ショートメッセージ【ダビデ④】

サムエル記下1章~10章
(神と歩く者) 

1、サウル王への忠誠と愛
2、契約の箱の帰還
3、神との信頼を築く者

1、サウル王への忠誠と愛
 サムエル記下1章4節と11-12節を続けて読みます。

1:4 ダビデは彼に言った、「様子はどうであったか話しなさい」。彼は答えた、「民は戦いから逃げ、民の多くは倒れて死に、サウルとその子ヨナタンもまた死にました」。

1:11 そのときダビデは自分の着物をつかんでそれを裂き、彼と共にいた人々も皆同じようにした。
1:12 彼らはサウルのため、またその子ヨナタンのため、また主の民のため、またイスラエルの家のために悲しみ泣いて、夕暮まで食を断った。それは彼らがつるぎに倒れたからである。

 サウル王は敵であるペリシテ人の手にかかり亡くなりました。彼は神さまから選ばれて王となり、いくつかの業績もありました。しかし、それ以上に神さまへの不誠実な行動により懲らしめも多い人物でした。

 ダビデにとっては王である反面、忠実に従っていたにも関わらず殺されかけた敵であるという難しい対応を迫られた人でした。
 しかし、この記事を見るならば、ダビデはサウル王のことを恨んでいなかったようです。複雑な心境ではあるものの、サウルを神さまから油注がれた王として認め、またそのように部下たちにも指導していたことがうかがえます。ダビデだけではなく、彼ら全員は、サウル王をはじめとするヨナタンや仕える人たちの死を悼みました。

 この知らせをもってきたのは、ダビデと戦って負けたアマレク人の一人の若者でした。どうやら、サウル王の知らせをもってくることでダビデは喜び、次の王になるであろうことを見込んで取り入ろうとしていたのでしょう。しかし、この若者はダビデに殺されます。

 ここから教えられることは、自分の浅はかな考えや思いを中心に物事を見るならば、その本質を見抜くことはできないということです。聖書が繰り返し教えることは神を畏れ、神の命令を守ることです。そこに生きようとするダビデとこのアマレク人の若者との違いは私たちに神さまを頼り生きる者とそうでない者との違いを学ぶことができます。 
 ともあれ、ダビデは神さまに立てられた王の死を悼み、哀歌をうたいました。その後、すぐに神さま伺いを立てます。2章1節です。

2:1 この後、ダビデは主に問うて言った、「わたしはユダの一つの町に上るべきでしょうか」。主は彼に言われた、「上りなさい」。ダビデは言った、「どこへ上るべきでしょうか」。主は言われた、「ヘブロンへ」。

 ダビデはサウルの次に立てられた正当な王になることを知っていたため、すぐに神さまに問うてから行動に移しました。サウル王との違いは、大きな選択のある前やするべき行動の際に必ず神さまにお伺いを立てる点です。そして、自分の考えや思いではなく、それを生きる道標にします。このアイデンティティがダビデという人格を築き上げていったのです。
 これまでサウル王から逃げまどっていた苦難の中で神さまに尋ね、そこに生きることで生き延びてきたのです。

2、契約の箱の帰還
 この後、ダビデは正式に王として即位します。5章1-4節です。

5:1 イスラエルのすべての部族はヘブロンにいるダビデのもとにきて言った、「われわれは、あなたの骨肉です。
5:2 先にサウルがわれわれの王であった時にも、あなたはイスラエルを率いて出入りされました。そして主はあなたに、『あなたはわたしの民イスラエルを牧するであろう。またあなたはイスラエルの君となるであろう』と言われました」。
5:3 このようにイスラエルの長老たちが皆、ヘブロンにいる王のもとにきたので、ダビデ王はヘブロンで主の前に彼らと契約を結んだ。そして彼らはダビデに油を注いでイスラエルの王とした。
5:4 ダビデは王となったとき三十歳で、四十年の間、世を治めた。

 ダビデは王として神さまからサムエルを通して油を注がれていました。しかし、王とは民への政治を行うために存在します。神さまから指名をされ、民からの信任が必要になるのです。彼は、その資質を認められていたことがわかります。首相や大統領、社長や理事長などのトップに立つ人は誰でも、人の上に立つ者はこのような資質が求められるのです。ダビデは神さまから選ばれたのだから王になるのは当然だとは考えなかった人物です。むしろ、神さまの前にも民の前にも認められたからこそ王になったのです。

 ダビデの業績は多くのところから見ることができますが、大きな点だけをあげると、6章に書かれている契約の箱についてでしょう。ダビデは契約の箱をダビデの町にまで運んできました。

 おそらく50-60年ほどそのままであった契約の箱でしたが、ダビデの治世となり、王の住む町に運び込まれてきたのです。契約の箱はイスラエルにとって信仰のアイデンティティであり、神さまとイスラエルにとっての唯一の接点でした。それを中心にもってくることはダビデらしいと言いますか、神を畏れ、敬うものとしては当然のことだったのでしょう。

 ダビデの人生はどこにあっても神である主とともにありました。多くの業績や彼の人格はその中で培われたのです。ダビデの神への信頼は、神さまからの信頼となりました。7章16節に代表するように《7:16 あなたの家と王国はわたしの前に長く保つであろう。あなたの位は長く堅うせられる』」。》

3、神との信頼を築く者
 9章1節を読みます。

9:1 時にダビデは言った、「サウルの家の人で、なお残っている者があるか。わたしはヨナタンのために、その人に恵みを施そう」。

 サウル編でもあったように、ダビデとヨナタンは親友であり信仰の友でした。ヨナタンはサウル王とともに戦いで死ぬことになりましたが、彼への友情は変わりませんでした。ヨナタンの子どもで足の不自由なメピボセテという人がいました。彼を手厚く保護することになります。

 様々ないきさつのある中、ダビデは神さまから信頼され、民から信頼されダビデ自身もなお隣人として人を思いやる人となったのです。それは、王として最も必要な資質です。

 ダビデという人を見るとき、苦労の多い人であったことを思います。そのような中で、自暴自棄になる出来事は数えきれないほどあったことでしょう。しかし、ダビデは、神さまである主が守ってくださる信頼を苦難の中で学んだ人でした。

 ダビデは、単純にことばだけで神さまを褒め称える人物ではなかったのです。ダビデと言う人物を通して神さまへの信頼は自分の人生を通して確立していくものであることがお分かりいただけると思います。

 ダビデの神さまへの信頼は、神さまから信頼を受けるモノとなりました。そして、その中で神さまからの信頼をもらうからこそ、隣人を信頼し憐む者へと成長したのです。神さまとの信頼関係が人にとってどれほど大切であるかがお分かりいただければ幸いです。自らを成長させ、隣人に有益な者になるための秘訣は「神さまとの信頼関係」なのです。

2023年2月26日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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