ショートメッセージ【モーセ⑧】

(申命記のあらすじ)

1、モーセのメッセージ
2、律法について
3、モーセの最後のメッセージ

1、モーセのメッセージ
 本日でモーセ・シリーズは最後になります。モーセが書いたとされる5つの書簡、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記。

 その最後の書「申命記」について本日は、簡単にお話しいたします。
 出エジプトの後イスラエルの民は、シナイ山に1年ほど留まり神さまとの契約を結びました。その後、彼らは荒野を彷徨いながら厳しい旅を続け、出エジプトをした世代は、助け導いていただいた神さまに対して不誠実だったため、約束の地に入る資格を失ってしまいました。

 申命記は、申命記の書いた目的と構成が1-5節に記されています。

1:1c アラバにおいて、モーセがイスラエルのすべての人に告げた言葉である。
1:5 すなわちモーセはヨルダンの向こうのモアブの地で、みずから、この律法の説明に当った、そして言った、

 このように、モーセがイスラエルのすべての新しい世代へ律法について説明するところから始まります。申命記は、モーセが次世代のイスラエル民族に対して、神さまの契約に誠実でありなさい。と語る説き明かし集です。申命記の区分は、見方で様々な区分ができます。
 例えば、
 1-4章は、モーセの民に対する第1の演説。「思い出しなさい」
 5-26章は、モーセの民に対する第2の演説「上を見上げなさい」
 27-33章は、モーセの民に対する第3の演説「気をつけなさい」
 34章は、「モーセの死」のような分け方も出来ますが、やはり肝心かなめの律法に視点を置いて、区分したいと思います。

 この書の中心は、12-26章で、神さまとイスラエルが結んだ契約の内容である律法が書かれています。その中には、新しい律法も含まれますが、多くの律法はシナイ山で結んだ契約の繰り返しです。これが再び命じる。という申命記の名前の由来であり第2の律法(ギリシヤ語ではデウトロノミオン)。という意味なのです。

 さて、申命記の構成は、先ほどお伝えした、12-26章は律法が書かれていて、この律法を挟んで1-11章と27-34章は、モーセによる民へのメッセージとなっています。
 1-11章  モーセのメッセージ
 12-26章 律法
 27-34章 モーセの最後のメッセージ
 これらは各々二つに分かれています。では、少し最初の各部分を見ていきます。

 1-3章では、モーセはまず、これまでの道のりを要約しました。前の世代が酷く反抗的だったこと。それとは対照的に神さまが常に恵み深く、彼らを荒野で養ったことについて。イスラエルの民は反抗的でした。度が過ぎると、神さまは、正義をもって悪を裁きました。しかし、契約を破棄しませんでした。

 4-11章では、モーセが新しい世代に向かい契約に対して、親の世代より誠実であれと訴える熱のこもった語りが続きます。
 モーセは、彼らに十戒を思い起こさせ、さらにこの部分の最も大事なこととして「シェマ」と呼ばれる有名な言葉を述べます。

申命記6章4-5節
6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。
6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

 これは、ユダヤ教の重要な祈りになり、聖書にある全てのテーマがここに集約されています。
 
 《聞け》という言葉は、ヘブル語で、שְׁמַע(右から読みます)「シェマ」と言います。辞書で調べますと「聞く、聞く感覚がある」「(聞いて)自分が従順であることを示す」ですから、これは単に耳で聞くだけではなく、聞いたことに応答せよ。つまり、聞き従えという意味になります。

 また、《愛》せよという言葉は、ヘブル語ではאָהַב(右から読みます)「アハブ」と言い、単なる感情的な一時的な愛ではなく、知・情・意すなわち「理性・知性、感情、意志」と思いの全てを持って、自分を神さまに捧げるという決断のことです。イスラエルにとって、神さまに従い、自分を捧げることには、さらに大きな意味がありました。イスラエル民族は律法に従う事によって、他の国とは違う特別な民となるからです。

