳せます。
 また、出エジプト記4章を読みますと、そのことがわかります。
 誰しも若い時は、社会における事の善し悪しをよりも、目の前に起こっている現象から自分の湧き上がる思いに行動しがちです。モーセも若い時はそのようであったと思われます。

 神さまが、晩年のモーセに臨まれた時のモーセは、どのような性格だったでしょうか。

 先ず、3章18節を見ますと、神さまから、
3:18a 彼らはあなたの声に聞き従うであろう。
と言われています。彼らとはイスラエル民族のことです。しかし、4章1節では、
4:1 モーセは言った、「しかし、彼らはわたしを信ぜず、またわたしの声に聞き従わないで言うでしょう、『主はあなたに現れなかった』と」。
 と、返しています。やはり不安なのでしょう。

 3章10節で《さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。》と、神さまに声をかけられるモーセ。そこで、モーセは、神さまの語りかけに対して、3:11 《モーセは神に言った、「わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか」。》 
神さまの前で私は何なのか。そんなこと突然言われても、出来るのか。なぜ私なのか。と思っているようです。「いったい何がどうなってるの?」と言う感じでしょうか。
 会社員で言うと3段・4段昇進の大抜擢。しかし、その仕事の大きさは測りしれなく無謀だ。と言うのがモーセの冷静な回答だと言えます。

 3章14-17を見ます。
3:14 神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。
3:15 神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である。
3:16 あなたは行って、イスラエルの長老たちを集めて言いなさい、『あなたがたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主は、わたしに現れて言われました、「わたしはあなたがたを顧み、あなたがたがエジプトでされている事を確かに見た。
3:17 それでわたしはあなたがたを、エジプトの悩みから導き出して、カナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとの地、乳と蜜の流れる地へ携え上ろうと決心した」と』。
 そのように言われても、同胞のイスラエルの人々は聞く耳をもって従うのか。

4:1 モーセは言った、「しかし、彼らはわたしを信ぜず、またわたしの声に聞き従わないで言うでしょう、『主はあなたに現れなかった』と」。

 繰り返しますが、この4章1節のモーセの発した言葉の心境は、神さまのご存在、その神さまからのご命令とその仕事、そのすべてが大き過ぎて自分では無理だと考えたのでしょう。当然だと思います。当時のエジプトは統制のとれた巨大国家で軍隊も優れていました。

 モーセはエジプトで40年は王家にいましたから、英才教育を受けたと考えられます。知識面、肉体面、様々な教育と訓練を受けたのだと思われます。次の逃亡先(ミデヤン地方/サウジアラビアの北西部)の荒野の40年では、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていました。荒野での暮らし方、羊などの家畜の世話をおぼえたと思われます。

 ここでよく考えてほしいのですが、モーセにとっては、とてつもなく大きな神さまのご計画ですが、神さまの目からは、イスラエルの民を導く訓練を施したのです。モーセは、過去の人生が神さまの訓練とは気づいていません。また、これから神さまがされようとするイスラエル人の救い、そして、自分の人生の背後に神さまの導きがあることをこの時点ではわかりません。

 次に、神さまのご命令に従おうとしないモーセの言動に、4章2-7節の間で、ヘビ→杖→ヘビに、手が重い皮膚病に罹って治る奇跡(しるし)を見せられ、さらに、ナイル川の血の奇跡を見せよ言われても首をたてに振らず、モーセは神さまに言いました。
 そこのやり取りを読んでみましょう。

4:10 モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」。
4:11 主は彼に言われた、「だれが人に口を授けたのか。話せず、聞えず、また、見え、見えなくする者はだれか。主なるわたしではないか。
4:12 それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう」。
4:13 モーセは言った、「ああ、主よ、どうか、ほかの適当な人をおつかわしください」。
4:14a そこで、主はモーセにむかって怒りを発して言われた、「あなたの兄弟レビびとアロンがいるではないか。

 最終的には、神さまに従って、兄のアロンと一緒にパロのところへ行き、エジプトを出る第一歩がはじまりました。
 モーセは神さまに対して謙虚で、また、神さまが命じられたご計画がどのくらい大きなことかスグにわかる人でした。また、事の大きさから、率直に自分以外の人を立てて下さいと口にする人でした。実際、問題が起こるごとに、よく神さまに祈り、指導を請い、神さまと民に対して柔和でへりくだった人でした。《神は言われた、「わたしは必ずあなたと共にいる。(3:12a)》神さまは、必ず約束を守られます。ですから、モーセは、主を信頼してイスラエルの民を導き通せたのだと言えます。

 ここでの学びは、私たちが柔和な心で神さまを求めるなら救ってくださるということです。自然を司っているのは神さまであること。その救いは、人を立てるだけではなく、自然をも使って助け出すのです。次回、神さまは自然を使ってエジプトに災いを下すことを見ます。
 イスラエル人が求める奴隷からの解放を神さまは応じて下さったのです。イスラエル人からすれば、モーセが与えられたのです。また、モーセからすると、自分の奇妙な人生は、背後に神さまの導きがあったという事です。現代の私たちにも当てはまります。困難な時、祈りを聞いてくださる神さまがおられます。また、助けるために、人が助けに来ることや自然をも使って下さいます。
 ただし、どの神さまでも求めて良いのではなく、モーセに「わたしは有る」と言われた神さましか助けて下さいません。その「わたしは有る」と言うお方が、皆さんの求める事を聞いて下さるのです。

2022年7月10日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

【教会を離れてしまった兄弟姉妹へ】
以前、日曜日に教会へ通っておられたのに離れてしまった方々へ。理由は、いろいろあると思いますが、それより、「もう一度、教会へ行ってみたいなぁ~」「礼拝へ出たいなぁ~」「賛美したい♪」と思っている方、ネットで礼拝に出席されませんか。
ネットの気軽さとコロナ感染の予防の観点から、礼拝と聖書の学びが出来るよう準備しました。
ご興味ある方は、お問合せフォームからご連絡下さい。
ZOOMのIDとパスコードをお知らせ致します。

【人生に行き詰った方へ】
教会は、人がこの世に生まれた時から天に召される時まで、すべての時が神の導きと祝福の内にあることを実感するところです。そして、聖書は人生の処方箋とも言えます。人生に行き詰まりを感じることや、疲れをおぼえる時は、先ず休むことです。明日のことは、明日にならないとわかりません。明日に備えてグッスリ眠るほうが健康的です。
教会や聖書の書かれていることに、ご興味ある方は、お問合せフォームからご連絡下さい。
ZOOMのIDとパスコードをお知らせ致します。