ショートメッセージ【ソロモン①】

サムエル記下7章、列王紀上1-2章、歴代志上22章他
(引き継がれた神殿建設)
1、神さまのみこころとなった神殿建設
2、整った神殿建設の準備と王位継承の混乱

 先週まで、ダビデ王を見ました。今週からダビデの次の王さまソロモンをみていきます。先週、盛治さんがすでにダビデとの関係において、ソロモンと神殿建設について多くを話してくれました。重なるところもありますが、ダビデのあとイスラエルの王となったソロモンと彼の神殿建設について背景を整理していきましょう。

 その前に聖書の書簡についてもまとめます。
 もともとサムエル記上下、列王紀上下、歴代志上下は、上下巻に分割されていますが、それぞれ、すべて1つの書簡として書かれていました。
 また、サムエル記と列王紀は、前預言書と位置付けられ、歴代志誌は歴史書と位置付けられています。

 そして、時代が重なっている部分もありますので、それぞれの書簡に内容が重なる部分があります、列王紀は預言者の視点で書かれた政治的記録、歴代志は祭司の視点で書かれた宗教的記録としての色合いが強いと言われます。
 そういうことから、サムエル記、列王紀、歴代志が行ったり来たりすることがあるかもしれませんがご理解ください。

1、神さまのみこころとなった神殿建設
 サムエル記下7章12-13節を読みます。

7:12 あなたが日が満ちて、先祖たちと共に眠る時、わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。
7:13 彼はわたしの名のために家を建てる。わたしは長くその国の位を堅くしよう。

 ここのあなたは、ダビデのことです。もともと神さまの家としての神殿建設は、ダビデの思いから出たもので、神さまのみこころではありませんでした。それは、サムエル下7章7節で神さまが、《ひと言でも「どうしてあなたがたはわたしのために香柏の家を建てないのか」と、言ったことがあるであろうか』。》といっていることからも分かります。
 しかし、先週盛治さんからお話があったように、神さまは、ダビデの神さまへの信頼や感謝(信仰)を認め、その信仰を代々引き継いでいく象徴として神の家としての神殿建設を善し(御心)としました。
 それは、神の民がサムエル記下7:7-11のお言葉を忘れることがないためでもあったと思われます。

 サムエル記下7章7-11節を読みます。

7:7 わたしがイスラエルのすべての人々と共に歩んだすべての所で、わたしがわたしの民イスラエルを牧することを命じたイスラエルのさばきづかさのひとりに、ひと言でも「どうしてあなたがたはわたしのために香柏の家を建てないのか」と、言ったことがあるであろうか』。
7:8 それゆえ、今あなたは、わたしのしもべダビデにこう言いなさい、『万軍の主はこう仰せられる。わたしはあなたを牧場から、羊に従っている所から取って、わたしの民イスラエルの君とし、
7:9 あなたがどこへ行くにも、あなたと共におり、あなたのすべての敵をあなたの前から断ち去った。わたしはまた地上の大いなる者の名のような大いなる名をあなたに得させよう。
7:10 そしてわたしの民イスラエルのために一つの所を定めて、彼らを植えつけ、彼らを自分の所に住ませ、重ねて動くことのないようにするであろう。
7:11 また前のように、わたしがわたしの民イスラエルの上にさばきづかさを立てた日からこのかたのように、悪人が重ねてこれを悩ますことはない。わたしはあなたのもろもろの敵を打ち退けて、あなたに安息を与えるであろう。主はまた「あなたのために家を造る」と仰せられる。

 神さまが住む場所を与え、平和で安息な生活を与えてくださったということ、またそれが、神さまへの感謝と信頼でなりたっているその象徴が神殿なのです。
 つまり、神殿は民と神さまとの平和、そして神の民とされた者が住む神の国の平和の象徴ということです。そう考えれば、ダビデではなく次のソロモンに神殿建設が委ねられた意味も理解できます。

 歴代志上22章7-10節を読みます。

22:7 すなわちダビデはソロモンに言った、「わが子よ、わたしはわが神、主の名のために家を建てようと志していた。
22:8 ところが主の言葉がわたしに臨んで言われた、『おまえは多くの血を流し、大いなる戦争をした。おまえはわたしの前で多くの血を地に流したから、わが名のために家を建ててはならない。
22:9 見よ、男の子がおまえに生れる。彼は平和の人である。わたしは彼に平安を与えて、周囲のもろもろの敵に煩わされないようにしよう。彼の名はソロモンと呼ばれ、彼の世にわたしはイスラエルに平安と静穏とを与える。
22:10 彼はわが名のために家を建てるであろう。彼はわが子となり、わたしは彼の父となる。わたしは彼の王位をながくイスラエルの上に堅くするであろう』。

 ソロモンの語源は、シャロームといわれます。シャロームは平和をあらわすヘブル語です。そして救いの意味もあります。ソロモンこそ、神殿建設に相応しい人物であり、ソロモン王の時代が神殿建設に相応しい時代だったのです。