 神さまが、シナイ山でイスラエルは祭司の王国(出エジプト記19章)になると言いました。ここでモーセは、イスラエルが律法に従う事によって、神の知恵と正義を世界中に示すことができる。と説明しました。「シェマ」のもう一つの重要な要素は、イスラエル民族は「神」=「主」唯お一人に従い、仕えるために召されているということです。

 神さまは、イスラエル民族が礼拝し従うべき、唯お一人の神ということです。イスラエルの民が入ろうとしているカナンには多くの偶像がありました。太陽をはじめ天気の事象などの被造物、あるいは性や戦争をかたどった神々です。これらの神々を拝むことは、人間の尊厳をおとしめ、共同体を破壊するものだと、モーセは教えました。しかし創造者であり、贖い主であるイスラエルを導いた神さまを礼拝するなら、命と祝福に導かれるのです。

2、律法について
 申命記の中心12-26章には、多くの律法が記されており、それらはテーマ別で大まかに分類されています。
 最初の区分12-16章前半は、イスラエルの神の礼拝の仕方について、イスラエルの民の中心には、唯一の神が礼拝される宮があります。また貧しい者を顧みることも、神さまへの礼拝でした。

 例えばイスラエル人は、毎年収入の1/10を宮に捧げていましたが、別に1/10は取り分けておいて、3年ごとに貧しい人々に分け与えられたのです。その箇所を読んでみましょう。

申命記14章28-29節
14:28 三年の終りごとに、その年の産物の十分の一を、ことごとく持ち出して、町の内にたくわえ、
14:29 あなたがたのうちに分け前がなく、嗣業を持たないレビびと、および町の内におる寄留の他国人と、孤児と、寡婦を呼んで、それを食べさせ、満足させなければならない。そうすれば、あなたの神、主はあなたが手で行うすべての事にあなたを祝福されるであろう。

 こういった律法は、イスラエル人の正義についての感覚を近隣諸国の法典や規則などよりずっと優れたものにしましたが、それは、全て神さまへの礼拝と結びついた行為だったのです。

 次の区分である16後半-18章は、王・長老・祭司。と言った、イスラエルのリーダー達の資質について述べています。彼らは皆、律法の権威のもとにあり、神さまは、彼らが責任を果たせるように、預言者を送って、律法を守らせると言いました。

 ここは重要です。
 つまり、王自身がまさに神さまであり、法律であった近隣諸国とは違って、イスラエルの王・長老・祭司の指導者たちは、律法と預言者の下にある存在だったのです。

 次の区分の19-26章は、民の生活についての律法で、その内容は結婚、家族、仕事(民事の律法)。そして未亡人や孤児、移民をどのように守るかといった社会正義についてです。
 最後はさらに礼拝についての律法で締めくくられています。

 私たちは、律法を理解する上で気をつけるべきことがあります。まず一義的に、このシナイ契約・律法は、現代の私たちとは全く違う文化を持つ、<古代のイスラエル人に与えられたもの>だということです。
 ですから、これを現代の法律と比較しても意味がありません。むしろ、<この律法は、イスラエルをヒッタイトやアッシリア、バビロン、エジプトといった近隣諸国とは違う存在にしておくためのもの>だったのですから、彼らの法律と比べて見るべきです。そうすれば、厳しすぎるとか奇妙だと思われた律法が、急に全く違って見えてくるはずです。

 つまり、神さまは、イスラエルを正義において、前例が見当たらない高い基準を持った国にしたのです。
 律法の一つ一つの根底にある原則的な知恵や正義を見極めようとすると非常に深いものが見えてきます。
 神さまとの交わりである礼拝、安息日の人々と動物の休み、安息の年の土地の休み、ヨベルの年の貧しい人の救済と社会の安定化などです。

〈ヨベルの年〉
 7年ごとに土地を休ませる安息年が7たび巡った翌年の第50年目の年のこと(レビ記25章8節以下)です。
 具体的には、売られた土地は元の所有者に返され,奴隷は自由の身となります。7年目は土地の全くの安息の年となり、49年目と50年目は続く安息年となります。それには,6年目(48年目)に3年間のための収穫が、神さまによって約束されています。しかし聖書にはこの定めが守られた記録はありません。

