ショートメッセージ【モーセ⑦】

(モーセ、荒野の40年)

1、荒野で40年間の放浪
2、神さまからの食物・マナ 出エジプト記16章
3、モーセの姉ミリアムと兄アロンのねたみ
4、モーセの失敗とピスガ山での最期

1、荒野で40年間の放浪
 本日は、イスラエルの民が荒野で放浪した40年の間に起きた代表的な出来事を見ていきます。

 葦の海を渡ったイスラエル民族は、約束の地カナンを目指して荒野に入っていきました。
 エジプトからカナンまでは、直線距離にすると約300キロです。家畜や財産、小さな子供からお年寄りまでいるので、仮に―日に5キロ移動するとして2か月で到着できる距離です。しかしイスラエル民族は、この移動に、なんと40年という年月をかけることになりました。それは、彼らの神さまに対する不遜、不信仰があまりにも酷かったためでした。

 神さまはこの荒野で民に律法を与え、ご自身への信頼と従順を求めましたが、民は幾度となくそれに背き、さばきを与えられると悔い改め、時が過ぎ、事あるごとに、また背くということを繰り返しました。なぜ、約束の地に入るまで40年を経なければならなかったのか。理由を見ていきます。

 民数記13-19章では、イスラエルの民は、パランの荒野に到着します。

 約束の地までちょうど半分ほどの道のりです。神さまは、モーセ12部族から一人ずつ選び出し約束の家を偵察させるように命じました。戻ってきた偵察隊のうち、10人はイスラエルに勝ち目はなくカナン人に滅ぼされるだろうと言いました。

 しかしカレブとヨシュアの二人は神さまが、助けてくださるだろうと言いました。すると残りの10人は民を先導して反乱を企てました。新しい指導者を立てエジプトに帰ろうとしたのです。当然のことながら神さまは怒り、モーセは民のためにとりなしました。モーセはアブラハムへの約束を守って下さい。と懇願しました。

民数記14章
14:33 あなたがたの子たちは、あなたがたの死体が荒野に朽ち果てるまで四十年のあいだ、荒野で羊飼となり、あなたがたの不信の罪を負うであろう。
14:34 あなたがたは、かの地を探った四十日の日数にしたがい、その一日を一年として、四十年のあいだ、自分の罪を負い、わたしがあなたがたを遠ざかったことを知るであろう」。

 神さまはその願いを聞き入れましたが、そのために正義を曲げることはなさいませんでした。「約束の地に入りたくないといった者には、その通りにしてやる。」ことにして、この世代が死に絶えるまで40年荒野を彷徨わせると宣告されたのです。彼らの子供世代が約束の地に入ることになりました。

2、神さまからの食物・マナ 出エジプト記16章

16:1 イスラエルの人々の全会衆はエリムを出発し、エジプトの地を出て二か月目の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にきたが、
16:2 その荒野でイスラエルの人々の全会衆は、モーセとアロンにつぶやいた。
16:3 イスラエルの人々は彼らに言った、「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」。
16:4 そのとき主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。

16:31 イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。

※コエンドロ=コリアンダー/セリ科 
 主にカレーやスープのスパイス柑橘系の甘い香りが特徴

 話は、前後しますが、荒野には、当然のことながら、イスラエルの民全員のお腹を満たすような食物はありませんでした。壮年の男性だけで60万人ということは、女性や子どもを合わせれば250万人前後はいたと言われています。この大所帯を養うために、神さまは毎日、マナというパンのような食物を降らせました。これを集めるにあたって神さまが命じたことは、必ず毎日1日分のマナを集めなさい、ということでした。「明日には明日のマナを与えるから、明日の分まで集めてはいけない。」というのです。

 これは、マナの鮮度を考えてのことではありませんでした。というのは、安息日の前の日には、2日分集めてよいと言われたからです。これは神さまが、毎日必要な物を与えるということを信頼せよ、という訓練だったと言えます。

 しかし、イスラエルの民の中には、それを信じることができず、翌日の分までマナを集め、取っておこうとする者がいました。するとマナには虫がわき、悪臭を放ちましたが、安息日の前の日に集めたマナだけは、翌日になっても腐ることはありませんでした。

3、モーセの姉ミリアムと兄アロンのねたみ
 ミリアムは、アロンとモーセの姉(民26:59)。幼子モーセが入れられたパピルスのかごを見守っていて、パロの娘に勧め、実の母を乳母としたのはミリアムです(出2:4‐8)。葦の海(紅海)渡った後、彼女はタンバリンをもって勝利と感謝の賛美を導きました。また、彼女は「女預言者」と呼ばれています(出15:20‐21)。彼女は、カデシュで死んで葬られました(民20:1)。

