「死は死ではない」
皆さんこんにちは、「聖書からのワンポイント」の清水浩治です。今日のお話は、「死は死ではない」であります。
私は、小さい頃から仏教的な慣習(習慣)の中で生活をしてきました。父方の親族の誰かが亡くなると、父は故郷の長野に出かけ、お香典のお返しとお土産にもらった食べ物を、風呂敷にいっぱい包んで帰ってきました。私は、その食べ物を楽しみにしていたという不謹慎な思いがあったのですが、小学校の低学年生では仕方がなかったかなと思います。
キリスト教との接点と言えば、自分が通った幼稚園がキリスト教の幼稚園であったので、その園で聖書の話が語られた時の内容に接したことが、唯一の接点であったと言えます。
今でも覚えている話が、旧約聖書のヨセフの話でした。お兄さんたちに奴隷として売られたヨセフがエジプトに行き、お兄さんたちがヨセフと知らずにエジプトで再会する場面であったと思います。
様々な日本の宗教的な慣習に触れていく中で、無意識のうちにそれらが身体にしみ込んでいったのだと思います。これはあくまで迷信ですが、霊柩車が通る時に、自分の親指を隠さなければ親が死んでしまうという話を聞いて、霊柩車が通る時には親指を曲げて手のひらの中に隠したのを覚えています。英語の表現で、黒い猫が、自分が行こうとしている道の前を横切れば、その道を進まずに引き返したほうがよい、と言うのと同じようなものです。
日本の仏教の葬儀に出ると、必ず聞く言葉が次の言葉であります。「この地上に生まれし者は、誰も死を避ける事あたわず」であります。宗派に関わらず、この言葉は必ず出てきます。収骨の場面にも数多く居合わせましたが、お骨を二人で拾うのはなぜなのだろう、といつも思っていました。理由に関しては諸説あるようですが、亡くなった人が無事にあの世に行けるためにふたりでお骨を拾う、霊が一人に憑かないために二人で拾う、穢れを一人で拾わないため、などの説あるようです。ちなみに、火葬があまり多くないアメリカにおいては、火葬を希望すると、Funeral Homeという一般の業者を訪ね、遺体をそこに預けて、いつまでに火葬をしておくのでその日に来てくださいと言われ、あとは遺骨を取りに行くだけであります。火葬に際しての宗教的儀式はありません。
前回、人生を生きる中で最終目的地は定まっていますか、というお話をしました。そして、そこから繋げて考えてみたのですが、讃美歌の中に見られる死生観、特に死をどのように捉えているかに焦点を当ててみました。
聖歌「丘に立てるあらけずりの」の歌詞の一部を紹介します。
The Old Rugged Cross Then He’ll call me some day to my home far away where His Glory forever I’ll share
「そして、いつか私を遠く離れた家(天国)へと呼んでくださり、そこで、彼の栄光を永遠に分かち合う(共有する)ことになります。」
Paradise Vally we’ll be free from all pain and strife.
「私たちは、すべての痛みと争いから解放されます」これも聖書箇所の内容に基づいている歌詞です。
O That Will Be Glory When by His grace I shall look on His face, that will be glory, be glory for me
「悩み多き浮世を」キリストの恵みによって、彼の顔を目の当たりにするとき、それは何という栄光(誉れ)なのでしょう。」
この三箇所の歌詞から確認できることですが、死を迎える時、イコール、①イエス・キリストが自分を天国へと呼んでくれる時であるという事実、②そこでは、すべての痛み(痛みとは体の痛みも、心の痛みも含まれます)すべての争いから解放される事実、そして、③目で見ることのできなかった信仰の対象であるイエス・キリストと直接お会いできるという、いわば信仰の完成を経験する時であるということなのです。
多くの讃美歌の歌詞を書いたファニー・クロスビーという人がおりました。彼女は、生まれる時に、お産婆さんの失敗で、両目を失明してしまうのです。ある時、彼女がインタビューを受けました。そして、彼女に投げかけられた質問は「やはり目が見えていたら良かったのではないでしょうか」でありました。彼女は、その質問に対して「いいえ、そうではありません。なぜなら、私が最初に見ることができるお方は、イエス・キリストであるからです」と答えたのでした。ヨハネの福音書11章25節のキリストご自身の言葉です。「わたし(キリスト)を信じる者は、死んでも生きるのです。」キリストの言葉によれば、死は死ではないのです。
お時間になりました。また、来月のこの時間に、聖書からのワンポイントでお会いしましょう。お聴きいただきありがとうございます。
2023.3.10
ラジオ・ティーチング・ミニストリー「聖書からのワンポイント」
タイトル:「あてもない旅」
牧師:清水浩治