3、モーセの最後のメッセージ
 27-34章のモーセの最後のメッセージを少し見てみましょう。彼は、全ての律法を述べた後、イスラエルに対して「神に聞き従い神を愛せ」(27-30章)と命じました。
 モーセは、まず警告した後、もしイスラエルが聞き従うなら、神さまからの豊かな祝福があるだろう。しかし、聞き従わず逆らうなら、飢饉・疫病・荒廃がもたらされ、最終的には約束の地から追放されるだろう。と言い渡しました。そして、モーセは、

30:15 見よ、わたしは、きょう、命とさいわい、および死と災をあなたの前に置いた。
30:16 すなわちわたしは、きょう、あなたにあなたの神、主を愛し、その道に歩み、その戒めと定めと、おきてとを守ることを命じる。それに従うならば、あなたは生きながらえ、その数は多くなるであろう。またあなたの神、主はあなたが行って取る地であなたを祝福されるであろう。
30:17 しかし、もしあなたが心をそむけて聞き従わず、誘われて他の神々を拝み、それに仕えるならば、
30:18 わたしは、きょう、あなたがたに告げる。あなたがたは必ず滅びるであろう。あなたがたはヨルダンを渡り、はいって行って取る地でながく命を保つことができないであろう。
30:19 わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。
30:20 すなわちあなたの神、主を愛して、その声を聞き、主につき従わなければならない。そうすればあなたは命を得、かつ長く命を保つことができ、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地に住むことができるであろう」。

 と言って、決断を迫ります。しかしモーセは、私の死後、あなた方は、神さまに逆らい追放されるだろうとも言いました。
 残念な話ですが、この民と何十年も共に過ごしてきたモーセにとって、彼らにあまり期待できないことは明白だったのでしょう。。しかし、希望もあります。モーセは、イスラエルが彷徨っても、やがて心に割礼を施し、心と魂を尽くして神を愛し、生きるようにさせてくださる神に、立ち返ることができると言ったのです。

申命記
30:6 そしてあなたの神、主はあなたの心とあなたの子孫の心に割礼を施し、あなたをして、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主を愛させ、こうしてあなたに命を得させられるであろう。

 このことはイスラエルの民の致命的な欠点を表しています。彼らの心はかたくなです。しかし、少し引いて考えて下さい。
 実にこれは全人類に共通しており、もとをたどれば、エデンの園での反抗に行き着くのです。

 人は、神さまの権威を無視し、払いのけ、善悪の判断を自分でしたい。と願った結果、神さまの善き世界を台無しにしました。しかし神さまは、いつの日か人の心をつくり変え、彼らが真心から神に聞き従い、愛し、真のいのちに導かれるようにしてくださる。とモーセは言ったのです。

 この心が新しくされるという約束は、後に、預言者エレミヤ31章とエゼキエル36章によっても語られます。

 申命記31-34章はモーセの最後の言葉と死です。32章でモーセは警告し33章で祝福を語ってメッセージ(説き明かし)を終えると山に登り、死を迎えとトーラー(律法)も終わりを迎えます。

 これまで、神さまがモーセを通して導かれたイスラエルの問題・課題はすべて列記されてありますが、何一つ解決がありませんでした。
 創世記3章15節の悪を打ち砕く女の子孫はいつ来るのでしょうか。
 神さまは、どのようにして全世界を救いアブラハムの子孫を通してすべての国を祝福してくれるのでしょうか。
 また、神さまは、絶えず反抗する民をどのように接していくのでしょうか。
 そして、神さまは、どのようにして人々の心を変えてくださるのでしょうか。答えはまだ先を読まなければ分かりません。

2022年8月14日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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【人生に行き詰った方へ】
 教会は、人がこの世に生まれた時から天に召される時まで、すべての時が神の導きと祝福の内にあることを実感するところです。そして、聖書は人生の処方箋とも言えます。人生に行き詰まりを感じることや、疲れをおぼえる時は、先ず休むことです。明日のことは、明日にならないとわかりません。明日に備えてグッスリ眠るほうが健康的です。
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