 アロンは、アロンはモーセより3歳上の兄でした(出7:7)。アロンが出エジプトの物語に初めて現れるのは「レビ人アロン」としてで、その時彼は、神の召命を受けてエジプトに戻ろうとする弟モーセに会いに出てきました。その雄弁さのゆえにアロンは、モーセに代ってイスラエルとパロに対して語る代弁者とされました(出4:14以下)。
 祭司職の制定に当り、アロンは大祭司に、彼の4人の子は祭司に任職され、荒野の幕屋で主に仕えました(出28:1以下,レビ8:1以下)。アロンは「油そそがれた祭司」でした(レビ4:3)。

 アロンとその子らは特別の装束を着けましたが、アロンの装束は格別でした。年に1回の贖罪の日に、アロンは幕屋の中の聖所の垂れ幕を通ってその内側の至聖所に入り、民の罪のためのいけにえの血を携えて行く(レビ16:1以下)という重要な務めを与えられていました。

 アロンもモーセのように約束の地に入ることができず、荒野の旅の果てにエドム国境に近いホル山の頂で死にました(民20:22‐29)。その職務はアロンの第3子エルアザルが引き継ぎました。イスラエルの祭司職は、包括的に「アロンの子孫」として知られるようになりました。

 民数記11章では空腹と喉の渇きについて文句を言いエジプトに帰りたいと訴えはじめました。12章ではモーセの兄と姉も彼に皆の前で彼を非難しました。

民数記
12:3 モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた。

 ミリアムとアロンは、モーセがクシュ人の女をめとっていたことで彼を非難しました。しかしその非難の真の動機は、モーセの地位に対するねたみだったのです。それゆえ神さまの怒りが下り、ミリアムは重い皮膚病になったのです。モーセが神さまへ、とりなしをし、彼女はいやされましたが、7日間は宿営の外に締め出されました(民12章)。

4、モーセの失敗とピスガ山での最期
 ことあるごとに不信仰に陥り、モーセや神さまに盾突く民を導いての荒野の旅は、モーセにとって気苦労の絶えない道のりだった思います。
 あるとき、イスラエルの民が「飲み水がない」とモーセに文句を言い始めました。このようなことはこれが初めてではなく、食物であれ水であれ、そのつど必要に応じて与えられてきたことをすっかり忘れてしまったかのように、いちいち反抗的姿勢で要求をしてくる民に、柔和なモーセも、かなり嫌気をさしていたんだと思います。感情的になり冷静さを欠いていたとしか言いようがありません。神さまはモーセに《会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。》と指示していたのに、モーセは嫌々宣言し、手を上げて杖で岩を2度叩くという行動に出ました(民数記20:7~12)。

20:7 主はモーセに言われた、
20:8 「あなたは、つえをとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。こうしてあなたは彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませなさい」。
20:9 モーセは命じられたように主の前にあるつえを取った。
20:10 モーセはアロンと共に会衆を岩の前に集めて彼らに言った、「そむく人たちよ、聞きなさい。われわれがあなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのであろうか」。
20:11 モーセは手をあげ、つえで岩を二度打つと、水がたくさんわき出たので、会衆とその家畜はともに飲んだ。
20:12 そのとき主はモーセとアロンに言われた、「あなたがたはわたしを信じないで、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現さなかったから、この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることができないであろう」。

 それでも水は出ました。しかし、神さまはこのときのモーセの非を責め、40年の長きにわたる荒野の旅を導きながら、自分は約束の地に入ることを許されず、その直前に天に召されることになったのです。苦労の末に、ストレスもピークに達し、ふと魔が差したのだろうと思うと気の毒な気がしますが、神さまの意志を民に伝え、神さまの力を民の前に表す役割を担わされたリーダーの責任の重さが示される出来事でした。
 モーセは最後にもう1度、イスラエルの民に、神さまから与えられた契約の内容を確認させ、祝福を与えると、ピスガ山に登り、120歳の生涯を閉じました。

 モーセのような柔和で謙遜な信仰者でも、疲れや相手の態度、聖なる神さまと反抗的なイスラエルの民の狭間で、神さまに言われたことを忠実に出来ませんでした。
 私たちが、職場や家庭、地域社会で責任をとる機会が与えられたら、それでもモーセの仕事ぶりと柔和さは、質の高いお手本となります。

 これまで、エジプトからイスラエルの民を導いたモーセを見てきました。とてもスケールの大きな事業でしたが、小さなもめ事がいっぱいの放浪記でした。神さまの「きよさ(聖)」の絶対的な距離感と私たちの罪は、自分自身のただ中にあることをおぼえます。

2022年8月7日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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