ショートメッセージ【サウル⑥】

サムエル記上14章と18章
(長子ヨナタン)
1、ヨナタンの信仰と勇ましさ
2、ヨナタン、ダビデとの深い友情

 サムエル記上の16章からは、主役が交代しサウルからダビデに移ります。
 本日は、少し前の章に戻りますが、サウルの長子ヨナタンという人物をみていきます。

1、ヨナタンの信仰と勇ましさ

14:49 さて、サウルのむすこたちはヨナタン、エスイ、およびマルキシュアである。ふたりの娘の名は次のとおりである。すなわち姉の名はメラブ、妹の名はミカルである。

 サウル王の長子はヨナタンです。
 ヨナタンは、若者でしたが信仰の人であり、とても勇敢でした。また、父サウルのもとですぐれた戦闘能力を発揮していました。

 サウルシリーズ2回目で学びましたが、サウル王はイスラエルの兵3千人を選び、そのうち千人をヨナタンに託しました。ヨナタンはその兵で、ゲバにいたペリシテ人の守備兵を倒しました。

13:2 さてサウルはイスラエルびと三千を選んだ。二千はサウルと共にミクマシ、およびベテルの山地におり、一千はヨナタンと共にベニヤミンのギベアにいた。サウルはその他の民を、おのおの、その天幕に帰らせた。
13:3 ヨナタンは、ゲバにあるペリシテびとの守備兵を敗った。

 サムエル記上14章では、さらに武器を執る若者を従えて、2人でペリシテ人の陣営を襲い、恐怖を生じさせました。

口語訳
14:6 ヨナタンはその武器を執る若者に言った、「さあ、われわれは、この割礼なき者どもの先陣へ渡って行こう。主がわれわれのために何か行われるであろう。多くの人をもって救うのも、少ない人をもって救うのも、主にとっては、なんの妨げもないからである」。

新改訳2017
14:6 ヨナタンは道具持ちの若者に言った。「さあ、この無割礼の者どもの先陣のところへ渡って行こう。おそらく、主がわれわれに味方してくださるだろう。多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない。」

 翻訳的には、新改訳2017の方がわかりやすので補足に載せました。

 何とも言えない気持ちいい一本気な信仰の言葉です。ここから私たちは、信仰によって一歩踏み出すこと、または信仰のチャレンジについて、多くのことを学ぶことができます。

 この発言の前にヨナタンは、父やイスラエルの陣営にも伝えずに、道具持ちと二人だけで地形的にも不利な中、ペリシテ人の陣営に行きました(サムエル記上14:1)。
 これは彼が勝手に起こした行動ではなく、神さまの御言葉に基づいた原則に沿ったことです。

 レビ記26章7-8節に
26:7 あなたがたは敵を追うであろう。彼らは、あなたがたのつるぎに倒れるであろう。
26:8 あなたがたの五人は百人を追い、百人は万人を追い、あなたがたの敵はつるぎに倒れるであろう。

 
 と、あります。人数は関係ありません。神さまがともにおられれば、神さまは却って少人数で敵を追い払ってくださる約束していたことがあります。
 これまでのイスラエルの歴史を見ますと、士師の時代、牛の突き棒でペリシテ人600人を倒したシャムガル。ギデオンはたった300人で、13万5千人のミデヤン人を倒しました。サムソンはたった一人で、見つけた“ろばのあご骨”で千人を倒し、そしてダゴンの宮にいた3千人のペリシテ人を倒しました。

 そして、《主がわれわれのために何か行われるであろう。》の発言は、とても重要な発言です。
 口語訳では、《主がわれわれのために何か行われるであろう。》ですが、
 新改訳2017では、《主がわれわれに味方してくださるだろう。》
 新共同訳では、《主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。》
 と、理解のために並べて書きましたが同じ意味です。
 
 ヨナタンは若気の至りで言っているのでしょうか。
 逆にヨナタンは、ペリシテ人との戦いで大きな戦局を見る目を与えられているとみた方が、これから度々登場するヨナタンの冷静かつ勇敢な行動から一致します。

 ヨナタンは神さまを信頼しイスラエルのために働いてくださると期待しているのです。

 必ずペリシテ人に勝てるという保障や根拠があるなら、信仰は必要ありません。理性や知性で言えば多勢に無勢です。13章5節に《戦車三千、騎兵六千、民は浜べの砂のように多かった。》とありました。勝ち目はありません。