 しかしこの後、多くのイスラエルの民が神殿で献げる礼拝が、神さまとの平和の象徴をあらわすものではなく形式的なものとなっていきます。

 サッカーでゴールするたびに胸で十字架を切っていたサッカー選手を思い出します。もちろんその人の批判ではありません。
 私たちはイエスさまの救い、その事実である十字架が、象徴的な形だけになっていないか、私たちの罪の裁きを一身に受けられた十字架での贖い。神さまへの信頼の象徴として、いつも心に信仰を伴った十字架を上書きできているかを確認したいと思います。

2、整った神殿建設の準備と王位継承の混乱
 歴代志上22章5節を読みます。

22:5 ダビデは言った、「わが子ソロモンは若く、かつ経験がない。また主のために建てる家はきわめて壮大で、万国に名を得、栄えを得るものでなければならない。それゆえ、わたしはその準備をしておこう」と。こうしてダビデは死ぬ前に多くの物資を準備した。

 ダビデは神殿建設のための多くの資材の準備を備えて整えていたことがわかります。

 歴代志上22章6節と23章1節を読みます。

22:6 そして彼はその子ソロモンを召して、イスラエルの神、主のために家を建てることを命じた。

23:1 ダビデは老い、その日が満ちたので、その子ソロモンをイスラエルの王とした。

 この歴代志の流れから、ソロモンがまだ若い時から、ダビデには、ソロモンが次の王になり神殿建設をすること、それは神さまの御心であることを分かっていたと思われます。しかし王位継承はダビデが老いるまでなされませんでした。
 しかも王位継承のきかっけは、ソロモンの兄アドニヤが自ら王になろうとしたことがきかっけでした。
 列王紀上 1章5-6節を読みます。

1:5 さてハギテの子アドニヤは高ぶって、「わたしは王となろう」と言い、自分のために戦車と騎兵および自分の前に駆ける者五十人を備えた。
1:6 彼の父は彼が生れてこのかた一度も「なぜ、そのような事をするのか」と言って彼をたしなめたことがなかった。アドニヤもまた非常に姿の良い人であって、アブサロムの次に生れた者である。

 実はアドニヤの兄アブサロムも王位を狙ってクーデターを起こしています。そしてここではアドニヤです。
 この時は預言者ナタンとソロモンの母バテシバの機転で事なきを得、ソロモンへの王位が無事に継承されます。

 列王紀上1章44-46節を読みます。

1:44 王は祭司ザドクと預言者ナタンおよびエホヤダの子ベナヤ、ならびにケレテびとと、ペレテびとをソロモンと共につかわされたので、彼らはソロモンを王の騾馬に乗せて行き、
1:45 祭司ザドクと預言者ナタンはギホンで彼に油を注いで王としました。そして彼らがそこから喜んで上って来るので、町が騒がしいのです。あなたが聞いた声はそれなのです。
1:46 こうしてソロモンは王の位に座し、

 ダビデが、早くから神さまのみこころだとわかっていたソロモンへの王位継承を宣言して、他の息子たちにその指導・教育、協力をしていれば、このような混乱はなかったと思われます。

 ダビデが、神殿建築のように王位継承もよく考え、準備をしていればよかったのではないかと思いがわきます。
 もちろんそれは簡単ではないでしょう。そして、親の子に対する思いや感情は揺れ動き、さまざまな状況や目に見えることで左右されます。
 列王紀2章にはバテシバのそのような行動が記されています。

 アドニヤが。シュナミびとアビシャグを求めバテシバにソロモンへの許可のとりなしを求めます。バテシバはそれに応えています。

 列王紀上2章21-22節です。

2:21 彼女は言った、「どうぞ、シュナミびとアビシャグをあなたの兄弟アドニヤに与えて、妻にさせてください」。
2:22 ソロモン王は答えて母に言った、「どうしてアドニヤのためにシュナミびとアビシャグを求められるのですか。彼のためには国をも求めなさい。彼はわたしの兄で、彼の味方には祭司アビヤタルとゼルヤの子ヨアブがいるのですから」。

 アドニヤが、シュナミびとアビシャグを求めた真意は書かれていませんが、少なくともソロモンは、アドニヤがダビデと関係のあった彼女との結婚で、再び父ダビデの家来だった者たちを味方につけて謀反を起こす考えがあると理解したようです。

 その結果アドニヤは、ソロモンの命令でその日のうちに命を絶たれます。バテシバもソロモンが王位を継承することが神さまのみこころであると知っていたはずです。
 そうであれば、信仰的に神さまに祈り求めることで、アドニヤにも別の導きができたのではと思わされます。イエス・キリストの信仰者の系図ではバテシバがウリヤの妻とだけ紹介されている理由がわかる気がします。

 私たちは、人の思い、ヒューマニズムにとらわれてしまいやすいものです。状況が変われば発言も変わってきます。親として、子どもから前と言っていることが違うと指摘されることもしばしばではないでしょうか。
 しかし、変わることのない神さまのことば、聖書の言葉によれば、子供に対するぶれることのない導きが可能です。そこにまことの神さまへの信仰がお互いにあれば、親子という関係が神さまにあってただしく強固なものとされるのです。

 ダビデからソロモンへの神殿の継承は、神さまへの感謝と信頼という信仰の継承の象徴でした。このことから、信仰の大切さまた、信仰の継承の大切さが教えられています。

2023年3月19日(日)
ニホン・ネットキリスト教会
メッセンジャー:香川尚徳

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