ショートメッセージ【サウル⑤】

サムエル記上15章17-35節
(サウル王、マレク人との勝利と不従順_2)

1、サウルの言い訳
2、家畜の犠牲よりも従順を
3、サウルの後悔
4、アガグの寸断
5、サムエルの悲しみと

1、サウルの言い訳

 サムエル記上5章17-21節を読みます。

15:17 サムエルは言った、「たとい、自分では小さいと思っても、あなたはイスラエルの諸部族の長ではありませんか。主はあなたに油を注いでイスラエルの王とされた。
15:18 そして主はあなたに使命を授け、つかわして言われた、『行って、罪びとなるアマレクびとを滅ぼし尽せ。彼らを皆殺しにするまで戦え』。
15:19 それであるのに、どうしてあなたは主の声に聞き従わないで、ぶんどり物にとびかかり、主の目の前に悪をおこなったのですか」。
15:20 サウルはサムエルに言った、「わたしは主の声に聞き従い、主がつかわされた使命を帯びて行き、アマレクの王アガグを連れてきて、アマレクびとを滅ぼし尽しました。
15:21 しかし民は滅ぼし尽すべきもののうち最も良いものを、ギルガルで、あなたの神、主にささげるため、ぶんどり物のうちから羊と牛を取りました」。

 サムエルはサウルに2つのことを諭しました。
 イスラエルの諸部族として長である王としての重要な地位について、そして明確かつ具体的な使命を与えられて遣わされたかを思い起こさせています。
 そして、サウルの取った行動の不従順であると指摘し、なぜこのような悪を主の前に行ったのかと迫りました。
 サウルは、先の主張を繰り返し、自分は従順に使命を果して帰って来た、民が最上のものを殺さなかったのは、ギルガルで、サムエルの神、主にいけにえとするためであると答えています。
 サウルの弱さは、他人が自分をどのように見ているか。また、民の言動を恐がるところにありました。そのために、見えない神さまを畏れることができなくなってしまっています。

2、家畜の犠牲よりも従順を

15:22 サムエルは言った、/「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、/燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、/聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23 そむくことは占いの罪に等しく、/強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、/主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。

 おそらく16節の《サムエルはサウルに言った、「おやめなさい。昨夜、主がわたしに言われたことを、あなたに告げましょう」。…》は、前の夜、神さまがサムエルに告げたお言葉の核心部分が、この22-23節でしょう。

 サムエルの言葉は厳しいものでした。服従の伴わない生け贄は、神さまに喜ばれない。
 神さまへの従順は、生け贄より優っています。
 逆に神さまへの不服従や強情は、占いや偶像礼拝に等しい重罪となります。
 そして神さまの言葉を退けたサウルは、もはや王位にとどまることは出来なくなったのです。
 
 この聖句は、非常に有名な箇所です。また、聖書全体に貫かれている原則です。
 サウルの次の王ダビデは《神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。》(詩編51:17)と、詩篇において自身の罪の告白をしました。
 ここがサウルに欠けていた心です。

3、サウルの後悔

15:24 サウルはサムエルに言った、「わたしは主の命令とあなたの言葉にそむいて罪を犯しました。民を恐れて、その声に聞き従ったからです。
15:25 どうぞ、今わたしの罪をゆるし、わたしと一緒に帰って、主を拝ませてください」。
15:26 サムエルはサウルに言った、「あなたと一緒に帰りません。あなたが主の言葉を捨てたので、主もあなたを捨てて、イスラエルの王位から退けられたからです」。
15:27 こうしてサムエルが去ろうとして身をかえした時、サウルがサムエルの上着のすそを捕えたので、それは裂けた。
15:28 サムエルは彼に言った、「主はきょう、あなたからイスラエルの王国を裂き、もっと良いあなたの隣人に与えられた。
15:29 またイスラエルの栄光は偽ることもなく、悔いることもない。彼は人ではないから悔いることはない」。
15:30 サウルは言った、「わたしは罪を犯しましたが、どうぞ、民の長老たち、およびイスラエルの前で、わたしを尊び、わたしと一緒に帰って、あなたの神、主を拝ませてください」。
15:31 そこでサムエルはサウルのあとについて帰った。そしてサウルは主を拝んだ。

 さすがのサウルも、権威ある祭司サムエルの厳しい言葉を耳にして、自分の罪と無節操さを正直に認めています。そして、《わたしと一緒に帰って、主を拝ませてください》とサムエルに同行してほしいと求めています。しかし、サムエルはきっぱりと断っています。

 引き止めようと《サムエルの上着のすそを捕え》ると、その上着が裂けました。これは、王国が引き裂かれて、サウルよりも立派な彼の友に与えられるしるしである、とサムエルは言い、これが主である神さまの変らぬ御心であることを宣告しました。

 何とか体裁だけは保たせてほしいというサウルの繰り返しの願いにサムエルは応じ、2人は民のいる所に行き、そこで主を礼拝しました。

4、アガグの寸断

15:32 時にサムエルは言った、「わたしの所にアマレクびとの王アガグを引いてきなさい」。アガグはうれしそうにサムエルの所にきた。アガグは「死の苦しみはきっと過ぎ去ったのだ」と思った。

 《アガグはうれしそうにサムエルの所にきた。》アガクは釈放を予測して“うれしそうに”サムエルのところに来たのでしょう。しかし、

15:33 サムエルは言った、「あなたのつるぎは多くの女に子供を失わせた。そのようにあなたの母も女のうちで最も無惨に子供を失う者となるであろう」。サムエルはギルガルで主の前に、アガグを寸断した。

 これは、モーセの時代以来アマレク人がイスラエルに行なったことを、今度は、アマレク人の中で行われる、とサムエルは宣言して、アガグを寸断しました。
 サムエルは、神さまが15章2-3節で言われた命令を守らなかったサウルの後始末を行ったことになります。

5、サムエルの悲しみと

15:34 そしてサムエルはラマに行き、サウルは故郷のギベアに上って、その家に帰った。
15:35 サムエルは死ぬ日まで、二度とサウルを見なかった。しかしサムエルはサウルのために悲しんだ。また主はサウルをイスラエルの王としたことを悔いられた。

 サムエルの悲しみ、ひいては神さまの悲しみが伝わってきます。ラマとギベアの間は10キロあまりですが、二人は会いませんでした。しかし、サムエルが死んだ後、二人が会うことになります。サウルが女の口寄せに頼んで、サウルがサムエルにやってきてもらうよう、頼むときです。

 サウルにとっての最大の価値観は“体裁”でしょう。本来、祭司であり預言者であるサムエルから王として“油を注がれ”王となったのにもかかわらず、神さまやサムエルの指示通りに働かなかったサウルの弱点は、人の目を気にすることでした。結果、神さまやサムエルの目を気にすることよりも“人目”が大事になっていました。

 私たちは、どこかの組織に属しています。国や自治会・町会、職場、家庭、サークル、習い事、教会。どの組織に属していても、本来、その組織のルールに従わなければ、組織自体のリスクの発生や損失となります。組織が健全で風通しの良い(人と人とが話しやすい)文化をつくり維持するには、ルールを理解し決められたことを守らなければ、サウルのような空回りの生活を送らなければいけなくなります。

 ただ、人の上に立つ仕事は大変です。周囲も忠実で協力的でなければなりません。周囲の信頼と協力は、互いに共通したモノが必要です。あなたにとって、組織の一致に必要な共通したモノはなんでしょうか。

2023年1月8日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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