 とにかくやろう。「もしかしたら神さまが、このことを望んでおられるのかもしれない。」というのが信仰の一歩です。イスラエルにすれば、いつまでも現状のままでいたら、良くなることはありません。悪化していくのは確かです。しかし、「主が共にいて下されば、状況は好転するかもしれない」と思ったら、前進してみることです。もし主が共に働いておられなかったら、すぐ引き上げればよいだけのことです。
 いつまでも、そこにとどまる必要は当然ありません。主の導きのままに動くのです。

 聖書に書いてある神さまの御言葉をよく読み、ご聖霊の導きに敏感になるとき、神さまが私たちに必要なときに、「よし!神さまを信頼してやろう」という信仰の賜物を与えてくださいます。ヨナタンと武器を執る若者は、そのような信仰を与えられたのでしょう。

14:7 武器を執る者は彼に言った、「あなたの望みどおりにしなさい。わたしは一緒にいます。わたしはあなたと同じ心です」。

 この部下の返事も見事です。彼は上司と一心同体であり、その命令通り何でも従うと答えたのです。“この隊長にしてこの従者あり”ですね。
 14章13-15節を読みます。

14:13 そしてヨナタンはよじ登り、武器を執る者もそのあとについて登った。ペリシテびとはヨナタンの前に倒れた。武器を執る者も、あとについていってペリシテびとを殺した。
14:14 ヨナタンとその武器を執る者とが、手始めに殺したものは、おおよそ二十人であって、このことは一くびきの牛の耕す畑のおおよそ半分の内で行われた。
14:15 そして陣営にいる者、野にいるもの、およびすべての民は恐怖に襲われ、先陣のもの、および略奪隊までも、恐れおののいた。また地は震い動き、非常に大きな恐怖となった。

 続けて14章20節も読みます。

14:20 こうしてサウルおよび共にいる民は皆、集まって戦いに出た。ペリシテびとはつるぎをもって同志打ちしたので、非常に大きな混乱となった。

 このようにヨナタンは、武器を執る若者と一緒に、自分が一歩踏み出して、自分がしなければいけないことを行ないました。残りはすべて主が行なってくださったのです。
 二人が倒したのは二十人ですが、主(神さま)はこの出来事を用いて、敵であるペリシテびと陣営全体、野外、そして民全体に非常に大きな恐怖を与えました。そして、地震まで起こしてくださいました。すべてを自分で行なうのではなく、一歩踏み出せば神さまが共に働いてくださるのです。

2、ヨナタン、ダビデとの深い友情

18:1 ダビデがサウルに語り終えた時、ヨナタンの心はダビデの心に結びつき、ヨナタンは自分の命のようにダビデを愛した。
18:3 ヨナタンとダビデとは契約を結んだ。ヨナタンが自分の命のようにダビデを愛したからである。

 ヨナタンのダビデに対する態度と深い友情は、彼がどのような人格者であるかを物語っています。 

 神さまの心がサウルから去り、ダビデが次の王として油を注がれていました。
 ヨナタンは、父サウルからダビデをねたみ、彼を殺そうとしていることを打ち明けられても、ヨナタンのダビデへの愛は変らず、ダビデを守るために手を尽しました。
 先の23章でヨナタン自身もダビデに、ダビデがイスラエルの王となると言っています。

サムエル記上23章17節
23:17そしてヨナタンは彼に言った、「恐れるにはおよびません。父サウルの手はあなたに届かないでしょう。あなたはイスラエルの王となり、わたしはあなたの次となるでしょう。このことは父サウルも知っています」。

 ヨナタンはペリシテ人との戦いで、ギルボア山で戦死します(サム上31:2)。しかし、ヨナタンのダビデへの態度は、生涯変ることはありませんでした。
 ダビデはヨナタンの死を悲しみ、サムエル記下1章7-27節で「弓の歌」という哀歌を歌っています(サム下1:17‐27)。

 今回、ヨナタンを少しみましたが、どうお感じになられたでしょうか。理不尽さでしょうか。ヨナタンの信仰でしょうか。仕える姿でしょうか。
 

2022年1月15日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:戀田寛正

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