ショートメッセージ【ダビデ⑤】

サムエル記下11章~12章
(落ちていく王の資質)

1、バテシバ事件
2、息子たちの離反と不幸
3、落ちていく背景には

1、バテシバ事件
 前回まではダビデの神さまとの信頼関係に注目していきました。ここまでで終わればダビデは優秀な人物と言えるのですが、聖書はその後のこともしっかりと書いています。残念なことにダビデはズルズルと王としての品性を落としていくのです。
 その最たるものは、バテシバ事件と言えるでしょう。
 11章1節を読みます。

11:1 春になって、王たちが戦いに出るに及んで、ダビデはヨアブおよび自分と共にいる家来たち、並びにイスラエルの全軍をつかわした。彼らはアンモンの人々を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。

 ダビデはこれまで絶えず戦いの指揮をとってきました。ここで、どのような理由や事情があったのか分りませんが、ダビデはこの時、エルサレムにとどまっていました。
 時間に余裕ができ、心に隙があったと言ってよいかもしれません。そのような中、非常に美しい女性が体を洗っていました。それがバテシバです。

 バテシバは、後に勇者と称えられるウリヤという人の妻でした。ダビデは、そのことをわかっていてバテシバを呼んで寝るわけです。バテシバはそのことで妊娠します。
 ダビデは、そのことを隠ぺいするためにウリヤを呼び戻し、家に帰るように伝えます。しかし、ウリヤは戦場で戦っている仲間のことを思い、自分だけが家に帰れないと考えます。

 そこで、ダビデは一計を案じます。バテシバの夫であるウリヤを激しい戦いの前線に送り込んで、ウリヤだけを残して兵を撤退させ、ウリヤを実質的に殺すことにしました。その後、ダビデはバテシバを自分の妻にするのです。もちろん、これは神さまの前では当然許されないこととなりました。

 神さまは預言者ナタンを遣わして、そのことをダビデに告げます。それに対し、ダビデはすぐに後悔しますが、時すでに遅し。
 この後に続々と悲しいことが起こっていきます。
 まず、ダビデとバテシバとの子どもは亡くなります。その後、実の息子と実の娘の色恋沙汰などが起こります。

 このようなトラブルの背景にダビデの軽率な行動があったことが示されます。ダビデはたくさんの妻がいました。当時の国々の王様たちを見ると、別に珍しい事ではないのですが、律法のあるイスラエル国の王であるダビデの行いは、決して神さまに喜ばれるものではありません。もちろんイスラエルの王ですから律法を知っていたはずです。

 神さまは、それを見逃されませんでした。特にバテシバ事件は神さまから見て、いよいよ放っておけないダビデの罪の終着地点と言えるものだったからです。そしてこの事件は、子ども達や部下、国民を巻き込んだ騒動へと発展していくのです。

2、息子たちの離反と不幸
 そして実の息子から反乱を起こされます。その時、自分の妻たちが、一時的に自分の息子の所有物になります。

 ダビデにとって、さらに苦しかったことは、自分の手で息子を殺すことになったことでしょう。その理由が、バテシバ事件をはじめとする色好みの自分を律しなかったからだと身をもって知ったはずです。

 ダビデは、自分の色好みを正そうとしたかというとそうではありませんでした。彼は老人になってまで美しい女性をそばめとしておきました。

 人には必ず弱さがあります。その弱さを律することができるならば自分や他人も苦しめることはありません。しかし、ダビデは自分のしたことを後悔はしましたが、究極的に改めるまで至らなかったようです。

 このことは、後にソロモンという跡継ぎにも悪い影響を与えました。
 王権により多くの妻をおき、自分の楽しみと政治の道具にしていきました。そして、そのことはソロモン自身が神さまから離れていく原因となったのです。

 ダビデの罪という裏の面は、そのすばらしい表の面とともに受け継がれていったことを考えるとき、現在、神の民であると自覚をする人たちにとっても同じ事が言えるのではないでしょうか。

 自分が神の民であると自覚をしているならば、その人は、何を継承させたいのかをよく考えて日々の生活を歩むべきです。弱さのない人はいません。だからこそ、自分を律することをダビデから学ぶべきでしょう。あなたとあなたの愛する隣人のためにも。

3、落ちていく背景には
 ダビデの人生は、神さまによく聞く人生でした。特に王になる前にはそのことが多く書かれています。しかし、王になってからは神さまへの賛美は歌われていますが、ダビデが神さまに聞くということが少なくなっているように見えます。

 たとえば、24章には神さまにお伺いを立てずに人口調査を行い、神さまの怒りでイスラエルに大きな災いがあったことが書かれています。人口調査自体が罪というよりは、神さまとの信頼関係で成り立っていたダビデとの関係が弱くなっているということでしょう。
 自分は神さまあっての自分であることを王になることで、目がかすんでてしまったのでしょうか。
 これはいつでも神さまを信頼して生きていくことの大切さを教えていると同時に、自分の立場や環境によって神さまとの信頼関係が変わる人への警告が書かれているということです。

 神さまは立場や環境でその人を見られません。その人の神さまに対する信頼を見ておられるのです。
 今夕は、ダビデの息子ソロモンのことばで閉じます。箴言3章5-8節です。

3:5 心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。
3:6 すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
3:7 自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ。
3:8 そうすれば、あなたの身を健やかにし、あなたの骨に元気を与える。

2023年3月5日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川盛治

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